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2006年7月18日 (火)

共食い

まちゃみん豚肉食ってると共食い、とか、言われるじゃんか。
いや、真剣な話なんだけど。

うちの母親は肉が食えない。正確に言うと、鳥と4つ足の動物の肉だ。魚は食える。あんまり、詳しく聞いたことないけど、食ったら吐いちゃうとか、なんか、ジンマシンが出る、とかそういう実際的な理由じゃないと思う。要は、生き物を殺して食ってる、ってことに耐えられないみたい。精神の問題だね。リアルに想像しちゃうみたいだね。コロス、ってことと、その生き物を引き裂いてる、ってことを。

かく言うまちゃみんも、前、Pちゃんの話を見たあとは、しばらく食えなくなったもんね、肉を。

Pちゃんの話はしばらく前にテレビで見た。

どっかの小学校で、経済の流れだとか、流通の仕組みを学ぼう、っていう、まずは、そういう目的から、豚を育てて、売ろう、という企画を行った。はじめは、ほんとに、そういう目的だった。つまり、豚は、そういう流通の単なる対象だった。だけど、丸々と太って、いざ、売ろう、となった時、これまで育ててきた豚のPちゃんを、屠殺場に送ってイイのか、と、いうことになった。子豚のころから育ててくると、もう、はっきりと、情、っていうもんが移っちゃって、そういう対象じゃなくなっちゃった。殺せない。殺される、ってことがわかってる、屠殺場に送る、ってことをやっちゃってイイのか、と。でも、豚が売れる頃とか、計算してるから、自分らも学校を卒業しちゃう、とかで、じゃあ、生かしておいて、誰がメンドウを見るんだ、っていうと、引き受けてくれる体制もない、とかあって、延々と、話し合いをしました、と。確か、結局、屠殺場に送ったんだよね。命の尊さが逆の意味でわかりました、って、そういう話。

うちの父親の実家はもう、ほんと百姓だけど、犬とか、そういうのを飼う、っていうのがなんかヤダ、ってうちだった。オヤジは、子供のころ、ヤギを飼ってて、それを食った、って言ってた。うちのばあさんの話だと、うちのばあさんが子供のころは、ホントに、今の耕耘機とかそういうのの代わりに、牛を飼っていて、牛も、もちろん、感情があるんだって。やっぱり、いっしょに土にまみれて農作業してね、呼吸がわかったりするんだってさ。牛も、そろそろ仕事が終わる時間だな、ってのがわかったり。でも、その牛も売ったり、ってことはあった、って言ってたな。うちの父親の方の実家が犬を飼わない、って、まあ、そういうことなんじゃないかね。情が余計に移ってしまう可能性のあるもんを必要以上におかない、っていう。

うちの犬だって、肉食だと思うんだよね。まちゃみんも肉を食います、と。だけど、その犬だって、まちゃみんのことを豚のように、うまそー、って目で見てないと思うし、まちゃみんだって、この犬食ったらうまいんじゃないか、って思わない。

だから、その一線はなんだ、ってまちゃみんは、思ってなんか書いてみようと思ったんだけど。

考えた、ってほど考えてないけど、それは、そういうもんなんじゃないか、と思う。
ほんとのほんとの意味で、こういうことをそもそも当然、と思うような発想になってるんじゃないだろうか、我々は。なんちゅうの、人間に生まれたら、たいがい言葉をしゃべるし、目は2つだし、永久歯に生え替わるし、とか、そういうレベルの。本能、っちゅうの。

逆にそういうところから逃れられないじゃん。

ぜんぜんまとまってないけど、そういうもんだ、で済ましてイイもんってのもあるんじゃないか、と思う。
で、この理屈は節度をもって応用できる。というか、節度をもたないと応用しちゃいけないんじゃないか。
生煮えだけど。

あとで書き直すかもしれないなあ。

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