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2006年6月25日 (日)

アメリカと日本の関係

受け売りだけど、日本は、アメリカの州のひとつ、です、と。
ほんとにそうだなあ、と。この見方をすると、たいがいのことがすっきり見えるんじゃないか、という予感がする。ということで、記録しておこう、と思う。以下は、関連して、まちゃみんが感じたこと。

ここを踏まえていないがために、余計なものが生じてる部分があると思う。狂牛病(ではない肉が大多数だと思うけど)の肉の輸入云々でこの話題、思い出したのよね。枝葉にこだわってしまってる、ということ。もちろん、日本はアメリカの州のひとつ、という状態(がそうだとして、それ)に対する善し、悪し、は、もう、全く別の問題だ。良い、悪い、ではない。ということですらなくて、今はその話をしてない。まちゃみんが言いたいのは、順番だよね。もしくは、ツッコミどころ、というか。というか、そもそも良い、悪い、という話すらないまま、状態だけはそれなもんだから、わけがわからんくなってるんだと思う。あえて、なのか、どうなのか、世の中は。

まちゃみは、ひとつ、思う。プライバシーの問題、というのがあると思うんだけど、これとすごく通ずるところがあると思う。何か、って、全体のなかでの位置づけがないまま、局地戦にばっかりなってる、というもの、という案件で、これらは同じだと思うのだ。そーいうことか。まちゃみん、自分で書いてわかったよ。

いや、なんかやっぱり全然違うかも。

コギャルのパンツを鏡で見て、捕まった人がいた。俺自身は、コギャルの、うんこが付いてるかもしれないキッタないパンツなんか見たくないので、見よう、という、この人の気持ちはわからないし、しようとも思わないが、それをやったからと言って、捕まることなのだろうか。

捕まった、というのは、何が原因だったのだろう。
パンツを見たことが悪いのであろうか。
それとも鏡を使ったことがいけないのであろうか。鏡を使わなければ見ることができなかったとするならば。
はたまた、そうしようと思った気持ちがいけないのであろうか。

パンツを見たことが悪いなら、なぜ、周囲はコギャルをまずは責めないのだろうか。構造的にほぼパンツが見えないズボンという選択肢がありながら、なぜそれを選ばないのか、選ばなかったために、一人前の大の大人が捕まって、さらしモノになる、という制裁を受けた、お前は悪い、とはならないのだろうか。百歩譲っても、鏡で見えない位、長い丈のスカートを、なんではかないんだ、ということではないか。あと、もっと直接的な解決法として、そもそもパンツをはかない、という方法もある。そうすれば、存在しないパンツを見られる心配はない。これが一番確実だ。

次に、鏡問題だ。スカートをはかずにパンツで歩いていたコギャルがいたとして、そのコギャルのパンツを見ても捕まるだろうか。あるいは、コギャルが自らスカートをめくって、見せられた、という状態においても、捕まるだろうか。あるいは、まちゃみん自身経験があるが、階段を登る時、ぱっと上を見たら、コギャルのあまりに短いスカートで、パンツが見えたということがあるが、これも捕まるのだろうか。いずれの場合も否、だと思う。これにより、パンツを見るだけでは捕まらないことが証明された。したがって、このシチュエーションにおいては、鏡自体が問題視されてるという見方が成り立つというのがまちゃみんの見解だ。鏡を使ったことが悪いとするならば、持ち運び可能な鏡が氾濫している現状を改善するための議論も同時にせねばなるまい。しかし、現代社会において、鏡はありふれたものであるため、解決は困難だ。そうなれば、当然化粧をするための鏡や鼻毛を抜くための鏡も禁止だ。鏡使用罪だ。鏡を使うこと自体が悪いのだ。若干の飛躍が許されるならば、持ち運び可能な鏡が簡単に入手できる現状の制度を改善せねばなるまい。法整備が現代社会の急速な持ち運び可能な鏡の普及に追いついていないのだ。どうだろう。

また、最後のそうしようと思った気持ちそのものがいけないなら、こういう気持ちを持たない人というのをどうやって発生させないようにし、また、もし、そういう人がいた場合、どうやってその人を特定するのであろうか。これを許せば、もう全員捕まってしまうし、誰かを捕まえたい時に、理由はなんでもイイことになってしまう、と思う。

まちゃみん自体は、極端な話、ほとんど隠すもんてない、と思う。だいぶ開けっぴろげだ。いや、正確でないかもしれない。そうあれかし、と思っている、ということかもしれない。ちょっと歯切れが悪いのは、まちゃみんも、そうは言っても、うんこしてるところとか実は見られたくないからだ。実は、でもないか。肛門からまさにうんこがムリムリ出てくる瞬間とか。あと、ほかにも色々ある。でも、恥ずかしいので書けない。ここが弱いとこ、強弁できないとこなのだ。ベンだけに。

さて、あんまり割り切った言い方はしたくないけど、何かって、本人がイヤだ、とアピールしてるところを、超えて、なんかをやるのがいけないんだと思う。って結論めいたけど、これも結論ではなくて、それだって、ほんとのほんとは意味がないことだと、まちゃみんは思ってる。まわりくどいけど、そこから話が始まってないよね、とまちゃみんはアピールしてるのだ。これが本題だ。っていうか言いたいのは、ここだけだ。つまり、こういうとこの話に行かないよね、わざとちゃうか、ということを今まさに身をもって、再現してるのだ。まちゃみんははこの文章における、まちゃみんの見えざる手だ。

うちの犬は平気で人前でうんこをしている。けど、まちゃみんは犬にうんこをしてるとこは見せない。何がいいたいか、というと、別にうんこしてるところ見たから、ほんとのほんとに何かなるのだろうか。あるいは、見られたとしてなんかなるのだろうか。中国では、便所に扉がない、と聞いたことがある。嘘かホントかわからないが。でも、それがホントウだとしたら、扉が付いたから、恥ずかしい、というふうになった、という可能性は考えられないだろうか。少しの気持ちの問題と、実際的な問題として、うんこ臭をもらさない、という目的がまず、あり、扉がまずは付けられた。そのあと、うんこをする時は、うんこ臭をもらさないよ、というマナー、決まりとして、扉が閉めるのがエチケットとなった。これがさらに発展して、うんこをするところを見られる=扉を開けている、という状態がエチケットに反する行為として恥ずかしいことと考えられるようになった。この可能性はもっと真剣に検証されるべきではないだろうか。

もっとまじめな例として、ネクタイは、ほんとうの目的は寒さ対策だった、と聞いたことがある。それが、昨今、クールビズの風潮があるとはいえ、実際今でも、サラリーマン的には、真夏も、ネクタイをするのがエチケットではないか。いや、こんな真剣な話は、ここではそれこそエチケット違反だ、まちゃみん的に。

うんこで、もうひとつ話をしたい。まちゃみんは社会に対して怒っている。ホルモンは、何パーセントかうんこを食ってることにならないだろうか。うんこそのものを食ったことはないが、うんこを食ったら、こういう風味なんじゃなだろうか、という風味がしてると思う。うんこをバカにするやつがホルモンを食うことをまちゃみんは許さない! だって、あれって、もうほとんどうんこになってるうんこの通り道の皮なのではないだろうか。こんなことばっかり書いていて怒られるかなあ。

それにしても、たとえば、まちゃみんのうんこが出ている瞬間が公開されたら、なんにも起こらない、とも思うが、実は、需要があり、まちゃみんのうんこシーンが高値で取引きされたら、どうだろう。なんの需要かはわからないが。

まずい。まずいぞ、この前、まちゃみんが言っていた、もっていても、意味のないカネはその人のものじゃない、と言っていたことと矛盾してしまう。なぜなら、これを認めてしまえば、自分のうんこが出てくる瞬間は自分にとって価値がないが、もし、それが必要な人がいれば、その人にいくようにするべきだ、ということになってしまうからだ。まちゃみんは、積極的に、まちゃみんのうんこをしているところを公開せよ、ということになってしまう。ただし、まちゃみんには、うんコピーライトがあるはずであり、つまり、その事務手続き費用くらいはまちゃみんに入ってこないのは悪いのだ。それを作ったのは俺だから、俺のものなのだ。でも、この立場の場合、村上さんの主張と同じで、うんこを(して、その映像を売って、金儲け)することは悪いことですか、とかなってしまう。

ということで、全然わけがわからないことになると思う。

アメリカと日本の関係もきっとそうなのだ。話の構造はまちゃみんの中では全く同じだ。局地的なことを言ってるから良くないのだ。冒頭のことを踏まえること、それ以前にそれがあることが啓蒙されてないのがいけないのだ。あえてパンツが見えるようなスカートをはいているコギャル自体に何もツッコミが入らないのと同じ構造なのだ。まずツッコミを入れるところを間違えてるのだ。そこがまちゃみんがイライラするところだ。まずは、善し、悪し、から始めてくれ。

何か、まちゃみんはだいぶ間違っている気がする。うんこの話ばっかりになってしまった。けど、ある程度意味が通る文章になってしまったような気もする。だって、ほんとにタイトルのことを書いてみたかったんだもん。小手先になってしまった。ほんとはもっとファンキーなのだ。

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