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2006年6月14日 (水)

ずっと風邪がなおらない

ずっと風邪がなおらない。これはこれまでだと、秋口の現象なんだけどね。ダルイ。今日は休もうか、とか、毎日起きたとき、そんなことばかり考えている。今日などは漏らしてしまった。なんでかわからない。もう、わけがわからない。

福井総裁が村上ファンドに投資していた、と。ぱっ、と話を聞いた感じでは情報の出所がわからん、ということと、やっぱり、このワールドカップの時期にぶつけてきてるんじゃないか、ということがポイントなんじゃないだろうか。この話は。この前、このホリエモン、村上ファンドの一連の件でふっと思ったのは、90年代後半のバブル崩壊の時と、投機の対象が変わっただけで、同じ現象かな、と思った、ということ。でも、やっぱり今回のはそんなもんじゃないかもな。いわゆる格差社会、というやつで、あくまで、カネ持ってる人同士でごちょごちょやってる、と。

カネがあるところで、カネを持ってる人の間で、もう、あとはいくらあっても何に使うかわからんようなものの大小を競っている、というか、取り合いしてる、というか。

まちゃみ思うに、カネは腐らんのがよくない。腐ったらカネとしての役割もなくなるのかもしれないけど、腐らないから、腐る前に使ってしまおう、という発想にならない。たいていのものってそうじゃないだろうか。だから、要は、腐る、陳腐化する前に使ってしまおう、と。それで、循環するんであって。でも、カネは、持ってるのに、あっても困らないから、まだ、集めよう、ということになる。

でも、カネはあの世には持っていけない。で、さらに血縁に残すこともできん、と。橋本さんの本(ぼくらの資本論―貧乏は正しい!  貧乏は正しいシリーズ。4冊くらいあったと思う。題名からしてこれっぽい)で読んだけど、日本は、相続をできなくした、と。制度上。あ、思い出した、確か、それは、戦争に負けたとき、やっぱり、アメリカの考えで、日本が資本を集約して、挙国一致で戦争ができた背景のひとつに、血縁による財産の相続が根っこにあった、と見たから、その制度を壊そうとした、と。で、制度を変えました、と。生まれによって、生まれながらに持つものと持たざるものの差が出ないようにした、と。だからあの世に持っていけないことはもちろん、血縁のやつに残すこともできなくなってる、と。

村上さんに関しては、やっぱり目立ちすぎたのがよくなかったんだね、きっと。個人で使えないほどのカネを持つことに意味があんのか、と。あと、原則として、上げることそのものを目的としてたでしょ、ってことだよね、ほんとにざっくり言っちゃうと。ほんとは、カネそのものを扱う人というのは、カネがあれば、なんとかなる人のところにカネが動くようにする、という裏方のはずだ。それが、カネでカネを増やす、ということ自体が目的に見えちゃった、と。ということを目立っちゃったがゆえに、思われるようになっちゃったんだよね、きっと。集めるんだったら、それだけじゃなく、ある意味、配れ、と。それだけの膨大な量のカネというのは、すでに、みんなのものだ、と。全然理屈になってないかもしれないけど、お前が持っていても意味がないものはお前のものじゃない、と。カネそのものには、ほんとは、価値がない。カネをまわす、っていう事務手続きにだけ報酬を発生させるようにしないとダメなんじゃないか。

いや、でも、うちの親父なんか、新潟で、たぶん最も地面が高い時に、地面を買ってる。でも、そんなに破綻してないよね。でも、明らかに、高いときに買ってる、ってことでいえば、その代わりに、儲けてるやつがいる、ってことだ。ほんとは、そんな値段しないものだったならば、特に。そういえばうちの親父なんかは、その辺、割とクールなところが面白いよね。実際のところがどうか、は別として、あの時代は公務員は、給与が上がる時期で結構得だった、自分は、そこそこツイてた、とか言ってる。家も建てたし、子供も大学にやった、と。退職して、カネは残らんかったけど、年金もあるし、暮らしていける、と。まあ、本人がそう思ってればイイだろう。幸せなんて、本人の中にしかないと思う。

この前、内田さん(の本は何冊か読んだけど、先生はえらい ←この本は特に読みやすかった) のブログは面白かった。与ひょうの話。鶴の恩返しの話だ。反物はコストゼロの打ち出の小槌から出たものではなくて、実は、鶴の命そのものをコスト化したものだと。

もっと茫洋とした話のつもりが、なんかそれなりに、一本道になってしまったような気がしないでもない。言葉、って怖い。

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