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2006年7月

2006年7月26日 (水)

また泣いちゃった ~スティーブ・ジョブスのスピーチ ~

ほんとは、こういうのは、反則だと思うけど、スティーブジョブスのスピーチをコピペしちゃう。この文章読んだのは、もう、去年の今頃か、と思うんだけど、ほんとに素直に感動したの。今日、急に読みたくなって、ネットをテキトーに漁ったら、やっぱり、色々あるんだね。そう、1年位のアイダでも色々あったなあ、とか思ってね、事務所オレ、ひとりだったし、泣いちゃったYO。

そう、そうなんだ、と。素直に自由にのびやかに精一杯その日その日を生きればいいじゃないか、と思ってね。

普通、こういう、成功者の文書とか話、ってイイこと書いてあっても、やっぱり、どっか、そりゃあ、成功してりゃあ、なんでも、イイ、って言えるよ、ケッ、とか、どっちか、っていうと、そもそもネガティブな印象を抱いちゃうんだけど、この文章は、ホントに、素直に、イイ、と思う。きっと翻訳もすごくいいんだと思う。

なんだろうなあ、こういうのをここがどーの、あっこがどーの、っていうのは、いわゆるヤボってもんだと思うけど、「死は、生が生んだ最高のシステム」「自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない 」ってとこでね、ぐっと泣いちゃうね。

まあまあ、色々あるんだけど、いろんなものを肯定的にとらえたい、と思うよう。

<<引用>>  
アップルコンピュータ創立
CEOのスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

◆PART1 BIRTH
ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。

実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。

最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。

「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

◆PART2 COLLEGE DROP-OUT
こうして私の人生はスタートしました。

やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

ひとつ具体的な話をしてみましょう。

◆PART3 CONNECTING DOTS
リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。

もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

◆PART4 FIRED FROM APPLE
2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。

アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。

ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。

そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。

それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

◆PART5 ABOUT DEATH
3つ目は、死に関するお話です。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。君たちはもう素っ裸なんです。

自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない

◆PART6 DIAGNOSED WITH CANCER
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。

こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。

何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。

それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

◆PART7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。

それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。

「Stay hungry, stay foolish.」

それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。

そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご拝聴ありがとうございました。

※改行はまちゃみんによる

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2006年7月25日 (火)

今日は結構ねばれた。

それにしても、22:00位で相当バテバテだ。前の職場では、こんなん当たり前だったような気がするけどなあ。加えて、言うても、都内って、通勤もそれだけでバテるしさあ。今は、ほんとに近いのに。

それにしても、相当へこたれる出来事が続いたけど、気持ち上、人のせいにしないでできて良かった。これだけ、周囲から相手にされてないなか、逆にこれを逆手にとって、相手にされてないのを好き勝手できる、と思ってやるようにしてる。

でも、明日も朝から、修羅場だ。

しかしなあ、やっぱり弊社って、結局、薄利多売なのよね。百姓。全く大きく儲けられないよね。だって、発想が、これを作るのに、原価がいくらかかって、我々も食うために、これだけは、のっけさせてください、って価格の決め方だからね。 まあ、イイや。金曜は絶対に休むので。もう、寝る。

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2006年7月24日 (月)

Jenny Wren 耳コピ挫折。音楽話もろもろ

◆カオス&クリエイショーンインザバックヤード
ポールのアルバムにはまってる。この前感想書いたときは、ほんとに、何回か飛ばし飛ばし聞いた感想だったからね。ライナーノーツ見てたら、一人録音、とのこと。なるほどね。なんだろう、決して複雑なことやってないよね、きっと。もう、色々、妄想しちゃうんだよね、そうくるかあ、とか言ってね、なんだかんだで、やっぱり、この人には相当付き合ってる、と勝手に思ってるから。ここは、こういうオカズが欲しかったんだろうなあ、とか、全体考えたら、この間奏は、こういうギターよね、とか。

後半が特に好きだ。特に、Promise to you girl は、相当ハマった。あとAnywayもイイ。Promise to you girl は、何回も聞きたくなっちゃうんだよね。あの、looking through the backyard of my life,,, って始まり方がカッコよくて。あと、途中で、リコーダーが入ったりすんだけど、なぜか、妙に曲にはまってる。Fool on the hill じゃん、とか思って。

この曲だけじゃないけど、明らかに、ビートルズのホワイトアルバム以降のテイスト、っちゅうか、メロディーラインとかも、ちらほら、おんなじようなとこがあるんだけど、それが、なんか、哀愁を誘う、というか、力が抜けてる、と感じる、というか、なんかイイ。っていうか、アビーロードって感じがする。人によっては、すごく反発しそうだけど。前、サザンの桑田さんは、確か、ポールがライブとかで今さらイエスタデイとか演っちゃうのはヤダ、ディナーショーみたいで、って言ってたと思うけど、それに近いもんがあると思う、ヤダ、っていう人がいるとすれば。まちゃみん的には全然オッケー。

っちゅうことで、結局、はまっちゃうのはポールかあ、って感じなの。

◆Jenny Wren 耳コピ
そのポールのアルバムの3曲目に入ってるんだけど、まあ、乱暴に言えば、ブラックバードなの。スリーフィンガーくずしみたいな、弾き語りの曲。

で、これをコピーしようと思って、音をとってたんだけど。なんかいじってある。と思う。普通のチューニングでは、出ない低い音が出てると思う。で、たぶん、6弦だけじゃなくて、5弦もいじってあるんじゃないか、と思った。回転数とかじゃない気がした。チューニングいじられてたら、もう、まちゃみんはお手上げ。ということで、挫折した。スコア出てるのかなあ。せめて、どういうチューニングか、だけでもわかれば、いいんだけどなあ。

って、今、弾いてたら、わかってきたよ。たぶん。単に全体的に2音下げただけのチューニングだと思う。Aメロは、細かなところは別として、分かったと思う。ただ、Bメロの2小節目以降がはっきりしない。だいたいはわかるんだけど、正確じゃないと思う。

◆この前のライブの音源
自分らの演奏。もうすっかり忘れてるから、これまでと違った印象になるかもしれない。一部聞いたんだけど、早く全部聞きたい。感想書きたい。

◆エアロスミス買った
もう、カネないのに、買いまくってる。シェリルクロウが演っていた、sweet child o' mine がカバーであることを知り、いつか、聞きてー、と思っていた。これでその原曲が聞けるなあ、と思って買ったんだけど、それは、ガンズじゃい、ということを買ってから気づいた。まちゃみんがいかに音楽無知であるか、わかったと思う。ガンズと、エアロスミスの区別がついてなかったということですな。でも別にイイ。今度、ガンズを買う楽しみが増えた、というもんじゃい。文句あるならかかって来い。セイセイセイ。

ところで、KUWATA BANDって、結構、この人たちから、もらってるところがあるんだね。

Ultimate Aerosmith Hits/アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ Ultimate Aerosmith Hits/アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ

アーティスト:エアロスミス
販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2002/07/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年7月23日 (日)

ラマダンが宗教的な意味があるのはなんとなくわかる

2004年9月の日記より

さて、あいからず、食事量を減らしている。 なんか犬の気持ちがわかるような気がする。仕事してても、食いもののことが頭に浮かんでくるんだよ。いろんなもんが浮かんできて、思いっきり食ったら、幸せだろうなあ、とかさ。おいしいもんの臭い、とか、風味が脳のなかにビデオのように再生されるんだよね。 そして、なんか、宗教的な気持ちになった。

なんか、土に還っていくような気持ちになった。このだんだん食い物がなくなったら、生命の活動が弱まっていくのかなあ、なんてね。生命の活動がだんだん薄くなって、しまいには、止まるのかな、なんてね。オレそのものが、自然のモノ、に還るんだろうなあ、っていう。そしたら、なんかそれは、怖いことではないのかなあ、なんてね。 精神活動がなくなることが怖い、んだけど、少なくとも今までは、それも、怖くないような気がした。結局、世の中っていうのは、繰り返してる。繰り返す世の中で、オレの精神の活動である、必要があるだろうか、ということだ。というか、オレが土に還っても世の中が動いていく、っていうことは、楽しい、ことなんではないか、という。頼もしいともいうかもしれない。なんかそう考えたら怖くないような気がしたんだよね。

週刊文春に里見浩太郎の対談が乗っててね、母親の死に目に駆けつけて間に合った、その時だけ意識が戻った、っていう話があって、死ぬときにこれだったら、オレも死んでいけそうだな、って。順番を守って、そして、死ぬこと自体もソフトランディングというかね。眠るように死んで行く、というかね。自然に消えていく、というか。それだったら、怖くない、というか、受け入れられる、というか。 で、この気持ちは、別に、宗教っていうところから発想したわけではなくて、後から考えたら、こういうのこそ、いわゆる宗教、っていうもんじゃないか、っていうね。何か、っていうと自然とそういう気持ちになった、ということ。一方で、ラマダン、ってあれは、だから、宗教儀式なのかな、って。 土に還るんだ、って考えたら、死ぬことは怖いことではないような気がした、ってわけだ。たぶん。 ちょっと信じられないんだけどね、自分でも。死ぬことがほんとに怖くないのか、って。 でも、そういう考えの回路を一回でも、脳に作れた、ってことで今回のメシの量減らした甲斐があったなあ、って。 なんか脂肪が溶けだして流れてる、って感じがするの。そんで、なんか、その溶けだした脂肪には、多幸感を感じさせる物質でも入ってんじゃないか、って感じなの。

あと、話は変わって、いちおう記録として、残しておくけど、今日、朝計ったら79キロだった。ここ半年位かなあ、いや、そんなにいってなくて、ここ2~3カ月位だと思うけど、それくらいは、びっくりするくらい増えていて、82~4キロ位だったから、まあ、痩せたは痩せた。でも、1年くらい前は、77~79キロ位だったと思うんだよね。だからまだまだだよね。

高校の時、たぶん、64キロ前後だったと思う。ラグビーやってたんだけど、嘘ついてたんだもん。軽いとナメられるから。68キロ、とかいって。そんで、浪人の時に、67キロ前後。大学卒業で70キロ位だったと思うんだよね。で、会社に入って1~2年で74~75位になって、3年目くらいで、75キロ位、とかそんな感じじゃないかね。 意識としては、高校の時位戻したい、位だからね。60キロ台には行きたい。 でも、いまから考えると信じられんな。79キロになっただけで、ほんとに、ほんとだけど、すげえ身体が軽く感じるわけだよ。60キロ台なんて、まさに羽のようだろうね。 あと、一昨日の文章は、ちょっと大川の文章の影響を受けている、と自分で思いながら書いていた。影響を受けている、というか、脳にありながら、書いてるなあ、って感じがした。 なんか、こういう感覚とか、体重だとか、現実感を残しておきたい、と思ってんのよね、最近。

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2006年7月21日 (金)

事実って、実は、事実上、難しいと思う

昭和天皇のメモ。それが、ホンモノだとして、なぜ今なの? もう、完全に、次期総裁戦への何かの布石だよね、これ。マスコミは、そういうとこも含めて出さないとダメだと思うけどなあ。

そりゃ、メモそのものは事実かもしれないよ? だけど、それがなんで今の時期、って事実を伏せて出したら、事実の一部分は出してて、それそのもの事実は、まさに事実かもしれないけど、そこの事実だけを出した、ってことで恣意的になる、ってことよね。そういうところに細かくイライラするね。気付かないフリだって、行為としては、何もしてないけど、マイナスの意味で、悪意ある行為をしてる、ってことだよね。気付いててそこは出してない、ってその事実は、ないことにされてるわけでしょ。

例によって、善し悪し、じゃなくて。

養老さんのよく言ってることで、歴史を語ろう、というのはそもそも無理だ、と。歴史を語るなら、歴史そのものと同じ時間が必要になる、と。そういうふうに考えると、これって、実は詭弁でもなんでもないと思う。

まちゃみん、酔っとるばい。

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2006年7月20日 (木)

極楽・山本さん 世の中の取り上げ方がヤダ

今日、新聞、テレビの報道見てたけど、こんなんだったら、山本さん、相手の狂言だ、って言ってた方が全然、傷は浅かったよね。結果論だけど。なんか、必要以上に責められてるよね。いや、まちゃみんだって、そんなこと思ってないけど、あくまで、可能性として、ほんとのほんとは、山本さんなんにもやってなくて、だけど、被害届け出されちゃったから、ほんとに正直にやってません、って言うと、往生際悪い、って、世間は逆に責めるから、ほんとは、そんなことやってないし、本意じゃないけど、スパッと謝っちゃおう、っていうのもあったかもしれないじゃん。まあ、ないと思うけど。

まちゃみんは、逆の意味で怖い。世間の反応が。犬で言えば、腹を見せてる相手に、まだ、噛みついてるような感じ。カタチだけ取り出したら、山本さんは、会社を辞めさせられて、お詫びをしてる。私が悪かった、ってカタチだよ。それをそこまで責めるかね。謝り方が本気じゃない、とか思ってるんだろうか。そうだとしたら、弱いものに対しては、何をやってもイイ、みたいな攻撃性にまちゃみんはどうにも、怖さを感じるね。報道してるやつだって第三者だよ。当事者じゃないんだよ。そういう意味で言うと、どーしてそこまで叩けるんだ、って。

いや、毎度毎度のセリフで恐縮だけど、決して善し悪しじゃなくてね。この前書いた、あの、パンツを鏡で見た、っていう元教授の事件と同じで、まず、17、8のコムスメがそういうところにいる、ってこと自体はそもそもどうなんだ? だって、首に縄付けて、そういう場に連れていったわけじゃないでしょ、間違いなく。自分の意志で行ってるわけでしょ、ある程度は。いや、まちゃみんが言いたいのは、山本さんの罪が軽くなる、っていうことではなくて、全く、山本さんの罪を責めるなら、そのナオンのそういう行為だって、同じように責められないといけないだろ、っつってるの。みのもんたも、同じようなこと言ってたらしいね。みのさんあんまり好きじゃないけど、その意見にはまちゃみん同意。山本さんは、かなりのものを失って、割に合わないよ。ナオンにくらべて。返す返すも善し悪しじゃなく。

あと、萩本欽一もどうなんだろうね。びっくりする、わざとらしさ。今日辞めます、ってのを映像で見てたんだけど。なんか、そういう文脈で、きっちりとらえてあげちゃってるんだよね。まちゃみん的には、なんちゅう、わざとらしさ? って感じだけどね。ほんとは、行為としては、山本さんより、よっぽど責任感のない行為だと思うけどね、あんなに簡単に辞める、っていうのは。なんか、言い方がすごく、ずるいんだよね、野球に対して失礼、だとかさ。なにそれ、意味わかんない。そういうことで、野球、ってダシにしてることの方が、それこそ野球に失礼なんだろーが。それは、お前の野球に対する思いが、その程度のもんだった、ってことの方が正しい言い方だよね。わしゃあ、単なる目立ちたがり屋に見えた。あそこで、ああいう風に言うことが、こっから先の自分のキャリアにとって、トクだ、みたいな、そういう計算を感じちゃったのよ、逆に。続ける、っていうより、責任取って、辞めます、って言った方が、印象に残るぞ、ウッシッシ、みたいな。まちゃみんが、こういうキツイこと言うのは、あの野球に関わってたほかの人はどーなるの、ってことよ。萩本さんだって、結果的に責任のない行為をしてる、ってことでは、山本さんと変わらないと思う。

っていうことでね、まあ、そんなことはもちろん、おおっぴらには言えないけど、運が悪かって、かわいそうだな、って思ってる人もたぶん結構いる、ってことよ。だもんで、まちゃみんがほんとに言いたいのは、世の中の、弱いモノイジメみたいな反応がヤだ、ってことよ。

おしまい。

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相方、極楽・加藤とワイドショーをやってるテリー伊藤は・・・

「テリー伊藤ののってけラジオ」では、冒頭のフリートーク、10分程度を、この極楽山本の話題に使ってた。まちゃみん、このラジオも忘れてたくらいだけど、日テレのワイドショーを録画しておかなかったのは、不覚!、と思った。

のってけラジオのフリートークの主旨としては、以下の通り。メモしてたわけじゃないので、だいぶまちゃみんの記憶です。

・加藤は、番組の冒頭2分位泣いてた
・山本は、いろんな関係者に迷惑をかけてるんだから反省してほしい(もちろんめちゃイケ関係者にも)
・レギュラー6本(そうなんだ!)
・相方加藤はもちろん、欽ちゃん球団として、札幌に来てたんだから、萩本欽一さんにも
・モテない、って芸人としてダメ。しかも、未成年、ってどうなんだ?
・とんねるずみたいに女優と浮き名を流すくらいであってほしい
・山本よ、エビちゃんを落とせ!

すんません。だいぶ意訳です。

ほんとにまっとうすぎるまっとうな意見だったと思う。逆に、加藤と番組をやってるんだし(加藤さんと顔を合わせてるんだし)、この話題、絶対触れないわけにはいかなかっただろうしね。そして、内容として、それは良かった、と思う。テリー伊藤、いや、伊藤さんにはある意味、思春期のまちゃみんを、いろんな番組で楽しませてくれた、ということで大きなご恩がある。まちゃみん、伊藤さんには、感謝してる。相当楽しませてもらったから。だから奇をてらわず、ここは真っ当な意見を聞けて良かった。

大穴で、芸人たるもの、それぐらい遊ぶことは必要で、そもそもそういうことを警察沙汰にしちゃう方がアホ、という意見もあるかと思ったけど、さすがにそういう文脈はなかった。

まちゃみん、今日は、ほんとに、明日ゲロゲロで休んじゃうくらい今日は飲んでるので、これでおしまい。これを書くのもツラカッタ。でも、山本さん、復帰もあるな。昨日も書いたけど、130Rの板尾さんは、全然テレビに出てるじゃん。養老さんじゃないけど、日本の社会として、一旦怒って、忘れてあげる、っていうのが、ある意味、オトナだとも思うし。

うーん、とりあえず、今週のめちゃイケがどうなるのか、楽しみだな。

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2006年7月19日 (水)

ノミコム

今日は、久々に仕事に充実感があった。最後の最後で、ねばれなくて、帰ってきちゃったけどね。

なんか、切れないですんだ。飲み込めたの。色々あったけど。オレの方が正しいじゃないか、とか、損だ、とか、そういうことを考えめる、っていうかね、そういう話を始めることを飲み込めたの。関わった人を巻き込めた感じがした。というか、オレは心底そういうスタンスだったの。

なんちゅうのかなあ、つまんないの、どっちが正しい、とか、どっちが悪い、とか、っていうのは。もちろん、今までもわしゃあ、そうだったんだけど、まあ、身も蓋もない言い方をすれば、そうじゃない人の、結果的には、そういうところに合わせてしまって、結局、その人と同じことになってしまってたわけよね。これは、なんちゅうのかなあ、あくまで、結果としてね。そうなってた、と。クシヤじゃないけど、がまんくらべかもなあ、これも。一種のテクニックかもね。

飲み込む。これが大事だと思ったの。

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どーなる?! 極楽とんぼ・山本 吉本解雇

驚いたな、これは。めちゃイケって、必ず、こういうことを逆手に取って(伊集院さん方式)、ネタにしてきたけど、今回のは、ネタになんないよね、理由が理由だけに。

なんちゅうの、倒錯した感じだよね。児童に淫らな行為、って、だって、これまで、こういうのを本気じゃない、ってスタンスで、笑いをとってきてたわけじゃん。それが、マジだった、という。

とりあえず、今、思いつくこと。まちゃみんは、相当、めちゃイケ好きだったから、あとで、もっと考えて書くかもしれない。

・さすがにめちゃイケでも、これはネタになんないだろうなあ
・ネタになんないどころか、番組も続けられるのかな(それをネタにしてただけに。鈴木あみにちょっかい出した、とか、ネタにしてたじゃん)
・加藤はどうなるの? 朝ワイドショーやってるわけじゃん。完全に、おばさん的にはアウトな解雇理由だよね
・軍団 山本はどーなる?
・解雇にどれだけのインパクトがあるのかわからないけど、他の芸人も、これをネタにする、ってことは、会社にたてつく、ってことで、しばらくは、ネタにできないよね、きっと
・けど、130Rの板尾方式もあるぞ
・これは、しばらく目が離せませんな

とりあえずメモ。びっくりした。

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2006年7月18日 (火)

共食い

まちゃみん豚肉食ってると共食い、とか、言われるじゃんか。
いや、真剣な話なんだけど。

うちの母親は肉が食えない。正確に言うと、鳥と4つ足の動物の肉だ。魚は食える。あんまり、詳しく聞いたことないけど、食ったら吐いちゃうとか、なんか、ジンマシンが出る、とかそういう実際的な理由じゃないと思う。要は、生き物を殺して食ってる、ってことに耐えられないみたい。精神の問題だね。リアルに想像しちゃうみたいだね。コロス、ってことと、その生き物を引き裂いてる、ってことを。

かく言うまちゃみんも、前、Pちゃんの話を見たあとは、しばらく食えなくなったもんね、肉を。

Pちゃんの話はしばらく前にテレビで見た。

どっかの小学校で、経済の流れだとか、流通の仕組みを学ぼう、っていう、まずは、そういう目的から、豚を育てて、売ろう、という企画を行った。はじめは、ほんとに、そういう目的だった。つまり、豚は、そういう流通の単なる対象だった。だけど、丸々と太って、いざ、売ろう、となった時、これまで育ててきた豚のPちゃんを、屠殺場に送ってイイのか、と、いうことになった。子豚のころから育ててくると、もう、はっきりと、情、っていうもんが移っちゃって、そういう対象じゃなくなっちゃった。殺せない。殺される、ってことがわかってる、屠殺場に送る、ってことをやっちゃってイイのか、と。でも、豚が売れる頃とか、計算してるから、自分らも学校を卒業しちゃう、とかで、じゃあ、生かしておいて、誰がメンドウを見るんだ、っていうと、引き受けてくれる体制もない、とかあって、延々と、話し合いをしました、と。確か、結局、屠殺場に送ったんだよね。命の尊さが逆の意味でわかりました、って、そういう話。

うちの父親の実家はもう、ほんと百姓だけど、犬とか、そういうのを飼う、っていうのがなんかヤダ、ってうちだった。オヤジは、子供のころ、ヤギを飼ってて、それを食った、って言ってた。うちのばあさんの話だと、うちのばあさんが子供のころは、ホントに、今の耕耘機とかそういうのの代わりに、牛を飼っていて、牛も、もちろん、感情があるんだって。やっぱり、いっしょに土にまみれて農作業してね、呼吸がわかったりするんだってさ。牛も、そろそろ仕事が終わる時間だな、ってのがわかったり。でも、その牛も売ったり、ってことはあった、って言ってたな。うちの父親の方の実家が犬を飼わない、って、まあ、そういうことなんじゃないかね。情が余計に移ってしまう可能性のあるもんを必要以上におかない、っていう。

うちの犬だって、肉食だと思うんだよね。まちゃみんも肉を食います、と。だけど、その犬だって、まちゃみんのことを豚のように、うまそー、って目で見てないと思うし、まちゃみんだって、この犬食ったらうまいんじゃないか、って思わない。

だから、その一線はなんだ、ってまちゃみんは、思ってなんか書いてみようと思ったんだけど。

考えた、ってほど考えてないけど、それは、そういうもんなんじゃないか、と思う。
ほんとのほんとの意味で、こういうことをそもそも当然、と思うような発想になってるんじゃないだろうか、我々は。なんちゅうの、人間に生まれたら、たいがい言葉をしゃべるし、目は2つだし、永久歯に生え替わるし、とか、そういうレベルの。本能、っちゅうの。

逆にそういうところから逃れられないじゃん。

ぜんぜんまとまってないけど、そういうもんだ、で済ましてイイもんってのもあるんじゃないか、と思う。
で、この理屈は節度をもって応用できる。というか、節度をもたないと応用しちゃいけないんじゃないか。
生煮えだけど。

あとで書き直すかもしれないなあ。

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2006年7月17日 (月)

掃除終了

いや、すっきりしたばい。3連休って休みがいがあるなあ。って、今回は、寝てばっかりだったけどね。起きれなかった、という方が正確か。まあ、いいや。
明日からの仕事は忘れて、これから、何時間か好きなことをしたいばい。

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2006年7月16日 (日)

まだ見ぬ誰かに話かける

とにかく、ここ最近、フラフラしてる。頭がフラフラしてる、というか、腰が落ち着いていない、というか。

ほんとに夢を見てるよう。

ぼけっとなにか考えてる。
内容もない。だけど、ほの暗い感じ。
被害妄想な感じもある。だから、自分の問題だ、って意識はあるつもりだ。だけど、どうしてそうなってるのかわからない。
こんなに、今のオレは、ダメ、なのに、猛烈な不安があるわけでもない。
こんなに時間を、単に、通過させてるだけなのに。

言葉にできない。

何かに夢中になれない。

わからん。結論が見えない。そのまま書いていこう。

何かに夢中になれないこと、ってことがそもそもなかったのでは。

話は飛ぶけど、帰るところが、今は、ない、というのがあるかもしれない。

結果が、こうなっている、と。あの時、いっしょの時間をすごした、人々が家庭を持ったりしているなかで、オレは変わってない。

オレは、そういう過ぎ去っていった人たちに無言でダメ出しをされ、無言でプレッシャーをかけられてる、て、だから、自分のなかに、何かがある。

ここでしてる話って何が基準だろう。

とにかく、ここだけでも、逆説的だけど、どうにも落ち着かない感じがあると思う。

単純なものに、寄りかかるものが欲しいのかもしれない。安易な切り口だけど、帰依するものが欲しい、とかって、理屈はこういうことかもしれない。

さっき見てた夢で、子供のころやったお手玉とか、そういうのがすごく、心地よいものだったような気がしていた。ふれあい。

って、先々週くらい、誰かがやってたな、飲み屋で。

養老さんの話で、養老さんはいいオトナになっても挨拶がきちんとできなかった、と。その理由として、それは、死に別れた、自分の父親に別れの挨拶ができないままに死なれたからだ、と。心のどこかで、父親の死を認めたくないので、挨拶をはっきりしてしまうと、父親とはっきり別れる、ってことを意味するから言えなかったんではないか、と。

言いたいのは、物語が必要なのではないか、と。理屈、というか。ここでいう理屈は、よりかかるもの、だ。ない、と。ダラダラしてるだけ。

悩みがないことが悩み、とか、って、悩みにすらなってない。

まだ見ぬ誰かに話かける、ってほんとに久しぶりに良い考えかもしれない。ちょっとこっぱずかしい感じだけどね。

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起きた

ひとこと。
相当疲れてた。
精神的にも。あんまり寝てなかったし。

金曜日、というか、もう、土曜の朝の6時だったけど、最後の細かい一言が刺さって、イライラしていた。

そのあと、あんまり寝れないまま、また会社の行事に行き、そこでも、まだ引きずり続けてて、だもんで、呼び込んじゃった、ってこともきっと、相当あって、気持ちが相当疲れて、ライブをして、今、ようやく起きれた。

それだけじゃなくて、仕事でも、細かな一言ひとことの連続で、イライラしてた。

言い出せなくて。弱気な自分がイライラした。そして、そんなことに気を使わなければいけないのが腹立たしかった。そして、その割には、結果としては、気をつかってるところが、だから、ダメなんではないか、と思って多。

それでも、取り越し苦労、ってわかったのは、良かったかもなあ。いま、たっぷり寝て冷静になると。それだけは良かったかもしれない。土曜はずっと悪い夢を見続けてるような感じだった。すごい通り雨にあったり。

わしゃあ、今の仕事として、こういうことで、イライラしちゃう、って向いてないんだろうか。

やっぱり、イライラする場、人間を避ける、ってことで良いんじゃないか、と、最近はなってる。なってしまってるのかもしれない。それを許してるのかもしれない。経験のある人が、それは良くない、って言ってるのは、よくわかるけど、どうしても、自分に嘘をつけなくて。

精神的に疲れちゃう、って、やっぱりしちゃいけない言い訳だろうか。

この場でこういうこと書いちゃうこと含めて、呼んじゃう、ってことがあることはわかってるつもり。

あとでよく考えよう。まだ見ぬ誰かに語りかけて、ということにしたい。いい考えかもしれない。

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2006年7月13日 (木)

井上堯之さん

いや、暑いね。

昨日は空振り。井上尭之さんの弾き語りのCD買おうと思って渋谷まで出たんだけど、なかった。最終的には、太陽にほえろ!全曲集 でも良かったのに、それもなかった。ショック。でも、せっかく渋谷に来たんだから、ここでしか買えないものを買おう、と思ったんだけど、山弦も持ってるのばっかりでさらにショック。でも、何も買わないで、帰るのもヤダったので、ポールの新しい、っつっても、半年位経ってると思うけど、そのアルバムを買って帰った。井上堯之さんのは、今日ネットを見てたら、ネット販売なんだね。平日に渋谷まで出て、これはツラかった。

結局、ここ1~2週間、東京60ワッツが一段落して、井上さんのCDを買えないために、それ以外のCDを買いまくってる。ボーナスが出たと思って、全然、アトサキ考えず、前から、ちょっとちょっと気になってたCDが少しでも目に入ったら買ってた。

・ポールモーリア ベスト

恋はみずいろ〜ベスト25 恋はみずいろ〜ベスト25

アーティスト:ポール・モーリア
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:1997/11/06
Amazon.co.jpで詳細を確認する


・クイーン ベスト
クイーン・ジュエルズ(CCCD) クイーン・ジュエルズ(CCCD)

アーティスト:クイーン
販売元:東芝EMI
発売日:2004/01/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する


・パンクルズ フォーセール
パンクルズ・フォー・セール パンクルズ・フォー・セール

アーティスト:パンクルズ
販売元:テイチクエンタテインメント
発売日:2006/04/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する


・王様 カブトムシ外伝
カブトムシ外伝 カブトムシ外伝

アーティスト:王様
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2005/12/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する


・ポール カオス&クリエーションインザバックヤード
Chaos And Creation In The Back Yard (CCCD) Chaos And Creation In The Back Yard (CCCD)

アーティスト:ポール・マッカートニー
販売元:東芝EMI
発売日:2005/09/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

あれ、こんなもんだったっけか。もっと買ってるようなイメージだったけどなあ。まあ、イイや。そうだ、日替わりで、途中で、サザンのヤングラブを聞き直してたり、土岐麻子を聞いてたりしたからなあ。

あんまり、興味ないだろうけど、それぞれ、ちょっとづつ感想。ポールモーリアは、もう、いつもカネがある時に、って思ったからね。何が好きって、恋はみずいろがすごく好きなの。もうそれだけ。ほんとに、恋の甘酸っぱさ、せつなさ、みたいなものと、すごく前向きな感じが並行してる感じ、これが好きなの。ほんとに、みずみずしい感じなの。手もとに置いておきたかった。

クイーン。正直初めて聴いたの。なんちゅうの。スゴイ。ほんとにスゴイ。イキオイが。まちゃみんのイキオイ記録は塗り替えられた。今更、塗り替えられる、ってのはスゴイと思う。I was born to love you と Don't stop me now は、もう、誰が聞いてもスゴイ、と思うんじゃないだろうか。もちろん、まちゃみんが言うのもすごく今更だけどね。あと、We will rock you とか We are the champion とかも、通して聞いたのは初めてだけど、すごくイイ曲なんだね、そのなんちゅうの、CMとか、で部分的に使われてるとこ以外も。で、とにかく、この人達って肉食だな、と。とてもじゃないけど、草食動物にはこういうイキオイは出せないよ。なんちゅうの、どこを切っても、とても、草食動物にはできない、イキオイの血潮が流れてる、っちゅうの? ちょっと斬ったら、ものすごいイキオイで、血潮が吹き出てきそうな感じ。一方で、スゴイ、スゴイ、んだけど、こういう人たちのなかでは暮らしたくないな、とも思う。がっちゃんがっちゃんした甲冑に身を包んだ筋肉マンに斬り殺されるんじゃないか、っていう緊張感がこういうイキオイを生み出すんだと思う。よくわからんけど。まちゃみんは、やっぱり、おコタにみかんの世界が好きばい。だけど、もちろんスゴイ。最近買ったなかではもう、クイーンのスゴサは突き抜けてる。

パンクルズ。ビートルズの曲をパンクでカバーした、というアルバム。これはねえ、もう、パンクなの。パンクってまちゃみん、ピストルズのベストしか聞いたことないけど、パンク、って絶対、何より、本人達が一番気持ちイイの、たぶん。ギターの歪みだよね、あの、ジギジギいってる感じ。あのジギジギ、ってなんか、十分、ワビサビだと思うんだけどね。まちゃみんだってちょっと演りたい、と思うもん。気持ちよさそう、って。だけど、これをなんか、専門にするのは、良くない、みたいな、倫理感があるの。長くなりそうなの。これだけになりそうなのがヤなの。パンクやってるひとには怒られちゃうかもしれないけど。

王様。ライナーノーツに書いてあることがそのまんまなんだけど、そうそう、王様、ってビートルズやってなかったの?って。そうなの。それは、なぜか、というと、ビートルズの楽曲は、英語以外でやってはいけない、という不文律があるんだって。それをやると、業界を干されるみたいな、オキテ、なんだろうね。そうだとしたら、こんなアルバムを出す、っちゅうことは、王様は、そのオキテを破ったのか、というと、さにあらず。要するに、ビートルズのオリジナルではなくて、ビートルズもカバーしてた曲ですよ、と。もちろん、ビートルズの色がついちゃってる曲ばっかりなんだけど。王様、って初めて、まじめに聞いたけど、上手い、歌も、ギターも。ギターは、まちゃみんが評価していいもんじゃないけど、歌は、間違いなく、上手いと思う。こういうビートルズネタのCDとしては、まちゃみんは、ダントツで、ビートマスが好きなんだけど、それの次とは、言わないけど、ラットルズとか、ユートピアとか、と、並べて良いんじゃないか。少なくとも、つんくよりは全然イイ。

ポール。なんか、ポール死ぬんじゃないか、って感じ。自分で、自分の葬式用のアルバム作っちゃった、みたいな感じがある。やっぱり、ナオンの存在、っていうのは大きいんだと思うよ。あの、ドライビングレインの時なんて絶対、ナオンとラブラブだった時だと思うもん。正直、年甲斐もない、みたいな、感じがしたけど、今回はあまりにも年相応すぎる。ファインライン以外は、ほんとに力が入ってないもん。中盤から、後半にかけての曲がすごくイイ。

あと、サザンのヤングラブ。オレ、ほんとに、このアルバム当時はまらなかったの。でも、なんか、すごく、はまりそうだな、ってこの前ふっと思って、今、聞いたらやっぱりその予感どおりで、すごくイイ。なんちゅうのかな、このアルバムは実は、原坊大爆発のアルバムだと思う。裏設定は、原坊だと思う。

それにしても、まちゃみんも、こういう、なんか、オンナコドモじゃない領域に達してきちゃったんだね。街のCD屋じゃ売ってる率少ないみたいなもんが聞きたいものになってきた、っていう。

あー、長くなっちゃった。

あ、そうだ、あと、ひとつ。渋谷でもういっこ用事を果たせたんだよね。金曜の帰りがけに、なんかしらんけど、お菓子をもらったの、カロリーメイトを。だから、返そうと思ってね。健康食品で、それっぽいやつがイイ、と思って。そんで、まんまとガイコクっぽいものが買えたの。喜んでくれるかな。てへ。まちゃみんは、やっぱり、ダメだよね、こういう勝手な盛り上がり方をしちゃあ。恋に恋をしてる状態じゃんか。結果が見えてるのに。でもいいの。

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2006年7月12日 (水)

キモチがあふれてる

まちゃみん、なんか、躁躁状態だ。熱い気持ちがとまらない。

オレ、今、人生のピークだと思う。だけど、くすぶってると思う。いや、なんと言われようとそういう気分だ。
魅力的な人々は、皆、それぞれの道をきちんと歩いてる。まちゃみんは、くすぶってる。熱いキモチがとまらなかった。
今まで溜めたものが今、いっきにあふれ出す時のような気がした。だけど、くすぶってる。全力で走ろうとして走れてない。やるせない感じだった。
今日は、定時でさっさと帰って、アレやりたい、コレやりたい、と思ったけど、結局、動いてたのは、キモチだけだった。
やっぱり辞めるんだね、ますます色んなことがつながっちゃった。
オレ今ケモノのように、周りの空気を感じてしまう。
7月からオープンしたジャズバーをたまたま見つけて、一人でジャズを聞いて、落ち着くどころか、キモチが高ぶった。
オレがやってた仕事がきっちり引き継がれて、もっとよくなってることに、嫉妬じゃなくて、素直に嬉しかったよ。あと、辞めるんだよね、わかっちゃったよ。もう、まちゃみん、勘だと思ってたのが確信に変わってきたよ。
帰ってきて、夜だっちゅうのに、迷惑だっちゅうのに、歌っちゃった。なぜか、学生の時にやったこの曲が、歌詞なんててんでテキトーだし、何年ぶりか、だけどび ったりハマった。録って記録にしておこう。これを忘れたくない。
人は人のアイダでしか生きられないと思う。今日は、きっちり涙を流せるまちゃみんで、それはそれで気持ち良かった。
会社では違うけど、人と人とのアイダで涙を流せる人間でいたい。
まちゃみんは、自分の親がそうやったように、今度は、まちゃみんが人と人のアイダを作る人間になりたいよ。たまにはいいじゃん。
明日になったらすっかり忘れてるだろうけど、今は、自分を肯定したい。

「hikigatari_without_you.WAV」をダウンロード

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2006年7月11日 (火)

幸せを願うジレンマのレインボウまちゃみん

◆幸せを願うジレンマ
ちょっと前に流行ったアニメでエバンゲリオン、ってあった。面白かったけど、ツインピークスと同じで、風呂敷を広げすぎて、畳めなくなった、というパターンで、逆に、こういう、週1モノみたいな形式の物語、っていうのは、その回その回が面白ければ、なんでも、イイ、ってことが証明された、と思う。
って、そんなことが言いたいんじゃなくて、エバンゲリオンで印象に残ってるのが、ハリネズミのジレンマ、という話がさし込まれてたことだ。どんな話の流れで、それが出てきたかは覚えてないけど。
ハリネズミが心を開いて、近づこうとすると、その針で相手を傷つけてしまう、と。だから、ハリネズミは、誰かを好きになったりするとすんごくツライことになる、と。そんなことを言ってたような気がする。
とても、感じのイイ娘がいた。その娘は別の誰かに恋をしてるから、綺麗に輝いてるのだ。そういうことなのだ。うんうん。決してまちゃみんに対して輝いているわけではないのだ。まちゃみんが寄り添った瞬間、その輝きは失われてしまうのだ。それでも近づきますか?
ナオンが何かを出してる、って、こういうことなんだな、と、急に冷静になっちゃって、すごく、冷めたのだ。きっと。

◆レインボーまちゃみん
このウェブ上での、まちゃみんキャラ、ってあってイイ、と思うのだ。ここのブログでは、より、皮肉でグジュグジュしててイイや、と思ってるのだ。リアルまちゃみんの振る舞いと矛盾していてもイイじゃん、と思ってるのだ。一方、リアル世界では、今後は、まちゃみんはダンディーキャラで行こうと思うのだ。そうするとモテモテになるのだ。たぶん。
内田さんの受け売りだけど、別の人格、っていう感じのものが、その場、その場で、あってイイと思うのだ。むしろ、積極的に、あって、イイと思うのだ。もっと、その場面で違うキャラクターでいることを肯定した方がラクじゃないか、と思う。仕事で、ダメでも、それは仕事キャラのまちゃみん、がダメなんであって、それはそれで、すっかり忘れて、ブログのまちゃみんは、イケイケ、で良いし、リアルまちゃみんは、ダンディーで、モテモテでイイと思うのだ。
だもんで、このブログで、女性のことを「ナオン」と言ってたりするのを改めない。全部、書き直そうかと思ってたけど。
そして、そのためには、リアル世界で、モテモテにならなければならないのだ。たいへんだなあ、まちゃみん。

◆やりたいこと
・新潟ツアー計画作成
・JADOHホームページ(ポータルサイト)作成
・W-ZERO3(es)ほすぃいー
・新しい曲の詞を書き上げたい
やりたいことがいっぱいあるぞ、まちゃみん。ヨカッタね。

◆W-ZERO3(es)ほすぃいー
4月に新しい携帯を買ったばっかりなのに、W-ZERO3(es)が欲しくなっちゃったよ。まちゃみん、やっぱり、電子手帳って手放せないんだよね。実は、クリエが生産中止、って聞いた途端、今のクリエと全く同じクリエを、もう一個買ったくらいだ。でも、電子手帳で欲しい機能を突き詰めていくと、実は、パソコンと同期できる予定表と、メモ機能、の2つだけだ。メモ機能、っつうのは、キーボードでブラインドタッチをしたい、っちゅうことであって、旅行とか行ったりすると、とにかく何かが書きたくなるので、サクサク打てるキーボードがないとダメなのだ。まちゃみんは、クリエでは、折り畳み式のキーボードを持ってる。慣れると普通のパソコンと変わらずに文字を打てる。今日、このW-ZERO3(es)にはUSBが付いてる、って聞いたので、それだったらUSBキーボードつないだら結構、文章をサクサク打ち込めるんじゃないか、って、思ったのだ。そしたら、ぐっと欲しくなってきてね。電話と、電子手帳が兼ねられれば、実は、それに越したことはない。で、予定表ね、今の「Palm Desktop」のデータをそのまま引き継ぎたいんだけど、なんか、あんまり、そういうのが出てないんだよな。なんで、ちょっとがっかりしてんだけど、もう、今や、過去の資産を放棄して、新しいのでいいや、とすら思ってる。このままでは買ってしまう、W-ZERO3(es)を、カネない、っちゅーのに。それにしても、あのスライド式のキーボードいらないのにな。その代わりにもっと薄くしてくれたらイイのに。

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2006年7月10日 (月)

頭を抱える

W杯で、日本が負けた時、街の落胆ぶりを伝える映像として、日本のファンが、「あぁあぁぁぁ・・」とか「なんだよー」とか言いながら頭を抱えてる画が映った。実際、頭を、こう、腕で抱えてんのよね。

で、一方、言葉として、困った、とか、そんな意味で、やっぱり、頭を抱える、って表現があると思うんだけど。

まちゃみん的には、すげえ、その頭を抱えてるポーズが不自然でさあ、ちょっと待て、と。色々あるんだけど。待ってほしいことは。

ひとつは、ナンダコイツラ、ってね。やめてよ、全然、不自然だよ、と。なんか無理にそうしてなくない?って。まあ、そんなこと言いながら、オレだって、そういう場面だったらやっちゃうかもしれんけどね。

あと、なんちゅうのかね、サッカーがこういうポーズを含めて、輸入しちゃったのかな、と。っていうか、こういうのって、いつから、普及してきたのかな、って。少なくとも、まちゃみんが子供のころ、周りでそんなことやってるやつ、っていなかったと思う。そんなことやろうもんなら、何、外人のマネしてんだよ、って、まず間違いなくバカにされたと思う。

あと、ひとつ、仕草としては、日本人がやると不自然極まりないけど、日本語としては、頭を抱える、って、言葉自体はあるじゃん、と。

この、日本にそもそもあったと思えない、頭をかかえる、っていう大げさなポーズ、と、日本語の頭を抱える、ていう言葉の関係性、ってどうなだろう、と。誰か調べてくれないかなあ。

いつから普及したのかね、言葉が。普通に考えたら、頭を抱えてる画もいっしょに見ないと、普及しない言葉だと思うんだよね。そうだとすると実際に映像とセットで入ってきたはずだから、そんなに古くないと思うんだよね。そんなふんだんな映像なんて、戦後、ってイメージがあるから(だって、ラジオの普及ですら、1950年の朝鮮戦争の時だって聞いたぞ)。でも、戦後だとしたら、言葉って、そんなに短期間で普及するんだ、ってのと、そうだとして、言葉は先に普及してたのに、そういう仕草自体は遅れてやってきたのはなぜだろう、って。

もっとも低そうな可能性は、順番的に、まず、日本の古代に頭を抱える、ってポーズがあって、それは、やっぱり、困った、って意味で、それが、日本語の頭を抱える、ってのなって、さらに、頭を抱える、ってポーズ自体は、日本では消えたけど、言葉は依然として残り、一方で、困った、を意味する仕草、言葉として、中国韓国を通じて、さらにシルクロードなどを通って、欧州にまで伝わって、海外に頭を抱える、ってポーズが普及して、現代になって、日本にポーズだけが戻ってきた、という関係だ。

ありえないだろうなあ。ちょっとだけ気になるなあ。

ヤヴァイ、もっと書きたいことがあったのに。

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2006年7月 9日 (日)

マエムキ

久しぶりに前向きになってるね。

土曜日、(あいかわらず、人に会うのはイヤでしょうがなかったけど)、会社の運動会の練習で、ヘトヘトになって汗かいたのと、そこで、あんまり何も言われず、言わず、ひっそりとやり過ごせたのが良かった。すっきりしたんだよね。 久しぶりに、能動的に、あれやりたい、これやりたいが出てきた気する。

そのへんは、この場でおいおい。誰に対して、発信してんのか、わからんけど。

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2006年7月 6日 (木)

こころ乱れてる

わしゃあ、ほんとに自分で自分がヤナやつだと思ったばい。中田くん、中田くん、ってストーカーみたいだって。

まちゃみんのひとつの基準として、本人の前で言えないことは、言った途端、それは、陰口だ、っていうのがある。陰口は、言わない、って思ってる。だから、思っても、それは、本人に言えることか、って考えて、やっぱり言えないな、って思ったら口に出さない、ってことにしてる。まちゃみんのような下賤の者は一生、中田と会ったりすることはないだろうけど、相手がそういう会うことがないだろう人であっても、その原則は同じことだ。全く変わらない。そうだとしたらちょーしに乗ってたんじゃないか、ってことだ。おまえ、中田さんに直接言えんのか、って。

ちなみに、あと、口に出すと、縛られる、ってのがある。ほんとの気持ちはどうか、ではなく、自分で、口に出して、既成事実になってしまったら、それを守ろう、という力が自分に働いてしまうのだ。だから、ネガティブなことは、言わない方がイイ。実現できないくらいの前向きなことを言っておいた方が全然イイ、のだ。だから、今日なんか、わかってて、だ。

でも、なんか、すごく捨て鉢な気分だった。結局、わしゃあ、単純な理屈で動いてる、って、今日は、なんか、そう思ってすごくがっかりした。弱ってるときに手を差しのべてくれる人に、どっかで、必要以上に、惹かれてしまうんだ、きっとまちゃみんは。本人には、そんな気持ちはないから、オレの方が勝手に裏切られたみたいに感じるんだ。これって、ストーカーの理屈じゃないだろうか。どーせだったら、誰からも嫌われたくなった。

オレは、人の気持ちを買おう、とするようなことは、だから、極力しないようにしてるの。やっぱり見えないことは、自分基準で考えてしまっても、それは、しょうがないと思う。どう考えても、心を掴める、って時は、きっと誰しもあると思う。そういうときに、まちゃみんは踏み込めない。同時に、逆の立場になったときに、すごく緊張する。だから、それを踏み越えて入ってくる人、っていうのは、ほんとにオレと付き合い続ける覚悟があるのか、と、ほんとは違うくせにメーワクだ、と思ってしまうか、やっぱり、惹かれてしまって、どうしようもなくなる、ってすごく極端なことになってる、と思う。素直じゃないよね。これってすごく、理解されないと思う。必要以上にガチガチな一線があるような気がする。人と濃い関係になるようなアレコレに、全く消極的だ。やっぱり、まちゃみんの距離感っていうのが、悩んでしまうもとなんだと思う。一方で、まちゃみんの方がくっつきすぎになったとき、離れたい、という相手の雰囲気を察知すると、大きく打ちのめされるのだ。オレが常に、ちょっと追ってる、っていうような距離感しか、まちゃみんは好き嫌いが強すぎてダメなのだ。前、距離感について、もっと、納得できるようなことを書いてたと思う。探して読み返してみよう。

なんか、ネタにしようとしてる。そういうの、もう、飽きてる。まちゃみんのダメなとこばい。これがよく怒られるとこだと思う。おちゃらけすぎ、って。

自分でもなんだかよくわからない。めんどくさいと思う。こんなのを晒すのもどーかと思う。こういう気分のまましばらく歩くしかないのかなあ。

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2006年7月 5日 (水)

中田くんよ、どことなく、同世代のやつのコメントが少ないぞ

さっき、報道ステーションを見てたんだけど、中田引退へのコメント、どことなく、同世代の選手のコメントがすごく少ないし、あっても、すごーく一線を引いてるような気がするけど、ウガチすぎかな。なんか世間の見方(正確にいえば、新聞なり、テレビのこういう見方をしようぜ、っていうスタンス)と、中田に直接触れた人のギャップが実はちょっと隠せてないような気がしたのだ。まあ、それはどうでもイイ。

まちゃみんが、この場で、苦言を呈して、その後、謝った途端、引退宣言。もうちょっとまちゃみんの謝るタイミングが遅れてたら、まちゃみんが悪口を言って、それで、辞めたみたいで、後味悪かったぜ。いやあ、謝っといてヨカッタ、ヨカッタ。

さて、今回の件で、一番まちゃみんが興味深かったのは、引退そのものより、インターネットで直接言ったことを、マスコミが後追いする、という構造、についてだ。

すごーく、面白かったのは、同じサッカー業界の、川淵さんと、やってることは、同じで、手段が全く別だ、っていう対比だ。

やってることは、同じ、というのは、既成事実の作り方だ。川淵チェアマンの方は、日本代表監督をオシムにすること、で、中田の方は、自分が引退すること、だ。お互いこれを、それぞれ、対照的な手段で既成事実化した。

話は逸れるけど、川淵チェアマン。後でも、言うけど、川淵チェアマンの失言のこと。マスコミも良くもまあしゃあしゃあ、と、「失言」って言えるなあ、と。正確に言えば、「失言」という文脈に付き合ってるなあ、と。あざとすぎるこういう言い方は、やめて欲しいし、そもそも、それに対して、何の批判もなく付き合う、マスコミ、それを受け取る我々、ってのももっとヤダ。ほんとに、失言だったら間違えて言っちゃうなんてことがあって良いわけないし、もっと叩かれないとダメでしょう。まあ、大きなお世話だけどね。少なくとも、あの現場にいた人は、皆、わかってて、あえてなんだと思うんだよね。

それは、イイ。中田も、川淵チェアマンも、とにかく、世間に対して、そういう発表をして、既成事実化した、ってことだ。

で、こっからが対照的で面白いんだけど、その既成事実化の手段だ。川淵さんは、昔ながらのマスコミ、とのさっき言ったまちゃみんとしては、納得できない、高度な談合、を通してで、中田は、インターネット。まちゃみん的にはほんとに面白い対比だ。

業界新聞、というのがある。業界新聞って、そこそこの規模のある業界だったらどこにもあるんじゃないだろうか。いわゆるサラリーマンが属する仕事の世界ではどこでも。メーカー、金融、食品、エトセトラ、きっとどこでもあるよね。航空業界、ってのにも、ある、って聞いたぞ。業界新聞って、結局、良い言葉で言えば業界応援新聞、だし、悪い言葉で言えば、提灯記事新聞、だ。企業側にも情報を業界に出したいニーズがあるし、あるいは、もっと、悪く言われたくない、というニーズがあるし、新聞はもちろん、それをネタに、あるいは、ネタにしない、で、食ってるわけだ。言っとくけど、決して良い悪い、じゃない。そういうもんだ、って、言いたいだけだ。要は、実は、持ちつ持たれつだ、ってことだ。報道する側もされる側も。

そんで、さらに言いたいのは、スポーツ新聞だって、スポーツ業界の業界新聞だし、もっともっと言えば、全国紙だってそうだと思う。全国紙は、日本、という業界の新聞だ。だから、逆に、弱いものばかり叩くような構造になってると思うよ。っていうか、少数派しか、叩けないのだ、構造的に。新聞は自分が食えなくなるようなことはしないのだ。スポンサーに逆らったり、たぶん、日本の代表者である政治家に逆らったりはしないのだ。その政治家や、スポンサーが完全に落ち目、って見えた時以外は。読者から読まれなくなるようなことは書かないのだ。今回の川淵チェアマンのあの「失言」を「失言」と乗ってあげてるのは、そういう類のもんじゃないか、としか思えなかったのだ。ひらたく言えば談合だと思うの。だって、報道する方は、けんかしたら、今度、情報もらえなくなるもの。善し悪しじゃなくて、構造的にそうなるもんだ、って言いたいの。

なんかおもしろおかしくしようと思って、若干、無理してる感がなきにしもあらずだけど、遠からず、とも思う。

とにかく、川淵チェアマンの意向、つまり重要な情報を持ってる、川淵チェアマンに楯突けないわけだ、しょせん、その程度のことで。で、川淵チェアマンが、昔ながらのマスコミを使っての既成事実化、をしたのに対し、中田はネットを使ったのだ。中田自体は、これをどう考えてるか、知らないが、すごく、新しい可能性だとまちゃみんは思ってる。

去年かな、一昨年かな、華氏911を見たとき思ったの。途中の理屈は忘れちゃったけど、そりゃあ、マイケルムーアが憤るくらい、ブッシュは悪いヤツなのかもしれないけど、これからはインターネットがあるから、いつまでも、そういうトップダウンでの支配、っていうのは続かないよ、と思ったの。ほんとに、マイケルムーアが描く無茶苦茶なのがブッシュ大統領だとしたら、それは、過去よりも、今後は、そういうものは、もっとダメだ、ということになるに違いない、と。まともな意見がヨコの繋がりで、力を持つようになってくる、って思ってたの、今後は、絶対に。それは、インターネットだ、って。インターネットって、そういうインパクトがある、って思ってたの。

中田の文章は、これは、悪気のない意見だけど、正直、ふきあがった高校生が酔っぱらって書いたみたいだ、と思った。この程度のことだったら、口で言ったら、マスコミがもっとうまく書いてくれたよ、ってね。けど、直接、中田本人が発表し、それを、マスコミが後追いした、ってことが重要なの。

マスコミが悪い、とは言わない。けども、一方で、インターネットってメディアがあって、そこでは、マスコミが構造的にかかえるものとは全く別の次元で、同じことができる、ってことが今回の件で証明された、と思うのだ。

今回の、川淵チェアマンと、中田の、それぞれの情報の発表の仕方で、旧来のマスコミとの高度な談合による発表と、ネットの直接的なつながり、ってものでの既成事実化、ってところで、その両者の違い、ってのがすごく鮮明に見えた、と思うのだ。

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2006年7月 4日 (火)

恋するナオンからは、何かが出ている

◆恋するナオンからは、何かが出ている
恋するナオンからは、何かが出ていると思う。
女の人はイイ匂いがするからスキになってしまうのか、女の人の方があえて出してるのか、はたまた、ないものをこっちが勝手に感じてるのか。
所属が変わってから、そんな経験を何回かして、良くわからないけど何かがあるのはもう確実だと思う。でも、あんまりはっきりそう言ってるのを見たり、聞いたりしたことがないと思う。
言いにくいことなのかな。
もう、まちゃみん、勘違いしたくない。どうか、まちゃみんを惑わさないでくれ。ナオンが好きになれないこともなかったみたい。そういうのはフリーの時だけにしてほしい、ほんとに。せつない。苦しい。

◆先週の練習
正直、ベースが大きかった。うーん、わからん。録音器置く位置かなあ・・・。むしろ、ちょっと小さめ位のつもりだった。

◆ピーク
まちゃみん、今、ピークだと思う。こんな睡眠を取らなくても大丈夫になるとは思わなかった。でも、それは、身体から借りれるようになっただけのような気がする。ちょっと前までは、貸してくれなかっただけだ。疲れても眠くない、ことの代償は、身体があとで払うんだと思う。ちょっと前までは、ツケにしないように、疲れたらなんと言おうと眠かったし、寝た。今、そういう状態なのに、その割には何ものにも打ち込めてないと思う。このツケは、あとから払わないといけないと思う。今のうちに早く何かに使いたいんだ、ほんとは。

◆もうちょっとわかりやすく言いたい
好き嫌いがあるからこそ、それを踏まえて、そのあとに理屈で考えないといけないと思う。ほんとに良いこと、ってなんだろう、と。むしろ、好き嫌いを正当化する理屈ばっかりをまかり通そうとする人が多いような気がしてる。本人は、あえて、なのか、無意識なのか。どっちにしても、相当タチが悪いと思う。

◆内田さんの言葉
昨日読んでた。この本は、なんか元気がでる。この本で元気がでる、っていうのは何か正しい読み方じゃないような気もする。でも中身自体は、ほんとにいわゆるハゲ同だ。特に染みいったのは、以下の2つだ。「 」の中を色んなものに置き換えられると思う。みんなこういう考えを共有してくれればイイのに・・・。
・売春というのは厳密には「身体」を売るのではなく、「身体を売るような人間である」という社会的評価を受ける代償に金を受け取るということです
・反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事
疲れすぎて眠れぬ夜のために」内田樹 著より

◆辞めるひと
辞めようとしてると思う。今日の全く関係のない電話で、まちゃみん、勝手に全部つながっちゃった。思い過ごしであってほしいが、空振りの数だけ、まちゃみん、当ててもいる。ほんとに辞めてほしくない。もうちょっと夢をみていたい。なにか、お別れしなければならなくなると思うと、気持ち悪い位苦しかった。

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2006年7月 3日 (月)

中田くんよ、ごめんなさい

昨日、中田は、能力が飛び抜けて高いのかもしれんけど、それが全体の力を上げることにつながっていないんじゃないか、って書いた。逆に、中田が足を引っ張って負けた、位のことを思ってた。でも、昨日、準決勝のイングランド、ポルトガル戦を見て思った。それは、違う、と。ほんとにワールドクラスの選手は、中田だけなんであって、諸々あるだろうけど、そもそも、中田の動きについていけないようでは、こういうワールドクラスの大会では、もう全然勝ち残っていけないんだ、と、そう思った。昨日書いたことが全くないことはないだろうけど、圧倒的な、運動能力とかの差を見てると、もう、それは、全く些末なことだと思った。

イングランドは、もう、個々の選手が鉄のように強い、と思った。動きがきびきびしててさ。しかも、あの人たちって、ユナイテッドキングダムのなかで、分かれてるなかでのイングランド代表なんだからね。昨日、ラグビーは体格差があって、戦略以前の問題、って書いたけど、体格差じゃないけど、サッカーでも、運動能力の差で、もう、すでに、勝てないのかもしれない。日本は、なんか、1億人もいるのに、ああいうワールドクラスのレベルに至ってないんだな、と。ということは、もう、人種的な問題だと思う。こと運動に関しては。すべて、そういう前提で、やった方がイイと思う。サッカーだったら、走るのが、基本にあるんで、体格とか関係ないんかな、と思ってたけど、そうでもないみたいだね。あの動きのきびきびさ、を見てると。でも、野球は、世界制覇できたんだから。

さて、優勝予想だけど、まちゃみんは、一貫して、ドイツだと思ってた。けど、昨日のイングランド、ポルトガル戦を見始めて、これは、イングランド優勝だ、と。人数的にもルーニーが退場になって、少なくなって、こりゃ、ポルトガルの勝ちだ、って思ったんだけど、それを覆したからね。まあ、ポルトガルは、イングランドに比べて、動きがピリッとしてなかったけど、後半勝負なんだな、と、イングランドを疲れさせて、後半で勝負をかけるんだ、と。でも、ポルトガルは、いつまでたっても、ピリッとしない。それに比べて、人数が少ないはずのイングランドはずっときびきび動いてる。すげーと思った。これがワールドクラスだ、と。まちゃみんは、どーせ、PKになるんだったら、イングランドに、上に行って欲しかった。もっとイングランドを見たかった。

これも、昨日書いたことを覆すけど、これくらい動くんであれば、サッカーも面白いね。もう、必死で動いていて、攻守が、入れかわるから、面白かった。

もう、イングランドがいない今、優勝はドイツしかない。今、残ってる4チームのうち、イタリアも、フランスも、そして、なんとドイツも、まちゃみんは、それらの試合をきっちり見たことないのに、言い切るけど、ドイツだね。すごいぞ、まちゃみん。おそろしいね、にわかファンの思いこみって。でも、理由ないこともない。あんなすごいイングランドが勝てないくらいなら、やっぱり、もう、別の要素で判断しちゃってイイと思うのだ。もう、開催国は圧倒的に有利だと思うの。けど、南米のチームもひとつくらい残って欲しかったなあ。

それにしても、テレビは、なんで、ジダンにあんな感情移入して、喜んでるのかわからん。逆に、浅さがバレちゃってる感じがするけどね。一番、安易なところに行ってる、という。なんちゅうの昨日の話でサッカーは、試合そのものより、解釈が面白い、って話になったとき、もっと面白い切り口があるような気がするんだよね。だったら、お前、出せ、って言われても出せないけど。けど、もう、ここまで来たら、ドイツ、フランスの決勝、というのが一番盛り上がるだろうね。色んな意味で。ブラジルが消えちゃった今。ポルトガル、イタリアは期待されてないぞ、空気を読んでね。

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2006年7月 2日 (日)

中田くんよ、野菜を食いなさい

昨日書いたやつ、これって、さらに前に、サッカーで、オーストラリア戦の感想で中田に対して思ってたのと、理屈としては同じなんだよね。あ、いくら年下でも、中田呼ばわりは良くない。中田くん、と呼ぼう。さて、昨日のことを、サッカーに当てはめると、言いたいことって、個人の能力を競ってるんじゃなくて、あくまで、その個人の能力が、サッカーという集団の力に、どう転換されるか、ってことだよ、と。なんか、言葉の意味がそのまんまで変な感じだけど、サッカーは1人でやるんじゃなくて、ゲームにおいて、11人の力の総体を競うもんだ、と。もちろん、その11人を排出する、土壌、ってあると思うけどね。だから、日本って、もっとがんばらないといけないよ。だって、2番目か3番目だったもの、人口の順位では。ワールドカップの出場国のなかでは。

話しは戻って特に中田くん、って、結果的には、勝敗を決めるところ、要は、得点を取る、ってところ、決定的に絡んでなかったんじゃないか、ここ最近は。もちろん、まちゃみんは、やっぱり、目で見えない相手へのプレッシャーとか、そういうとここそ重要だと思ってる。で、中田くん、ってやっぱり、スゴイとこはあるように感じてる。だから、ちょっと厳しすぎるかもしれない。でも、言いたいのは、個人の能力を競ってるんじゃない、ってことだ。あくまで、敵より、多く、点を取る、ってのがサッカーとしての、勝敗の決め方、でしょう、と。そうした時に、中田くんの力が突出していたとして、その力が素直に全体の力、というところに転嫁されてるのか、ってことだ。特に点を取る、ってところに。いや、中田くんに対して、オレあんまり共感できないのは、なんか野菜食わない、とかそういうことを聞いたりしてるからかもしれない。これ、って実は重要だと思う。野菜食わない、って偏りすぎだぞ。せめて、にんじんは食えない、位にしとけよ。偏ったものしか、身体に入ってない、入力が偏ってる、ってことは、結果的に、人間としての出力も、どこかが偏ってしまうと思うのだ。たぶん。実際違うかもしれないが、そういう余計な見方をされちゃうぞ。老婆心ながら。中田くんよ、野菜を食いなさい。

で、思ったんだけど、結局、サッカーって、そういうサイドストーリーでしか楽しめないな、ってことなのだ。サッカーそのもの、ってエンターテイメントとしては、そんなに面白くないんじゃないか? オレ、日本代表の試合ですら、すぐ飽きちゃって、前後半通してきっちり見たことないもん。実は、あんなエラソーなこと言っちゃったけど、オーストラリア戦だって、後半は最初の方、寝てたもん。ラグビーは結構見れるのになあ。っていうか、ラグビーはねえ、全体を通して見ないとダメなの。ある程度いいゲームだったら。つまり、ワンサイドになってないようなゲームだったら。ペース配分があるから。で、得点も3通りあるから、すごく戦略があるの。時間によって、こういう攻め方だなあ、とか、フォワードが疲れてるから、得点差的には、トライを狙いたいけど、PGを確実に取って、休ませよう、とか、もう、色々あるの。見方が。そして、それは、時間と共に、変化していくから、絶対通してみないとダメなの。悲しいかな、ラグビーの代表はオレの見るところ、国際試合においては、余りにも体格が違いすぎて、毛唐、っていうか、外人とやると、戦略以前の問題になるの。ほんとに悲しいけど。そんなワンサイドのゲームになったって、ラグビーの方がはるかに面白い。まあ、サッカーにも戦略、ってあるのかもしれないけれど。

脱線したけど、サッカーって、ゲームそのものはやっぱり面白くない、ってことでね。もう、個人的には、全くそう思ってる。サッカーが今、面白い、とすれば、それに対して、百花繚乱する解釈だ。どこまでいっても、サッカーそのもの、ってそんなに面白くないと思う。どうしたって、野球と比べてしまうんだけど、サッカー、ってやっぱり、ゲームそのものとしては、楽しみどころがそんなに多くないと思うんだよね。野球なんかさ、すごく、切り口が一杯あると思うんだけどね。で、サッカーのゲームとしての単純さ=実はそんなに面白くない、ってのを超えて、こんだけ盛り上がってるのは、だけど、全世界に広がってる、裾野の広さがあって、だから、秀逸な解釈、とかも出やすいんだろうね。質より、量でなんとかなっている、という。乱暴な意見だけど。

で、そういうサッカーをネタにした解釈として面白かったのは、「宮本がプレイヤーとしての資質に対して、結構、疑問視するような評価も散見された中、キャプテンとして出てるのは、もう、間違いなく、中田に意見できるのが、宮本だけだからだ」とかさ。オレ、これ読んだとき、なるほどね、と思った。そして、きっとそうなんだろうなあ、あの内部では、と思った。そんで、だとしたら、やっぱり、チームとしての力は落ちるのぉ?、ってなるじゃん。そうなんだよ、と。 ファミコンのサッカーゲームじゃないんだから、選手個々の能力がホントに、たとえば、デジタルの数字で表せるとして、単純な数字の足し算にならねえ、ってことだ。そうだとしても、宮本じゃなくて、他を出せば良いんでしょ、もっと数字が高いやつを。でも、人間関係、っちゅうもんがあって、それができないわけだ。中田の個人として、高い能力も、全体を底上げするための、デジタルでは表せない能力では大きくマイナスがあるかもしれないのだ。そこが考えられてないよなあ、って。あと、「日本は、中盤の選手はタレントが多いけど、点を取るFWがいない。あと、DFもそんなでもない。それは、今でこそ格差社会とか言ってるけど、ちょっと前まで、中流意識とばかり言っていて、突出して強い階級も、弱い階級もなかった、日本の社会そのものを現してる」とかね。こういう、サッカーそのものじゃなくて、サッカーを元にした、色んな人の、考えや、解釈が面白いんであって、やっぱり、サッカーそのものが面白いんじゃないよ、と。

ついでに、あと、まちゃみんオリジナル、というか、謙虚に、あんまり、聞いたことのない意見を言ってみようと思う。日本は、FWで突出した存在がいない、っていう論調を聞くけど、これはやめた方がイイ、と思うんだよね。ちゃんと、正確に、得点力不足、って言わないとダメだと思う。というか、FW不足、と、得点力不足、ってことをちゃんと使い分けろ、と思ってるの。なんか根本的なことを忘れてるんだよね、日本にはストライカーがいない、とか言ってる時、って。だって、サッカーって、あくまでゴール数の多寡を競うゲームであって、ゴールを入れるのは、FWじゃなきゃダメ、なんてどこにも決まってないでしょう。むしろ、野村さんじゃないけど、点を入れられなければ、負け、ってことは絶対ないんだよね。例えば、GKが入れたって同じ得点じゃん。だから、FWいなくても別にイイじゃん、って思ってしまうんだよね。実際、ワールドカップの予選を通った、ってことは、誰かが、点を取ってきてるわけでしょ、と。なんか発想の仕方が間違ってると思うんだよね。FWがいない、とか言って、別にFWが極端な話、一人もいなくてもイイじゃん。DFが点入れたって、それで、勝ちゃあイイじゃん。っていうか、そういう、FWが点を取ることで、勝つ、って、既存の枠組みで考えちゃってるから、そもそもダメだと思うのよ、ほんとに。ポストがまずありき、じゃん。やめてくれよ、サラリーマンみたいだなあ。

キャプテン翼の読み過ぎだよ。なんだっけ、シュートを決めるときに、ダイナマイトシュートとか、ハヤブサシュートだっけか、そういう必殺技的ないわゆるシュートを放たなければいけない、なんちゅうことはないと思うのだ。もし、MFに人材が多いとして、実力も高いのがほんとだとしたら、点を取るMFとか、いわゆるシュートじゃなくて、キーパーを抜いちゃうような形で点を取る、とか、そういう点の取り方がすげえ、ってキャンペーンを張ったらどうだろう。ジー子監督も、シュートはゴールへのパスだ、とか言ってた、って言うじゃん。なんかさあ、勝つには勝ったけど、DFのヘディングだった、とか、いうと、すごくネガティブな感じのキャンペーンをするじゃん。そうじゃなくて、積極的にそういうところに価値観を見いだして、それが、カッコイイみたいな風潮作れよ、と思うんだけどね。

どうだろう。

すごーく大きなこと言っちゃうと、みんなが中流で、そこそこの幸せでいることが、実はイイこと、強いこと、なんだって、サッカーで証明してほしい。とか思っちゃうかな、感傷的なことを言うと。ムラ社会とか、ネガティブなところが強調されてるのがイヤだ。 で、今度のオシム監督、ってのが、そういうことを踏まえた上での人選だったら、まだまだ、日本代表はそこそこ期待できると思うんだよなあ。

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2006年7月 1日 (土)

会社というカネ集めのシステムに参加する個として

仕事の記録を残しておいた方がイイかな、と。自己啓発的な意味合いじゃなくて、もう全くの実際の成果、として。今、俺は、今の職場で、あまりにも相手にされてない。完全に、信頼関係がない状態だ。返す返すもこういう状態にそもそもしたくないのは、当たり前。なんだけど、まちゃみんの不徳のいたすところで、諸々の状況の積み重ねから、今は、そういう状態にある。

今さらだけど、そういうのって、はっきりと仕事の成果にも直結する。信頼感がない人々と仕事するためには、いちいち説明してあげなきゃいけない。相手を安心させる、ってことに、そうでない場合より、大きなウェートが取られてしまうのだ。もちろんそんなことは、わかってたから、絶対そんな状況にしたくなかった。でも、まちゃみもまだ、子供で、引けなくて、そういう状況になってしまった。ちょっと前は、自分自身が動くことで違う気候のところに行こうと思ったけど、今や、動かず、空の方が変わるのを待とうと思う、待つしかあるまい。ところで、実際、そいつを安心させたところで、結果とはほとんど関係ない。決める権利を持つ人間のとこを通さないといけないだけだ。どっちが悪かった、という言い方は俺はしたくないけど、明らかに弱いものに初めから敵意を向けて接する、というのは、俺の基準では考えられない。そういうもんが伝わらないと思ってるんだったらもっとナメてる。

仕事の記録、って今日、思ったのは、決める権利を持つ人間を通す、というのは、それに関わるリスクをそいつがかぶる、っていう前提があるから、のはずなんだけど、そういうリスクすら、取らねえ可能性があるんじゃないか、ということを心配してる。リスクを取らないんであれば、同時に口出しする資格もないはずなんだけどね、ほんとうは。でもその理屈が通用しない、と。そこもケアしとかないとまずい状況になっちゃうかもしれねえよ、と。要は仕事してねえ、とか、そういう悪意を持った迫り方されちゃったときに守れるようにしとこうよ、と。これとこれとこれをやりました、って記録をとっておかないと。なんて後ろ向きなんだ。

善し悪しを言ってない。組織で仕事をするにあっては、実際の成果に直結しないところも、仕事になってしまう、という傾向がより強まる、ということだ。ネゴ、ってやつ、これはある、と。それもひとつのジャンルだろう。そういう場面というのはもちろんゼロではないし、全く意味ないことではないと思ってる。でも、仕事の成果に、社内の手続きも含める、って前提で始めて当たり前、よしとする、ってのは、全然おかしいと思う。それを少なくしよう、少ないほうが良い、って前提で話すんだったら、もっと、違う接し方があるでしょ、って思うんだけどね。そうじゃないから、腹が立つ。だって、基本的には、目的は同じはずでしょ。だから、そういう前提にたって、そういう役割を演じた上で話をしないといけないわけでしょ。というか、こういう前提すら気づいてないのか、あえて、とぼけてるのか。ほんとにこういうやつの相手をしなきゃいけない、っていうことにわしゃあ、今、必要以上に疲れてる。なんとでも言え。わしゃあ、そう感じてる。

社会に出て、しみじみ思うようになってきたのは、むしろ、感情を正当化するために、感情を出さないところから、屁理屈こねる、ってことの方が、全く一般的だということだ。俺の考えるベクトルと全く逆。嫌いだから、好きだから、って言われた方が俺は全然納得する。だけどね、ってそこから始めたいの、俺は。ごめん、そっちの方が、気持ちイイんでやっちゃいました、とか、そっちの方がシュミです、とか、そういうふうなところから話を始めること、ってそんなに悪いことなのかな。人間という、動物という、本能、煩悩を持つものに生まれてきてしまった以上、しょうがないじゃん。なんで煩悩を持つんですか、とか、そういう話を始めたら、死ねば煩悩はなくなるよ、ってわしゃあ、なるね。理屈はそうだけど、こっちだもーん、って場面、ってあると思うんだけどなあ。

なんか、ずるいやつばっかりに思える。俺も、お前も、基本的には、会社というカネ集めのシステムに参加してるいち参加者に過ぎないはずだ。サラリーマンだったらね。サラリーマン、って賃労働者だぜ。一個人はリスクをある程度軽減される代わりに、ある程度、月のお給金をもらえる、っていう、そういう権利を手に入れられる、って、そういう取引をしてる人のことだと思うけどね、賃労働者、って。ほんとはそうだと思う。だからこそ、会社は、経営者意識を持て、とか、個の自立、とか、すごく矛盾したことを声高に主張してると思う。だって、ほんとに、そう、おっしゃる通りのヤツだったら、会社に居なくて、自分で食っていけば良いわけでしょ。そして、そんなやつばっかりだったら、会社じゃないじゃん、そういう組織、ってそもそも。だから、ほんとは、会社は、そんなこと本気で望んでない。できてないヤツが圧倒的に多いことが前提なんだよね。でも、逆に、会社に従え、と言っちゃうと、会社に従ってれば、ぶら下がってイイのか、ってなっちゃうから、極端に前向きなことを言ってるわけでしょ、そうでない一社員に。

まちゃみんが言いたいのは、会社というものに居る一社員だったら、その前提での、役割前提での、発想とか、話し方とか、対応とか、しろよ、って思ってるわけ。たぶん、なんだけど、ほんとに本人は真剣に、ある意味、悪気なく組織としての責任感と単なる個人のエゴを混同し、履き違えてるやつが多いんじゃないかと思う。自分の力じゃなくて、会社の看板、会社のオカゲ、で食ってるのに、なんで、そういう状況だけをネグレクトした、立場、我が、我が、でモノが言えるのかな、と。お前がメシを食ってる源泉である、会社全体を良くしよう、っていう発想になってないんだよ、ってことはいつも思ってる。お前、もしくは、百歩譲って、お前の組織だけが最適であることが会社全体、ってものに、どういうプラスの影響があるか、って大前提で話をしてるか、って。ほんとにバカで気づかずやってんだか、気づいてあえて、なのか、テメーのせこい利益を守ることが第一になってしまってるバカヤローが多すぎる。(たけし風) ほんとに、個人プレーが好きで、それでなんとかなるんだと思ってるんだったら、自分で資本を集めるところからやってくれよ。

フェアじゃないことが相当キライだ。俺自身はそういうのはすごくカナシイ、居心地悪い、と思ってる。でも、実際、そういうものがある、ということだ。こんなことを言うなんて、まあまあ、まちゃみも成長した、というか、世間、というものがわかってきたんだろう。でも、こういう環境にいる、ってことが生きてる、ってことなのかなあ。

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