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2006年6月

2006年6月30日 (金)

お笑いウルトラクイズが戻ってくるらしい②

普通のウルトラクイズ = 日本テレビ = 元気が出るテレビ = たけし&テリー伊藤 = お笑いウルトラクイズ、っていう、きっと、こういう関係だね。テリー伊藤なんだあ、っていうことに関しては。

いや、ほんとに楽しみなんだわ。ということで、メモ。

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暑い。暑い。暑い。

また、今日、車のなかで意味もなく泣いてしまった。最近急にメソメソしたりする。夜中ばっと起きて、怖い、という感情でいっぱいになったり。

アト付けだけど、生きてる、ってことの実績もないまま、朽ち果てる、という方向にじわじわ向かってるのが、なんか悲しかったらしい。子供連れて歩ってるナオンとかがいっぱい居てさ、客のとこに向かう道すがら。

もっと自分を肯定したいぜ。弱気すぎるぞ。なんでも、自分のせいにして。もっと世の中のせいだとか言ってスネる位のいい加減さが欲しいよ。弱気すぎるよ。

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2006年6月29日 (木)

お笑いウルトラクイズが戻ってくるらしい

メモ。

今日、テリー伊藤ののってけラジオを聴いていたら、来年の元旦に向けて、今、打ち合わせをしている、とのことだ。すげえ楽しみ。

とりあえず今日言ってたのは、アナコンダ対芸人対決、どっちが、どっちを飲み込むか、という企画だった。相変わらずバカバカしいことをやってくれそうだ。ほんとに楽しみ。

それにしても、テリー伊藤が関わってたんだね、お笑いウルトラクイズ、って。そう言われてみれば、どーりで、だ。

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東京60WATTS 新アルバム「clover」感想

clover Music

アーティスト:東京60WATTS
販売元:エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ
発売日:2006/06/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

東京60WATTSの新アルバム「clover 」はイイ。とってもイイ。というわけで感想なのだ。

◆第一印象

・「月夜にムーンウォーク月夜にムーンウォーク 」(東京60WATTSの前作)のようなキャッチーさ、というか、わかりやすさ、は感じなかった
・一発目で良い、と思うような性質のもんじゃないな、と。長澤的には、ビートルズ「ラバー・ソウル」 で、ポールの「ミッシェル」は初めて聴いたときにすんなりイイ、と思い、ジョンの「ガール」は、後から、じわっとイイなあ、と思えてくる、という、ジョンの「ガール」のようなものになるかもしれない、と思った
・全体的に、非常にベースが聞こえてる、ってことと、すっきりした音になってるな、というのが第一印象
・ある意味、さっぱりしすぎ?(あくまで第一印象)
・ドラムがドカドカしてないからだと思う、これまでの東京60ワッツの音作りに比べると
・こんなこと言うと怒られるかもしれないけど、すごく歌がうまくなった

◆現状の印象(聴き始めて1週間位。cloverばっかり)
・めちゃめちゃハマってる。サザンオールスターズ「キラーストリート」+ベスト以来どえす、こんなにハマってるアルバムは。自分たち(ランブリン)の音源を除けば
・はじめ、バンドサウンド?(特に、クローバーがあまりにもさっぱりしてたので)を意識してんのかな、と思ってたけど、実は、色々やっていて、聴くごとに面白い
・「クローバー」はやっぱりこのアルバムの頭、1曲目を飾る曲だな、と。詳細は「曲ごとの感想」に譲るけど、この曲を1曲目にした大きな要素のひとつに、歌詞、ってあると思う
・あと、やっぱり、今回は、全体的にすごくベースが効いてる、と思う
・あと、やっぱり、全体的に演奏がまたさらにうまくなってる、と思った
・聴くたびに、こんな音をここで鳴らしてたんだ、とか思う。だもんだから飽きないんだよね
・曲の構成もすげえ考えられてる、と思う。ブレイクとか、すごく効果的で気持ちイイと思う。あと、自然にジャズ調な間奏が入るところとか、ほんとに引き出しが多くてオモロイよ
・あと、歌うまくなったな、と。オレが言うとナマイキだけど。そんで、楽曲と溶け合ってきた、というか。前までは正直言って、ボーカルが浮いてるみたいなとこがあったと思う。がちゃがちゃしてた、というか(もちろん、あえて、だったろうし、また、このアルバムを聴いて、前のアルバムを比べると、という条件付きで)
・ほんとに積極的な意味で、アルバム1枚が30分弱、て、ほんとにイイと思う
(俺だけかもしれないけど、60分とか長い、と思う。ほんとのほんとのイイ曲ばっかり並べれば別だけど、それってやっぱり難しいと思う)
・悪い意味じゃなくて、なんか無理やり、3000円で、そうすると、時間は、1時間で、そうすると、捨て曲?、というのも入っていて、10曲とか15曲入って、無駄に長くて、結局聴かなくなる、っていうアルバムになってなくて、ほんとに良かった

◆曲ごとの感想
1.クローバー
俺、ほんとに歌詞はあんまり関係ないほうだけど、4つ揃ってることが良いという前提のクローバーに対して、そのクローバーの4つめの葉、と、実際の幸せを掛けて、1つ欠けてる位がちょうどイイ、って、歌詞。これホントにイイよ。じんわりくるよ。これだけで、1曲目の価値がある、と思う。っていうか、歌詞はあんまり関係ない俺でも、歌詞で1曲目にしたんじゃないか、と思うほどだ。あと、構成がすごくイイ。「あとひとつ足りないくらいが良かったんだね」以降の構成がすごくイイよ。押したり引いたり。もう一回聴きたくなる感じ
2.ファンカブル NO.5
ほんとのほんとの一番初めに聴いたとき、曲の真ん中の後半から、佃のギターのフレーズで、あ、これって、ABCだ、と。そう思ってたら、そのあと、ABC、って実際、歌う、という。やっぱりね、って。なんか勝手に、俺だけに、こういうタイミングで気づけよ、って発したメッセージか、ってカルト宗教か、ってな自己満足感を感じさせてくれた。Aメロは全然ABCじゃないから、気づかなかった
3.ブルーベリーブルー
これは、もう、オレ的には、主にたくおさんなんだと思うけど、たくおさんのファルセットのコーラス、と、大山さんのベース、この2つが聴きどころ。あと、忘れちゃいけない、間奏の佃のギターと、そのあとの大山さんのベースで、高いところに行くフレーズだね。イイ。
4.あじさい日記
これは、間奏のジャズ調になるところが、すげえカッコイイよ。アコギもいい音だしね。あと最後の方の間奏のたくおさんの鍵盤もイイ。って、間奏の話ばっかりだな。なんかイイ意味で大川のボーカルが全然気にならないんだよね。すごく一体感があるというか、溶け合ってるというか
5.サマータイムブルース
この曲、サザンのキラーストリートで言えば、2枚目の1曲目の、完全に、「ごめんよ僕が馬鹿だった」だ。曲調、とかじゃなく、なんちゅうの、位置づけ的に。また、ここで、すごくイイ曲が入って、もう一回、盛り上がる、って感じかなあ。この曲がこの位置に入ってるのが好き。この曲も、「クローバー」みたいに、最後のサビのところの、「あ~せりながら」のあとの構成がスキ。ということで、この曲は、クローバーと、双璧をなすイイ曲だと思うのだ
6.スイート・ホーム・ミュージック
この曲は、イントロのザ・バンドが、個人的に、嬉しいよ。そして、Aメロのレゲエ調のところ、スティービーワンダーみたいな鍵盤の音が心地よい。そんで、サビは心の旅でしょ。このごたまぜ感は確信犯だな、と思ってね、それが嬉しい。
7.チェリー
この曲、実は、前半は、佃のギターが大爆発だなあ、と思ってます。大川に悪いけど、前半は、佃の独り舞台だなあ、と。ひとつ、アコギのストローク。非常に気持ちイイ。あと、ひとつ、良い感じで歪んだ、自由自在な感じのエレキ。これが面白い。あと、こんなこと言っちゃ怒られるかもしれないけど、意外に、大川の声と合うね、この曲。あと、たくおさんの鍵盤のイントロとアウトロのやたら低いのが気持ちイイ。

ということで、なんだろう、月夜にムーンウォークみたいに、一発でイイ、と感じるわけではないんだけど、2、3日聴いてると、ああイイ、ああイイ、ってなってくるんだよね。もう、まちゃみん、ここんとこずっとこのアルバムばっかり。

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2006年6月28日 (水)

ノーモアブサイク

こういうところで、人目を意識して書くことのテンション、ってだいぶさがってると思う、20代前半のインターネットを始めた頃よりも。当時は、曲がりなりにも、ネットという、全世界に繋がってる(と勝手に、こっちが盛り上がっている)場に、文章を晒す、ということに、安い言葉で言えばロマンがあった。ほとんど真剣に読まれてなかったと思うけど、そういう場で、考えをオモテに出すことで、世界と対峙してるような気持ちが勝手に盛り上がってた、と。なんてね。

というのは、オオゲサだけど、結構文章って、書いてる過程で、こりゃ、やっぱ独りよがりだな、とか、冷静になったり、文章が先導して、何か、新しい、という感じがするものが生まれたりね。でも、今はとてもそうじゃない。学生時代の時みたいに、暇じゃないし、というか、暇は作ればあるけど、なんだろう、踏み込んじゃったら、デッドボールになってしまうかもしれない、関わらざるを得ない、アレコレ、を考えると、踏み込めないなあ、というのがあって、なんでもかんでも、っていうわけにはいかなくなってて、そもそも打席自体を選んじゃう、みたいなとこがあると思う。今や、なんでも経験、というガッツはない、という状態なのよね。

なんかねえ、オオゲサに言えば、文章を紡ぐ、みたいなことそのものが面白かったんだよね。そして、この発想は、新しい、とか、勝手に思い込める無邪気さ、とかもあったし。だけど、今や、新しいなんて、ほとんどないのよ、と、だいたい、わかっちゃったよ、と、少なくともオレにそういうとこはないよ、と。養老さんの本を読んだりして、これが、優秀、ってことなんだなあ、とか思ったりした。あと最近のブログの隆盛を見てるとやっぱり、俺がなんか、言うことの意味って、全くないな、と。砂漠に、スポイトで水をまくようなもんだね。無駄な抵抗というか、意味がない、というか。

仕事の忙しさ、とか、もちろん、あると思うけど、前のホームページの日記の量が少なくなった時期と、前の彼女と付き合ってた時期と、養老さんの本を読み出した時期、って、綺麗に順番になってるかもしれないな。脳に遊びのスペースが、何に使われてたか、って、こととイコールと思う。そう考えると、今は、音楽がそれになりかけてるけど、何か、イマイチ突っ込みきれてないんだと思う。まあまあ、すごーくいい加減だけどね。とっても、ツゴー良く、解釈してるけどね。それで、すごく嫌な感じがしてるんだと思う、空いてるスペースに何かを突っ込めてないことが。でも、実は、そこに何かを突っ込もうともしてないとも思う。ナニゴトにも、集中できない。

ちょっと前までは、悶々としたとき、とか、暇なとき、って、たいがい、本を読めば良かったんだけど、内田さんの本も、社会人のフトコロで、いっきに1万円以上も買って、ある、と思ったら、全然読めない。読めば読んだですごく面白いんだけど。食ったそばから、腹減っちゃうみたいな、食欲がなにごとにも今やないんだよね。これは、身体の変化よ。そんで、身体が変化しているけど、今の日本の社会が求めるポジションってものに、自分の今の年齢で、いるのだろうか、と。漠然とした不安感ってヤツよ。ほんとに辞めて、新潟に帰ってた方が良かったかもしれない。

違う、違うYO! 井の中の蛙だ、っちゅうことがわかった、ということだと思うよ。こういうところで、書けなくなってるのは。あとねえ、俺自身のことは、やっぱり晒せない、ってのもある。いや、晒しても、いいけど、それが面白いか、って冷静になってんのよね。前なんかむしろ、必要以上に自分をオトしめて、それが面白ければ、イイ、って感じだったけど、今やねえ。前は、無邪気に面白がれた、ってのがあった、と思うけど、なんか面白がれない。

それに、最近は、自分で、こういうところで書いてることを読み返してみて、書いてることは、ほんとに、養老さんとか、最近では、内田さんの受け売りでしかなくてね、やんなっちゃう。だから、俺がここでなんか言う、意味ってほとんどない。そういう人のものを読めばイイ。かろうじて、救われてるんじゃないか、っていうのは、単なる鸚鵡返しからは、逃れてるんじゃないか、ってことくらいかなあ。いちおう、なんか、俺の身体を通ってます、みたいなとこはちょっとだけあるかもしれない。でも、一方で、なんか、惰性で書いちゃう、ってのもあるかもしれない。なんか、どーせ日記を書いてんだから、さらそー、と。だから、ある意味、これにはまりかけてるのかもしれないな。

とか言っておいて、今、ひとつだけ、思いついた。これは、言葉にしてるのあんまり見たことがない、ってものが。それと、この土日の思いが絡みあう、ってことを発見した。人間、ってやっぱり動物です、と。顔であったり、声であったり、体臭であったり、それを含めてなんです、と。ブサイクは、ブサイクとして、扱われ、本人が知らないうちに、ブサイクの世界に住むことになり、自分がブサイクとして受けた、扱い、を、外界に返すんだよ、と。強調したいのは、本人は、それがどういうもんだ、って全然意識してない、ってことだ。自分にとっては当たり前のことだとしか思えない。というか、まずは、自分がどうだ、って検証するのもほとんどできないと思う。

本人って気づかないんだよね、自分を意外に客観的に見れないもんだと思うばい。いや、初めから、きっちり見れたら、たいへんだと思う。たとえば、まちゃみんのような、どんなブサイクでも、本人は、ブサイクだなんて、全然思ってないと思う。まだ、もっと自分より、ブサイクがいる、とかさ、ほんとに、ツゴーよく、絶望から逃げられるような発想になってる。ほんとにブサイクだとわかっちゃったら大変だぜ。生きていけないぜ。それが気づいちゃうときがあるんだよね。いや、この話はまた気が向いたときにしよう。どんどん離れていってる、本題と。

何が言いたいか、っていうと、わしゃあ、そういう発想をある意味しょうがない、というか、全く正しいだろう、と思ってる。そして、冷静にそこから始めないと、解決もない、と思ってて、そこで止まってたら、やっぱり、進歩はねーよ、と。そういうことだよ、と思ったの。今の瞬間は。ブサイクに対して、ブサイクに返す、というのは、自分も、そのブサイクと同じだったらいつまでもブサイクだ、と。相手にブサイクされたと思ったら、自分が相手に対して、ブサイクをしていて、それが返ってきた、と思わねーといけねーよ、と。相手は自分の鏡なの。どっかでブサイクの連鎖を断ち切らねばなんねーよ、と。どこかで、ちょっとでも上を向かないと、いつまでも、同じ場所で、グルグル回ってるだけだ。そのうちバターになっちゃうよ、ってなもんでね。ほんとに相手がブサイクだとしても、ブサイクにブサイクを返してたら、やっぱり自分もブサイクだ。登っていく螺旋にしなきゃいけねーよ、と。そーいうことです。ちょっと前向きやね。

でも、やっぱり、こんなお人よしでいいのか、とも思う。やっぱりわしゃあダメ人間だ。

前はもっと思いやりを持って書いてたし、結局、20歳そこそこの時に書いたことと同じことを書いてたことを今思い出してガクゼーン、だ。

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2006年6月27日 (火)

クシヤ

パソコンが直った。良かった。相当の出費を覚悟していただけに、これは、嬉しかった。

土日は、やっぱり、相当、打ちひしがれてた、と思う。

今の今、思うのは、やっぱり、会社的には、ヒトヤマ超えたのがあるということだと思う。そうだとすると、やっぱり、そんなもんか、と思う。なんのヒトヤマか、というのは、あるし、そのヤマ、自体の善し悪しはまた、別。脳にそういうスペース、そういうことを考えるスペースが出てきた、ということ。出てきた、というのは正確じゃないな。会社的な事柄が少なくなって、それまで、相対的に小さかったものが大きくなった、という。たったそれだけだよね。この善し悪し、という言葉、最近連発している。その辺の心理も今度考えてみよう。

東京60ワッツの新しいアルバムは、実は非常に良かった。すごくさわやかな気分になっていた。結局、実も蓋もない、というか、真実はそこにしかないと思うけど、ナニゴトも本人のなかにしかない。養老さんが良く出すたとえで、このたとえは、出し時が間違ってるかもしれないけど、CDから出てくる音自体は、いつだって変わらない、それについて、アレコレ考えてるのは、俺自身だ、という。それについて、良い、と思って、さわやかな気分になったり、はたまた、場合によっては、わしゃあ、なんで、ヘタクソなんだ、とか、嫉妬心が芽生えて、全然良い音に聞こえない、って思ったり、は、全く俺自身の問題だ。あいかわらず、CDから出ている音自体は全く変わってないのだ。俺自身がどう思うか、は俺自身の中にしかない。これも善し悪しじゃない。マトリックスじゃないけど、脳に直接、五感が何かを感じられるように埋め込まれたら、それが本人にとっての真実になると思う。俺は、ほんとは、へんなぐっちょんぐっちょんした溶液で満たされたカプセルのなかで、脳に電極を刺されて夢を見ているだけかもしれない。

土日、打ちひしがれてた。中学の時、クシヤってヤツがいた。当時の言葉で言えば、ヤンキーだ。正確に言うと、小学校でも1年間いっしょだった。なんか、急に当時の、感情が甦ってきた。人間としての、格、というか、そういうものを感じてしまう時がある。この土日は、そういうことを考えてたんだと思う。気合の入り方、と、気合の入ってるところ、とね。今、クシヤがどこで何してるかはわかんない。サラリーマンでないのは間違いないと思う。あと、さっきの話と同じで、実は、その気合、というのは、本人が発しているんではなくて、周りが勝手にそう思ってる可能性だってある。そして、実は、本人はそのギャップに苦しんじゃってる、とか。過剰に期待されちゃってる、ってやつだと思うけど。まあ、それは、別の問題だ。というか、そういうやつ、応えられるヤツ、って、頼られて、結果的に、それに応えて、頼ったやつにある程度の満足感を与えられるやつだから、まだ、光ってると思うんだよね。どんどん、話がずれていった。

でも、実際、俺はそう思ってたし、クシヤは、わかる人にはわかる、評価されてる人間だったと思う。卑近な例でいえば、ポテンシャルがあるんだから、例えば、優等生のなんたら君がいて、いいなあ、と、ああいう才能があればなあ、というような、そういう人間ではなく、つまり、クシヤになりたい、とは思わないけど、ルール無用の場で、要するに、こういう世の中、みたいな場面で、こいつには勝てないな、という感じがあったと思う。実際どうだかわからないけど、そういう雰囲気、ってもんがあった。持ち上げすぎかもしれない。昔のことが必要以上に美化されてるかもしれない。

そういえば、クシヤのけんかの仕方は面白かった。常に初めは殴らせるんだよね。殴ってる方は初め調子に乗ってるんだけど、クシヤは全然応えてないよ、っていう姿勢を示し続けて、しまいには、殴ってるほうが怖くなってくるんだよね。こんなに殴ってるのに、なんでへーきなんだ、って。で、反撃に転じると、後はもう、クシヤが一方的に攻めちゃう、という。もう、クシヤが反撃に転じたときには、相手は気持ちで負けちゃってて、勝ちようがない状態になってる。

クシヤをなんで覚えてるか、っていうと、そう、小学生1年の時、俺が一方的に、3年生にいじめられる、ってなった時、クシヤはいっしょに来てくれた。今思い出した。クシヤ、とそういうことがあった、ってことを。ことの顛末はよく覚えてないけど、俺は、当時、ドヤ街みたいな、ごった煮みたいなとこに住んでて、もう、なんか、そこの悪いのに、反感を持たれちゃんだよね。そんで、その3年生が集団で攻めてくる、っていうんで、俺は、相当びびってた。小学生だけど。新潟はその点、カワイイもんだと思うんだけど、道具でボコボコにされた、とかなくて、結局、中庭に呼び出されて、小突き回された、って程度だと思うけど、その時に、クシヤは全然臆することなくいっしょに来てくれたんだよね。全然、クシヤはこの件絡んでなかったと思うけど、なんか、そういう理不尽に対して、許せん、ってことで、来てくれたんだったと思う、たぶん。結局、向こうは、大人数で来て、当たり前だけど、クシヤも全然敵わなかったけど、クシヤの方が怒ってたもんね、確か。あいつらなんだ、とか言って。

この土日は、結局、なんか、そういうことを考えてた。格、というか、懐、というか。金曜の夜に、起こった仕事の件と、翌土曜の朝の、会社行事の件。全然、違う案件だったし、直接的に事件のようなものがあったわけではない。あくまで、俺のなかで、気持ちだけバタバタしてた、ということ。ただ、こういうところで、いくら屁理屈こねても、自分が一番良くわかってるよ、ってことを再認識してたと思う。あるいは、屁理屈こねた、として、それが、俺自身が、気にしない、とか言いながら、一番、気になってる証拠だ。いや、わかってなかったのを気づかされたのかもしれない。だから、動揺し、打ちひしがれてるのかもしれない。俺にない、っていう言い方はへんな感じがするけど、懐。俺のなかではこの言葉が一番しっくりくる。俺は弱い犬なんじゃないかと思う。もう一段上の人間になるための資格、がないんではないか、と。そして、それが何かわかったとして、やる気ないじゃん、と。

わかってる人はわかってる、ということだと思う。俺は、今回、結果でわかった、ってことだと思う。相手の対応でわかった、と。結局、なす術がなかった、顧客の要求に対して。ほんとにささいなことだし、どこまで言っても、理屈でいえば、顧客のほうが理不尽を言ってるのは間違いないと思う。そして、土曜の朝の件は、とにかく、土曜は、自分自身、誰にも会いたくないし、そういう状況に置かれてるのが悪いんだ、と思った。とにかく不機嫌だった。土曜はたいがいそうだ。もう、身体が、イヤ、と言ってるのが、俺自身わかってるし、そんな状態で人に会ったら絶対に伝わる。隠すつもりもない。そんでまた、そういう自分に嫌悪感を抱く。あくまで、頭の中でそれがグルグル回って、他が考えられなくなる。そんな生産性のないことに脳のスペースを割くんだったら、別のものに、っていうのは、わかってるし、そうしようと思うんだけど、どうしても、逃れられない時がある。そういう諸々を超えることが俺はできてないし、なにか、ほんとのところで、する気がないんではないか、と思う。やっぱり、元カノと別れた時から、なにかおかしくなってるんじゃないか、とか、それがグルグル回ってる。だから、どこまで言っても、やっぱり、俺のなかの問題だ。そして、それがイヤだった。単にダラダラしてるだけだな、と。そして、それを超えようとも思ってない。誰がどうだ、とかない、あくまで俺の問題だ。

ずっと、この土日それを考えてた。

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2006年6月25日 (日)

アメリカと日本の関係

受け売りだけど、日本は、アメリカの州のひとつ、です、と。
ほんとにそうだなあ、と。この見方をすると、たいがいのことがすっきり見えるんじゃないか、という予感がする。ということで、記録しておこう、と思う。以下は、関連して、まちゃみんが感じたこと。

ここを踏まえていないがために、余計なものが生じてる部分があると思う。狂牛病(ではない肉が大多数だと思うけど)の肉の輸入云々でこの話題、思い出したのよね。枝葉にこだわってしまってる、ということ。もちろん、日本はアメリカの州のひとつ、という状態(がそうだとして、それ)に対する善し、悪し、は、もう、全く別の問題だ。良い、悪い、ではない。ということですらなくて、今はその話をしてない。まちゃみんが言いたいのは、順番だよね。もしくは、ツッコミどころ、というか。というか、そもそも良い、悪い、という話すらないまま、状態だけはそれなもんだから、わけがわからんくなってるんだと思う。あえて、なのか、どうなのか、世の中は。

まちゃみは、ひとつ、思う。プライバシーの問題、というのがあると思うんだけど、これとすごく通ずるところがあると思う。何か、って、全体のなかでの位置づけがないまま、局地戦にばっかりなってる、というもの、という案件で、これらは同じだと思うのだ。そーいうことか。まちゃみん、自分で書いてわかったよ。

いや、なんかやっぱり全然違うかも。

コギャルのパンツを鏡で見て、捕まった人がいた。俺自身は、コギャルの、うんこが付いてるかもしれないキッタないパンツなんか見たくないので、見よう、という、この人の気持ちはわからないし、しようとも思わないが、それをやったからと言って、捕まることなのだろうか。

捕まった、というのは、何が原因だったのだろう。
パンツを見たことが悪いのであろうか。
それとも鏡を使ったことがいけないのであろうか。鏡を使わなければ見ることができなかったとするならば。
はたまた、そうしようと思った気持ちがいけないのであろうか。

パンツを見たことが悪いなら、なぜ、周囲はコギャルをまずは責めないのだろうか。構造的にほぼパンツが見えないズボンという選択肢がありながら、なぜそれを選ばないのか、選ばなかったために、一人前の大の大人が捕まって、さらしモノになる、という制裁を受けた、お前は悪い、とはならないのだろうか。百歩譲っても、鏡で見えない位、長い丈のスカートを、なんではかないんだ、ということではないか。あと、もっと直接的な解決法として、そもそもパンツをはかない、という方法もある。そうすれば、存在しないパンツを見られる心配はない。これが一番確実だ。

次に、鏡問題だ。スカートをはかずにパンツで歩いていたコギャルがいたとして、そのコギャルのパンツを見ても捕まるだろうか。あるいは、コギャルが自らスカートをめくって、見せられた、という状態においても、捕まるだろうか。あるいは、まちゃみん自身経験があるが、階段を登る時、ぱっと上を見たら、コギャルのあまりに短いスカートで、パンツが見えたということがあるが、これも捕まるのだろうか。いずれの場合も否、だと思う。これにより、パンツを見るだけでは捕まらないことが証明された。したがって、このシチュエーションにおいては、鏡自体が問題視されてるという見方が成り立つというのがまちゃみんの見解だ。鏡を使ったことが悪いとするならば、持ち運び可能な鏡が氾濫している現状を改善するための議論も同時にせねばなるまい。しかし、現代社会において、鏡はありふれたものであるため、解決は困難だ。そうなれば、当然化粧をするための鏡や鼻毛を抜くための鏡も禁止だ。鏡使用罪だ。鏡を使うこと自体が悪いのだ。若干の飛躍が許されるならば、持ち運び可能な鏡が簡単に入手できる現状の制度を改善せねばなるまい。法整備が現代社会の急速な持ち運び可能な鏡の普及に追いついていないのだ。どうだろう。

また、最後のそうしようと思った気持ちそのものがいけないなら、こういう気持ちを持たない人というのをどうやって発生させないようにし、また、もし、そういう人がいた場合、どうやってその人を特定するのであろうか。これを許せば、もう全員捕まってしまうし、誰かを捕まえたい時に、理由はなんでもイイことになってしまう、と思う。

まちゃみん自体は、極端な話、ほとんど隠すもんてない、と思う。だいぶ開けっぴろげだ。いや、正確でないかもしれない。そうあれかし、と思っている、ということかもしれない。ちょっと歯切れが悪いのは、まちゃみんも、そうは言っても、うんこしてるところとか実は見られたくないからだ。実は、でもないか。肛門からまさにうんこがムリムリ出てくる瞬間とか。あと、ほかにも色々ある。でも、恥ずかしいので書けない。ここが弱いとこ、強弁できないとこなのだ。ベンだけに。

さて、あんまり割り切った言い方はしたくないけど、何かって、本人がイヤだ、とアピールしてるところを、超えて、なんかをやるのがいけないんだと思う。って結論めいたけど、これも結論ではなくて、それだって、ほんとのほんとは意味がないことだと、まちゃみんは思ってる。まわりくどいけど、そこから話が始まってないよね、とまちゃみんはアピールしてるのだ。これが本題だ。っていうか言いたいのは、ここだけだ。つまり、こういうとこの話に行かないよね、わざとちゃうか、ということを今まさに身をもって、再現してるのだ。まちゃみんははこの文章における、まちゃみんの見えざる手だ。

うちの犬は平気で人前でうんこをしている。けど、まちゃみんは犬にうんこをしてるとこは見せない。何がいいたいか、というと、別にうんこしてるところ見たから、ほんとのほんとに何かなるのだろうか。あるいは、見られたとしてなんかなるのだろうか。中国では、便所に扉がない、と聞いたことがある。嘘かホントかわからないが。でも、それがホントウだとしたら、扉が付いたから、恥ずかしい、というふうになった、という可能性は考えられないだろうか。少しの気持ちの問題と、実際的な問題として、うんこ臭をもらさない、という目的がまず、あり、扉がまずは付けられた。そのあと、うんこをする時は、うんこ臭をもらさないよ、というマナー、決まりとして、扉が閉めるのがエチケットとなった。これがさらに発展して、うんこをするところを見られる=扉を開けている、という状態がエチケットに反する行為として恥ずかしいことと考えられるようになった。この可能性はもっと真剣に検証されるべきではないだろうか。

もっとまじめな例として、ネクタイは、ほんとうの目的は寒さ対策だった、と聞いたことがある。それが、昨今、クールビズの風潮があるとはいえ、実際今でも、サラリーマン的には、真夏も、ネクタイをするのがエチケットではないか。いや、こんな真剣な話は、ここではそれこそエチケット違反だ、まちゃみん的に。

うんこで、もうひとつ話をしたい。まちゃみんは社会に対して怒っている。ホルモンは、何パーセントかうんこを食ってることにならないだろうか。うんこそのものを食ったことはないが、うんこを食ったら、こういう風味なんじゃなだろうか、という風味がしてると思う。うんこをバカにするやつがホルモンを食うことをまちゃみんは許さない! だって、あれって、もうほとんどうんこになってるうんこの通り道の皮なのではないだろうか。こんなことばっかり書いていて怒られるかなあ。

それにしても、たとえば、まちゃみんのうんこが出ている瞬間が公開されたら、なんにも起こらない、とも思うが、実は、需要があり、まちゃみんのうんこシーンが高値で取引きされたら、どうだろう。なんの需要かはわからないが。

まずい。まずいぞ、この前、まちゃみんが言っていた、もっていても、意味のないカネはその人のものじゃない、と言っていたことと矛盾してしまう。なぜなら、これを認めてしまえば、自分のうんこが出てくる瞬間は自分にとって価値がないが、もし、それが必要な人がいれば、その人にいくようにするべきだ、ということになってしまうからだ。まちゃみんは、積極的に、まちゃみんのうんこをしているところを公開せよ、ということになってしまう。ただし、まちゃみんには、うんコピーライトがあるはずであり、つまり、その事務手続き費用くらいはまちゃみんに入ってこないのは悪いのだ。それを作ったのは俺だから、俺のものなのだ。でも、この立場の場合、村上さんの主張と同じで、うんこを(して、その映像を売って、金儲け)することは悪いことですか、とかなってしまう。

ということで、全然わけがわからないことになると思う。

アメリカと日本の関係もきっとそうなのだ。話の構造はまちゃみんの中では全く同じだ。局地的なことを言ってるから良くないのだ。冒頭のことを踏まえること、それ以前にそれがあることが啓蒙されてないのがいけないのだ。あえてパンツが見えるようなスカートをはいているコギャル自体に何もツッコミが入らないのと同じ構造なのだ。まずツッコミを入れるところを間違えてるのだ。そこがまちゃみんがイライラするところだ。まずは、善し、悪し、から始めてくれ。

何か、まちゃみんはだいぶ間違っている気がする。うんこの話ばっかりになってしまった。けど、ある程度意味が通る文章になってしまったような気もする。だって、ほんとにタイトルのことを書いてみたかったんだもん。小手先になってしまった。ほんとはもっとファンキーなのだ。

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2006年6月23日 (金)

新曲「性獣」

音楽の話ばっかりになってるな。でも、最近はそればっかりがまちゃみの楽しみだから別にイイや。

最近、ちょっと怖いのは、自分たち(ランブリン)の曲ばっかり聞いてる、ってことだ。怖い、っていうのは、引き出しが増えねえよ、ってことでね、他の音楽を聞かないと。でも、自分たちの演奏がオモロいから、聞かずにはいれないね。自画自賛だけど。よっぽど、3ピースになって、音が良くなったのかなあ。

今度作ろうとしてる曲「性獣」は、また今回もイイ。古川ヒデユキ兄貴作詞、菊池タケル先生(38)作曲による、地球環境問題を裏テーマとした、レニークラヴィッツ風、大和魂テイスト(菊池タケル先生(38)が注入)大炸裂のハードナンバーだ! 先週の練習でキックオフした作品。先週は、とりあえず、スタジオにて作曲者の菊池タケル先生(38)に、弾き語ってもらった。まちゃみは、録音して、今週、その弾き語りをずっと聴いてる。次回の練習以降、他の曲の練習との兼ね合いのなかで、どうしていこうか、ということになると思う。

ショージキ良い、と思った。あんまり身内を持ち上げると、ホントかよ、みたいになると思うので、あんまり言わないようにしようと思うけど、イイ。俺自身もどんな仕上がりになるか楽しみ、ってことだと思う。今回、俺のこれまでの引き出しにない曲だと思うんだよね。ベーシストとしては、ルートを追ってくだけでも、曲自体が面白いので、それなりになると思うのだが、これまでの俺にない、引き出しを色々加えて、コりたいわけですよ。結構、サザンとかも、ああいう曲調、必ず、アルバムに1~2曲、散りばめてると思うんだよね。ああいう、曲調、って言い方、随分漠然としてるけどね。まあまあ、まずは、そういうのから聴いてみようかな。

そうだ、東京60ワッツの新曲を早く買わねば!

あと、そうだ、我々のバンド、ランブリンについては、一回どっかで自己紹介したい。

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2006年6月22日 (木)

完全メモ

まちゃみんにアニキから課題が与えられてる。
ラスナイの、これまで、ギターソロだった部分の歌詞だ。
当初、ほんとに仮歌状態で、内田裕也風に「シェケナ、ベイベー、シェケナ、ベイベー、、、、」とか考えてたが、下の方が、意味がきっちりしてる。文法はあってないかもしれんが、知らん。雰囲気、雰囲気。
以下で、どうだろう。
そんで、ここハモッたらどうでしょう?
ビートルズで言えば、ハローグッバイだ。主旋律の裏で、追っかけコーラスをハモってる、というアレだ。「I say yes, but I may mean No,,,,」(歌詞テキトー)とかそんな感じのやつ。
アニキ、どーですか?

Sharpen it now, baby, Sharpen it now, baby, bringin' back it light!
(研げ、研げ、輝きを取り戻すために!)

あと、サビナイのアウトロ、「我愛 イ尓」(ウォーアイニー)、と入れたい。意味ない。前後の歌詞と全然あってないので。ただ、なんか、語呂があっており、入れたい。却下かなあ

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2006年6月21日 (水)

リッケンベースを交換してもらったまちゃみはタチの悪いクレーマーか?

Img_3582_2 去年の秋にランブリン結成することになった時、まちゃみ、ベース担当ということで、思い切って、高いベースを買おうと思ったのだ。まちゃみは、顔がブサイクなので、ベースをビジュアル系にして、ベースに目が行くようにして、ちょっとでも、まちゃみのブサイクぶりを目立たないようにしたかったのだ! 従って、ある意味地味なフェンダー系のベースはアウトオブ眼中だった。というのは、ほとんど嘘で、やっぱり、リッケンには、憧れてた。なんてったってビートルズ好きだからね。

それで買ったのがリッケンバッカー4003FGだ(ポールのは4001だけど)。ところが、これがヒドイ個体だった。とまちゃみんは、思ってる。というのは、これを買った楽器店であるところのS倉楽器さんの言い分は、これは、いわゆる仕様の範囲だ、不良ではない、というのだ。楽器店としての、立場もあると思うが、どうにも納得できない感があった。何があったか。大きく言うと、2つあった。

ひとつは、買って2週間位でネックが反ったのだ。初めは、若干、ビビる位だな、という感じだったが、徐々にビビりがひどくなり、それからしばらくしたある日、ベンベン言って、全く弾けなくなったのだ。そうなるまで1ヶ月かからなかったと思う。これは結局、1回持っていって、調整してもらい、その時は、直った。

そして、ふたつめ。気づいた、というか、S倉楽器さんの言い分が正しいとすれば、気になりだした、ということなのだが、1弦の出力だけがどうしても弱いのだ。アンプのトレブルを目いっぱい上げてもまだ、1弦だけが小さく、何もいじらないと、ほとんど聞こえない、という状態。これはおかしいと思った。いくら、まちゃみがベース初心者であり、技術がない、と言っても、それ以前の問題である、と思わずにいれなかった。2回目持っていった。説明は、別に普通の状態です、と、あえて言えば、もう一度、若干反った可能性があり、1弦がコモる、ということはあるかもしれない、ということだった。お前の弾き方が悪い、と言わんばかりだったが、再度調整してもらった。ところが、その調整をしたもらった後も、正直言って、改善した感じがしない(だから、逆にこういうものなのか、という見方ができないことはない。正直、今、結果的に変えてもらった今のリッケンも1弦が小さい、という傾向がないこともない)

でも、そもそも一回ネックが反って持っていったところで、だいぶ疑心暗鬼になっている。新品がすぐに、はっきりわかるくらい反る、なんてことがあっていいのか、と。で、3回目持っていった。S倉楽器さんが言うには、そこまで言うなら、別に不良品じゃないけど、きっちり、工房で全部見て、調整します、預からせてくれ、とのことだった。でも、戻ってきたものを弾いても、1弦の出力が弱い、ということについてはまったく変わった感じがしなかった。そして、若干弦高が高くなって、持った感じゴツゴツした感じになったような気がした。1弦の出力の弱さはあいかわらず気になったし、弦高が高くなって弾きにくくなった感じがした。

それよりも、こんなに、頻繁に手入れが必要だったら、ちょっと付き合いきれない、という思いになった。それで、そこまで、このベースが不良でない、と言うなら、代金を返してくれ、俺もベースを返す、おっしゃる通りのきちんとしたベースだったら別にイイよね、と、俺だって、交通費払って、こんなに何回も来てらんないよ、と言ってみた。それについては、やっぱり、カネを戻すことはできない、と、そんなに気になるなら、現品を交換します、とのことで、受け入れてくれた。それで、交換をお願いした。結局、厚木から、御茶ノ水まで計4回通って、違うリッケンになった。

繰り返しになるが、ポイントは2つ。すぐ、ネックが反ったこと。そして、1弦の出力がどうしても弱い、と気になってしょうがなかったこと。リッケンバッカーのベースを買うくらいなら、それ位のメンドウを見るのは普通のことなのだろうか。こういうところ、詳しい人がいたら是非教えて欲しいものだ。もう、交換して、今のリッケンはだいぶ気に入ってきたけど、それでも、やっぱり、1弦は小さいような気はしている。そして、反りは、あれから、ない。

もしS倉楽器さんが言ってることが正しいとすれば、まちゃみはタチの悪いクレーマーだ。実際のところどうなのか。今のリッケンも若干、1弦に関しては、出力が小さい気がしているが、まちゃみの実感では取り替える前のリッケンの1弦はもっと小さかった。もっと経験のある本当のベーシストとかリッケンオーナーとかが弾いて、まちゃみのリッケンについて、どういう感想を持つのか聞いてみたい。もし、やっぱり、1弦の出力が小さいんだったら、取り替えてもらう前のリッケンは、もう真っ黒の不良品だったと思う。

まちゃみ程度のヤツが、ベースをS倉楽器さんに取り換えさせちゃダメかなあ。例えば、試し弾きの時にそういうのを見破って買うな、と、そういうことなのかなあ。俺、ほとんど、疑ってなかったからね。だって、ビジュアルで買ってるんだもーん。でも、1弦の出力とは別に、買って一カ月かからないうちに、反ってほとんど弾けなくなるって、それも試し弾きでわかるもんなのかなあ。そして、こういうことって良くあることなのかなあ。まちゃみは、俺も文句を言ってイイんではないか、と思ってる。安くない買い物なんだから。すごく後味悪い。S倉楽器さんの対応にはそんなに強い不快感があったわけではない。結果交換してもらってるからね。でも、腹では別のことを考えてたかもしれない、って思うとね、ほんとのところがどうなんだ、ということが知りたい。細かいけど、まちゃみんの交通費は、補填してもらってないからね。違う。そーいえば、最後交換してもらったとき、ベースの弦もらったんだ、1セット。ここになんか微妙な心理が出てるような気がする。

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2006年6月19日 (月)

電気楽器の音作り

「うーん、今日は、なんか、久しぶりに、普通の1日だったような気がする。ここ最近、いかに普通以下の日が続いていたか、と。しかし、その普通、ということがいかに貴重か、と。無事これ名馬だな、と。」

ということを先週末書いていた。先週はそうだったかもしれない。しかし、今週はグリグリ来る可能性がある。用心しておこう。

仕事的には、出張に向けたまとめ、あと、先週末同期会があったので、若干ぶん投げた分(納期一覧の修正、ラグビー部関連等)を早く対応したい。今週は事業部に行って、砕けてきたい感じだ。で、予定を見ると、定時後の予定が入っており、月曜しか無理できない。週の頭からたいへんだな。

さて、ランブリンの練習。今回の録音は、相当良かった。ベースの音量がジャストで、非常に聞きやすい。

そしてそのベースになっているのは、今回は、ベースの音色を結構思ったように、出せた、ということにあると思う。すごく気持ちよかった。ということで、今回は、その音作りについて考えてみたいと思う。原因は以下、と思う。

①ベースに付いてる切り替えのスイッチの意味だとか、ようやく、本当にわかってきた
②自分のリッケンベースのクセの対応ができるようになってきた → トレブル側(1~2弦。特に1弦)が相対的に出にくい。今だにこれは、不具合に近いもんじゃないか、と思ってるが・・・
③アンプのイコライザーの調整の加減(例えば、ベースをこれ位上げると、どれくらい、よりブリブリする、とか、トレブル上げると、ガリガリする、とか)の感覚が若干ついてきた

でも、横アリのBスタのべーアン限定。他のアンプだと、途端に加減がわからなくなる、ということに関しては、変な自信がある。ベースの音量の話と一部音作りの話を書いたのは先週だけど、1週間で、こうだ、と思ったわけではない。こういう感覚に到達するまで実際は長かった。5月の頭のマディー(飲み屋。不定期に演奏させてもらってる)のライブ以降、バッタもんヴァイオリンベースを一旦置いて、リッケンバッカーを使うことにした。このリッケンはメンバーには不評だったし、購入当初色々あったいわくつきのリッケンだ。で、ずっと使ってなかったのだ。バッタもんヴァイオリンベースは、ツマミとかが少ないため、逆に何もいじれなかったことと、繰り返し、で、アレだが、このバッタもんヴァイオリンベースを使っていた頃は4人だったので、うるさくて、自分の音がはっきり聞けなかったのだ。やはり、3ピースになって自分の音が良く聞こえるようになったのは大きい。

①については、それでも、まだ、「TONE」の意味がわからない。「音質調整の事。トレブル、ベースの調整ツマミで高音域、低音域の増強、減衰を調節し、周波数特性を変化させる。」とか、ネットで調べた音楽辞典に書いてあるけど、まちゃみのリッケンでTONEのツマミをぐるぐる回しても、正直、音が変わらない。でも、スイッチの意味は、わかった。ピックアップがネック側とブリッジ側に2つ付いてるんだけど、どっちかの音、もしくは両方を鳴らすか、ということを操作するのに使う。ピックアップは前者がフロントで、後者がリアだ、というのを、実は、今、ネットで調べてわかった。あな、おそろしや、まちゃみん。今までそういうことがあいまいなまま、話を合わせてたのだ。あな、おそろしや。さて、その、リアとフロントだが、ブリッジ側だと、ゴツゴツした音になる。この辺は、アコギでも、ブリッジ側だと、カツカツした音になるのと同じことだと思う。逆に、ネック側だとまろやかだ。こういうことが実感を持ってわかってきた。

我々の曲でいうと、ブギーマンは完全に、リアでゴツゴツした音にしたい。歯切れ良い音色にしないと何をやっているのか良くわからないフレーズのリフ(リフレイン? 繰り返しのフレーズのことを言う)なのだ。モコモコしてしまうのだ。あと、アイアンヘッドもその音にしたい。今は、実はできてない。アイアンヘッドは、この曲のテーマの通り、ハーレーダビッドソンのエンジン音のような骨太な音が欲しいのだ。ドゥルドゥルいってる感じ。それが欲しい。2回位前の練習の時、たまたまそういう音になっていた。音だけはかっこいい。それをいつでも再現できるようにしたい。

そうすると、こういう使い方がアリなのかわからないが、予め、リア側、フロント側で、音量を調節しておいて、その設定を変えずに、リア、フロントのスイッチで、この曲は、リア側、とか、この曲は、フロント側、とか、切り替える、ということはアリなのかもしれない。どうなんだろう。あまり一般的なやり方じゃないのかな。リアの方が音が小さいような気がしている。

②については、いまだに楽器自体不具合あるのではないか、ということを若干疑っている。実は、まちゃみの今のリッケンは全く同じものを交換してもらって2本目なのだ。これについては、今だに、若干、すっきりしない部分があって、わかる人がいたら聞きたいので、今度、また書こう。サワリだけ触れると、買ってすぐ問題が2つあった。すぐにネックが反った、ということと、1弦の出力が弱いのではないか、ということ。初めに買った1本が1弦が全く出ず、換えてもらったものの、2本目もまだ、弱いんではないか、と思ってるのだ。同じようなロットだと思うので、同じような傾向があるかもしれない、と疑ってる。とにもかくにも、1弦の出力が弱い、と感じてる。なので、トレブルを上げるのだ。こうすれば、4本の弦のバランスは取れる。

③については、若干希望的観測も入ってる。今回は相当思うとおりだったが、一応、今日書いてることも前から、理屈では、なんとなくわかってたことだ。でも、きっちり思うとおりに行かないことが多い、という。だから、徐々にその辺が感覚的にわかってきた、と思いたい。この前読んだ本で、イコライザーは、欲しい音域を上げるのではなく、それ以外を削る、という感覚、が正解、とか言ってたので、それを意識してる。そうすると、結構うまくいくような気がしている。あとマスターボリュームに対しての、ベース、ミドル、トレブル、それぞれのツマミの加減とかもあるんではないか、と思ってる。マスターがあんまりでかくなりすぎると、そういう細かいところがかかりにくくなる、というのがあるんではないか。やっぱり、色々経験しないとダメな分野だね、きっと。理屈だとすごく当たり前なんだけど、実はこれは、身体で覚えることのような気がしている。

ということで、音作り、をテーマに話したい、と、たいそうに思ってたけど、そんなに複雑なことじゃなくて、俺のわかってることなんてたかだか上のことくらいなんだね。ベースのツマミの役割とアンプのイコライザーの調整、そんなもん。でも、すぐできるか、と思ったら、意外にムズイ、という。学生の時に、MTR(マルチトラックレコーディング。同時に録音ができるので、ひとり多重録音ができる)でビートルズの曲を一人多重録音していたときに、ボーカルを埋もれさせないように、イコライザーのトレブルを上げる、とかやっていた、位の知識がベース。実際、これも正しいのかどうかわからないが、経験的にはそうだった。あんまりやり過ぎると、キンキンしちゃって良くない、という。それ位の経験からあんまり進歩していない。

でも、今なら、クラプトンが、マーシャルとレスポールの組み合わせを世に広めた、という、そういう話を実感を持って共感できる。いや、例えば、じゃあフェンダーアンプとレスポールの組み合わせだとどういう音なのかわかるか、ということではなくて、ギターはもちろん、アンプも音色というものに深く関わるもんだ、ということに実感を持って、そうだ、と思うようになった、ということ。きっと、マーシャルとレスポールの組み合わせは気持ちよく歪むんだと思う。ちょっと前の俺は、そういう話は真剣に聞いてなかったし、考えてなかったけど、電気楽器をやってみると、そういうのは間違いなくあると思う。

ということで今回の話は、全然万人受けしない話だなあ。完全に俺自身のメモ。こういうことを話題に電気楽器の分野の機材に詳しい人と話がする機会が、今後あれば、嬉しいな、と思う。それにしても、全然個別の曲の反省ができなかったな・・・。

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2006年6月17日 (土)

衣替へ~

新しいアキバ用語。

衣替えしたナオンに萌える、と言う状態を指す。萌える、の意味、用法は既知の通り。「へ」は、脱力するイメージを描きながら発音する。

とか言うバカバカしいことを、なんの考えもなく、書いてみたんだけど、この状態って結構あるかもしれぬ。いや、あったかもしれぬ。中学、高校の、なんの疑いもなく、ナオンにただただ純粋に夢を見ることができた頃の自分に戻りたい。

昨日、同期10人と酒を飲んだ。うち4人が結婚していた。どこかで書いたと思うけど、やっぱり結婚はイキオイだと思う。そのイキオイをつけるのは、きっと性欲だ。性欲という言葉にゴヘーがあれば、若さ、だ。結婚してる同期は、100%ではないけど、まちゃみのこの意見にオオスジ同意してくれたと思う。一種の躁状態になければあんなめんどくさそーなことをやろうとするだろうか。その先のもっとめんどくさそーなことに入るためのめんどくさそーな入り口を通過しよう、とするのはイキオイじゃなければなんだろうか。むしろ、自分でシガラミを作ろう、という非常に前向きな行為だ。だから、だから、なんだけど、こんなこと言ってる時点で、ダメなのだ。まちゃみのことは、頼むから、結婚できないまちゃみ、と言わないで欲しい。望んでるのにできないのではないのだ。そもそも望んでないのだ。でも、そういう自分の前提でしか話せない他人にも私は寛大な心を持って接していこうと思うのであった。衣替へ~。

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2006年6月16日 (金)

3ピースの音(音量)

バンドの音の話。最近、3ピース(3人編成ということ。ランブリンでは、楽器はgui、bass、Drで、全員がヴォーカルをとる)になって、自分の音がだいぶ聞こえるようになった。 前の時の4人の時のことをほじくり返すわけじゃなく、純粋に、正直言って、(3ピースになってそうでもなくなった部分はあるにしても)、ボーカルってあんなに埋まってしまうもんだったかな、と、思っている。それは、学生の時のスタジオと比べて、なんだけど。学生の時にスタジオ入っていたときの印象だとそんなに埋まってなかった印象なんだよね。場合によったら、もっと楽器多かったケースもあったと思うけど(今のランブリンの編成に加えて、学生のときはさらにキーボード2つ、とかあったような気がする)。

最近、とにかく、電気楽器で重要なのは、音量のバランスだと思うようになった。 あと、音作り、というのも重要だなあ、と。これは、別の機会で、話してみたい。 アコギとかだったら、ある程度、ここのレベルに達してるじゃないか、ってのは、あるけど、電気楽器はまったく、これが素人の質問なのか、一般的な質問なのか、今の時点での感触であって、どこまでそうなのかは全くわかんない。自信ない。

バランスと言っているのは、スタジオでの練習を録音して聞いていて、非常に、各楽器の、各楽器に対する相対的な音量の差が大きくて気になる、ということ。わずか3ピースで。きっと、すごーく基本的なことなんだと思う。そして、今の3人のなかで、俺が一番、その調整ができていないように聞こえる。つまり、ベースの音。ベースの音がうるさすぎたり、逆に聞こえなかったり。それが激しい、と思う。

ここ最近1ヶ月位は、どちらか、というとベースの音は、大きいほうに振れてると思う。それは、この前のマディー(飲み屋。不定期で演奏させてもらってる)のライブで、やたらベースが小さめ、という回があったための反省の作用だ。それで、これは、今後、若干、ベーシストとしてのエゴを押し出させてもらって、音を大きくして良いんではないか、ということで、練習でも音量を大きめにするようにしてる。そうすると、録音したのを聞くとやや大きい、から、割れちゃってる、くらいが多い、と。録音なので、実際、聞くのとは、聞こえ方が違うのかもしれないけど、ベースの音量の増減の激しさは大きい。

そうすると、音量の調整をせよ、という話になると思うんだけど、もちろん、ここ最近その辺は、意識してるんだけど、難しい。音量をいじれるところは、3つ、と思う。アンプ、ベースについてるボリューム、弾き方。たぶん、アンプ、ベース、弾き方の順番で、微調整をしていくんだと思う。それが、ベースのボリュームの調整がままならない。急峻すぎる。ボリュームのつまみを回していくと、あるところで、ぐっと大きくなって、という感じ。だから、微調整ができない。で、特にベース歴、半年のまちゃみとしては、余裕がないから、さらにそんな急峻だと、演奏しながら、とても調整できねえ、と。ということは、やっぱり、アンプの方を絞りめの方が良いのかな。そうしたら、ベースのほうでの調整がなだらかになるような気がするんだけどね。この辺は経験かも。

あとは、機材のせいにして、リッケンバッカーの特性とか、そういう可能性もある。そうだ、リッケンバッカーで色々、グレーな不具合があって、無理行って、ベースそのものを交換してもらった話はまたどっかでしよう。ポールがヘフナーの次のベースとして、どれにしようか、って迷ってたとき、やっぱり、リッケンにしようかと思ったけど、リッケンベースは扱いが難しいから止めとけ、って言われた挿話を知ってるまちゃみとしては、リッケンベースのせいにするのもアリかな、と。

それに加えて、こんなとこで自慢げに言うことじゃないけど、ベースそのものを初めとした機材の知識もわしゃあ、ない。どっかで調べようとは思ってるんだけど、調べる前にここに書いちゃう。だって、まちゃみの、リッケンバッカーはね、スイッチ1個に回転のつまみが4つついてるんだけど、そのうちの2つのつまみの「TONE」というのが何の役割をしているか、知らんもんね。この「TONE」のつまみはぐるぐる回しても、どう変化してんのか、わかんねえ。ほんとに何なんだろう。調べてここで発表しよう。自作自演のマッチポンプだけど。

それにしても、電気楽器は、、、などと言ってしまうのは、どうしても、生楽器というのがまちゃみの場合、基準になってしまう、ということによる、と思う。なので、生楽器に対して、電気楽器、なのだ。というかアコギ? 学生の時、アコギの音楽サークルにいた。アコギをやっていたときに常々思ってたのは、とにかく技術がないと、素人の場合、なお、聞けない演奏になってしまう傾向があるということだ。 アコギで主にやってた時は、もっと以前に、技術の問題が、より気持ち良い演奏するための課題に思えた。要は絶対的に技術が足りない=ヘタクソが課題、という、身もふたもない結論であって。それに対して、電気楽器は、なまじ音が出て、こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、音量でごまかせる部分があると思う。ヘタさがアコギより目立たない、というか。学生の時からそう思っていた。ドラクエのようにデジタルな経験値があるとしたならば、同じ経験値であるなら、電気楽器の方がよりうまく聞こえる、ということはあるんではないか、と思っていた。

アコギの弾き語りってすげえ難しいと思う。色々おかずが入ってたりするのを聞くのはまちゃみ、非常に好きだ。ひとつのジャンルだと思う。最近、テリー伊藤ののってけラジオで弾き語りのコーナーをやっていて、たまたま何回か、聴いたんだけど、その思いを強くした。100%その人の色が出るなあ、弾き語りは。それがとても面白い。そう来るかあ、ってのがダイレクトにわかるんだよね。伝わってくる、というか。弾き語り、が、なんか、そういうひとつのジャンルとして、もっとなんか、注目が集まれば良いのになあ、と思ってしまう。

話は戻って、そういう素性によって、音作りの好き嫌いの傾向、もっと大きく言えば、文化、ってのがあって、その育った畑の違いが、冒頭のように感じてしまう原因なのかな、というのもあるかもしれない。なので、善し悪しではない。全く好みの問題と思う。今のランブリンの音は満足してる。けど、もっと俺の好みにするんだったら、ボーカルは相対的に大きめだな、とか、そういうこと。4人のときは、正直言って、何がなんだかわかんなかったところがあると思う、音が大きすぎて。今は、自分の音がきっちり聞こえる。そうするとあれやろう、これやろう、となってくるのだ。もちろん、できるか、どうか、はまた、別問題なんだけど。こんなこというと、甘えんな、って言われそうだけど。

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2006年6月15日 (木)

言葉ってコワイ

言葉ってコワイと思う。結論から言うと、言葉は一部だ、って思うことが必要だと思う。

人間ってリアルな存在だと思う。身体ありき、というか。動物の一種です、と。

大学のとき、パソコン買ったのは、ブラインドタッチがしたかったから。ひとりで口述筆記がしたかった。思ってることがリアルタイムで外に出てきて、それが記録になったとき、俺の考えってもんがわかるんじゃないか、と思ったのだ。で、最近、ようやく最近だけど、それは、違う、と。言葉というのは別のジャンルで、俺から出たもんだとしても、それは完全にイコール俺、になるもんじゃない、と。

言葉というのは、基本的に一本道で、前後の関係というのがはっきりしてしまう。で、それって、いわゆる理屈、ってやつだと思うけど、そうじゃないんだ、と。理屈って常に後からついてくるもんだと思う、極端な話。まずは、直感ありきだと思う。ほんとに極端にいうと。いや、そうは言っても、断片を丁寧に出していけば、ある程度、までは、わかるかもしれないけど、それは、やっぱりある程度、に過ぎず、リアルな存在の俺の考えとして、決してそれはイコールにならない。加えて、それって実は文章、というものにはならない。前後の脈絡がなかったり、それぞれで、矛盾したり、とかって起きてしまうから。その文章になってない、ってこと事態がそもそも、人間が言葉で表せるものじゃない、ってことを証明していると思うんだよね。だから、実は、言葉、文章、というのはその人の考えをイコールで表すものにはならない。あくまで条件付きで、そういう部分もあるね、ってもんだと思うんだね。

飛躍するかもしれないけど、メール仕事がダメ、実際会わないとダメ、っていうのはそういうことだと思う。言葉にならない部分もコミュニケーションしないと相手のことはわかんねえよ、ということだと思う。

いや、何かって、今後ここで色々書いて、怒りを買っちゃう時があるかもしれなけど、それが俺の100%じゃないから、まあまあ、怒んないでね、ということ。逆の立場になったとき、それは、俺だって、おいそれと受け入れるわけにはいかない時はあるけどね。

詭弁かなあ。身体を通して経験した、ということじゃないことを全部と思うとミスコミュニケーションになっちゃうことが多いんじゃないか、ってことなんだけど。会って、表情、気持ちを見ながら話をしよう、と。だって、例えば、芸能人見た、って言ったときさあ、実際に、目で見た、っていうことだよね。テレビで見ても、見た、とか言わないよね。でも、巨人戦見た、とかは言うなあ、テレビでも。それは、テレビの画面を見てたんでしょ、とか突っ込まないよね。うーん、もう、どうでもイイや。

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2006年6月14日 (水)

ずっと風邪がなおらない

ずっと風邪がなおらない。これはこれまでだと、秋口の現象なんだけどね。ダルイ。今日は休もうか、とか、毎日起きたとき、そんなことばかり考えている。今日などは漏らしてしまった。なんでかわからない。もう、わけがわからない。

福井総裁が村上ファンドに投資していた、と。ぱっ、と話を聞いた感じでは情報の出所がわからん、ということと、やっぱり、このワールドカップの時期にぶつけてきてるんじゃないか、ということがポイントなんじゃないだろうか。この話は。この前、このホリエモン、村上ファンドの一連の件でふっと思ったのは、90年代後半のバブル崩壊の時と、投機の対象が変わっただけで、同じ現象かな、と思った、ということ。でも、やっぱり今回のはそんなもんじゃないかもな。いわゆる格差社会、というやつで、あくまで、カネ持ってる人同士でごちょごちょやってる、と。

カネがあるところで、カネを持ってる人の間で、もう、あとはいくらあっても何に使うかわからんようなものの大小を競っている、というか、取り合いしてる、というか。

まちゃみ思うに、カネは腐らんのがよくない。腐ったらカネとしての役割もなくなるのかもしれないけど、腐らないから、腐る前に使ってしまおう、という発想にならない。たいていのものってそうじゃないだろうか。だから、要は、腐る、陳腐化する前に使ってしまおう、と。それで、循環するんであって。でも、カネは、持ってるのに、あっても困らないから、まだ、集めよう、ということになる。

でも、カネはあの世には持っていけない。で、さらに血縁に残すこともできん、と。橋本さんの本(ぼくらの資本論―貧乏は正しい!  貧乏は正しいシリーズ。4冊くらいあったと思う。題名からしてこれっぽい)で読んだけど、日本は、相続をできなくした、と。制度上。あ、思い出した、確か、それは、戦争に負けたとき、やっぱり、アメリカの考えで、日本が資本を集約して、挙国一致で戦争ができた背景のひとつに、血縁による財産の相続が根っこにあった、と見たから、その制度を壊そうとした、と。で、制度を変えました、と。生まれによって、生まれながらに持つものと持たざるものの差が出ないようにした、と。だからあの世に持っていけないことはもちろん、血縁のやつに残すこともできなくなってる、と。

村上さんに関しては、やっぱり目立ちすぎたのがよくなかったんだね、きっと。個人で使えないほどのカネを持つことに意味があんのか、と。あと、原則として、上げることそのものを目的としてたでしょ、ってことだよね、ほんとにざっくり言っちゃうと。ほんとは、カネそのものを扱う人というのは、カネがあれば、なんとかなる人のところにカネが動くようにする、という裏方のはずだ。それが、カネでカネを増やす、ということ自体が目的に見えちゃった、と。ということを目立っちゃったがゆえに、思われるようになっちゃったんだよね、きっと。集めるんだったら、それだけじゃなく、ある意味、配れ、と。それだけの膨大な量のカネというのは、すでに、みんなのものだ、と。全然理屈になってないかもしれないけど、お前が持っていても意味がないものはお前のものじゃない、と。カネそのものには、ほんとは、価値がない。カネをまわす、っていう事務手続きにだけ報酬を発生させるようにしないとダメなんじゃないか。

いや、でも、うちの親父なんか、新潟で、たぶん最も地面が高い時に、地面を買ってる。でも、そんなに破綻してないよね。でも、明らかに、高いときに買ってる、ってことでいえば、その代わりに、儲けてるやつがいる、ってことだ。ほんとは、そんな値段しないものだったならば、特に。そういえばうちの親父なんかは、その辺、割とクールなところが面白いよね。実際のところがどうか、は別として、あの時代は公務員は、給与が上がる時期で結構得だった、自分は、そこそこツイてた、とか言ってる。家も建てたし、子供も大学にやった、と。退職して、カネは残らんかったけど、年金もあるし、暮らしていける、と。まあ、本人がそう思ってればイイだろう。幸せなんて、本人の中にしかないと思う。

この前、内田さん(の本は何冊か読んだけど、先生はえらい ←この本は特に読みやすかった) のブログは面白かった。与ひょうの話。鶴の恩返しの話だ。反物はコストゼロの打ち出の小槌から出たものではなくて、実は、鶴の命そのものをコスト化したものだと。

もっと茫洋とした話のつもりが、なんかそれなりに、一本道になってしまったような気がしないでもない。言葉、って怖い。

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日豪戦

だらしない負け方だったね。完全に走り負けてるのと、後半は、中盤の時間帯で、向こうもバテてて、何度かチャンスを作ってる時に、全然シュートにいけてないところ。

まちゃみ的には、戦犯は中田、高原と、ジーコ采配に思えた。

中田、高原は、後半のチャンスが連発してた時間帯に、なんで積極的にシュートにいかないか。中田なんか、シュート打って外れると自分のせいになるから、ゴール前が空いてるのにわざわざゴール前じゃないところに明後日のパスをしてるようにしか見えなかった。このパスを拾えないほかのやつの方のレベルが低い、みたいな。最終的な目的は、点を入れる、ってことだろうと思うけどなあ。要は責任転嫁? 攻撃陣には、中田だけじゃなく、そういう当事者意識のなさを感じた。なんか、試合中に責任のなすり合いをしてるように見えた。高原もなんか、ちぐはぐな動き、パスが多かったと思う。あと、蛇足だが、日本て、こういう、なんちゅうの、カタチから入ってしまってる、みたいのが多い、と思った。もうすでに実戦、実弾が飛び交うなかで、まだ、カタチにこだわってる、という。

ジーコ采配としては、なんで、柳沢をもっと早く交代させなかったか。玉田か大黒か、走ってかき回せる選手を入れてほしかった。柳沢は前半の後半から、明らかにバテてるように思えた。相手DFは全然プレッシャーを感じることがなく、疲労することがなかったと思う。それが、結果的に、後半最後の相手のゴールラッシュにつながってると思う。柳沢も休んだかもしれないけど、DF初めとして、相手も休めた、と。だから、相対的にその疲れの差が後半の最後に出た、と。

でも、サッカーで負けても別に良いよ。あくまで個人的な趣向として。あんまり悔しい、って感じがしない。そもそもあんまり盛り上がってなかったから、俺自身は。悔しい、って思ったのは、あの、同点に追いつかれた時の一瞬だけだもの。はっきり言って、野球のように、城島の問題発言があったときのオリンピックとか、WBCであの、決勝トーナメント進出の可能性がほとんどなくなった時のような地団駄踏むようなくやしさは今回は全くない。野球はもちろん、ラグビーよりも、全然悔しくない。サッカーなんかいくら負けても良いよ、ほんとに。意外に今朝のテレビも冷静、というより、もう冷めた、って感じだったと思う。残り2戦のことすらどーでもイイ、という感じ。俺の感じと同じかもしれない、実は、世の中も。でも、世の中に対して言いたいのは、お前らはあれだけ盛り上がってたんだから、ギャップが激しすぎるだろ、と。俺の場合はそもそも盛り上がってないんだから。

でも、今回のワールドカップは、予選はそう言っても勝っても、負けても、3試合が、予定、で入ってるから、そうそう損する人、困る人もいないだろうし。むしろ、例えば、決勝トーナメントに勝ちあがろうもんなら、日本のエライヤツらのサカシイやり方として、どさくさにまぎれて、ツゴーの悪いことを発表されちゃうかもしれないし。どっかで読んだんだけど、景気と、スポーツの盛り上がり盛り下がりの関係は真逆だと。スポーツで盛り上がってるときは、景気の悪いことが実は進行してる、と。浮かれてて気づかないんだろうね。だから、むしろ良かったんじゃない。

それにしても、NHKの映像は美しい。

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2006年6月13日 (火)

これからちょっとづつ作ってく

ブログね、ランブリンでやったらオモロイかも。俺、何にも役割ないからね。IT担当とかいって、そしたら、俺の中の罪悪感も消えるか、薄まるか、するだろう。まあ、一番思いつくのは、練習、と、その課題、を記録する、ってもんだね。これは、王道。そこそこコンテンツになるんじゃないか。もしかしたら、反対されるかもしれんな、他のメンバーに。そんなもん晒すもんじゃねえ、とか言って。でも、音聞こえないんだから、逆にすごく良いと思うんだよね、期待感が出るんじゃないか。

隠し事もしない、っていう姿勢も良いと思うし。来るもの拒まず、って姿勢にもなるじゃん。誰も傷つけない文章をオレ書くから。で、あとは、飲み会日記。どこで飲んだとか。くだらねえけどね、良いんじゃない。あとは、長澤の日記と。こっちで書く、って意識で、そのままコピペで良いんじゃないか。だから、もう載せられないものは載せられねえ、で良い、と。ほんとはこっちがメインになるかもしれないね。

もちろん、のちのち、楽器紹介とか、音源のサンプル公開、とか、ライブ予定とかはガチガチのコンテンツでやりたいね。PCのMTRは意外にはまらなかったけどブログの方ははまっちゃうかもしれないなあ。少なくとも、オレの鬱日記には変化しそうかなあ。

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