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2007年2月 1日 (木)

ペヤングカップ焼きそばを食いながら、たけしのアンビリーバボーで泣いてるまちゃみん

ほんとに、久しぶりに、充実してる、という感覚が、あった、この1週間。いや、まだ、明日もあるけど、明日もやることがある。明日も会社、早く行こう。

その充実感のせいか、今日、ひさしぶりに、まちゃみんの会社の社内報を読んだ。読んで、気付いた。これを読んだの久しぶりだと。というか、1年ぶりだ、と。やっぱり、まちゃみん、この1年間、ほんとに、辞めようと思っていた。

まちゃみん、このページのことは、ほんとに、近しい、というか、親しい、人には、言ってない。だもんで、まちゃみんの会社の関係の人間はここを読んでないと思うので、これを書きたい。今回の社内報は、技術的な部分と、思想的な部分で、思うところがいっぱいあったから。技術的な部分でははっきり言って説教に近い。だから読んでない、と思うから、書ける。担当者を知ってるだけに。

まちゃみん社内報をやっていた。まず、側面支援のカタチで2年、そして、その後、2年間、本格的にやった。本格的にやった、というのは、まさに、編集の立場だったのだ。

その観点、つまり、技術的なところからひとつ、巻頭企画。熱さが足りない。ある意味、定番の企画だと思う。かくいうまちゃみんも1回やってる内容。正直言って、細部のこだわりがなくなったように感じた。まちゃみん、自分がやった時のやつを読みたくなったよ。オレ、こんなつまらん感じのことしてたのかな、と。オレがやったやつを当然、読んでるはずだから。こんなん、過去のやつをたたき台に作っていくのは基本だからね。だって、よく読んだら、素材はすごくイイのよ。間違いなく。こういうイイ素材をなんで、もっとアツイカタチで、料理できないか、と。みながんばってるじゃん、って熱くなれるのに、なりきれてなかった、って。

そして、ひとつ感じたのは、一般性がなくなった、と思ったのだ。まちゃみん、やってた時は、まちゃみんが、バカの前提でやっていた。つまり、バカのまちゃみんが読んでも、わかるか、面白いか、と。そして、まちゃみん、ってバカなの。つまり、直線的な積み上げでしか考えられないの。で、文章、って実は、この直線、というところが重要だと思うの。文章、というのは、基本的に、前から後ろへ読んでいくものなの。だから、改行してあるにしても、上から下にまず、すらっと目が動けることが重要なの。なんか、そういうところが配慮してない、って感じたのよ。これは、細かいところだと思う。あ、これは、文章そのものの話ね、養老さんが言っていたと思うけど、目というのは、前後がなく、耳というのは、前後があるの。つまり、目=視覚は、感情で、耳=聴覚は、論理なのよ。ここで言ってるのは、文章の耳的感覚の方で、文章そのものの話ね。前に戻って読みたくなるのよ、言葉が唐突だから。だから、上から下にまず、目がさらっと動ける、という、実は、中身そのものより重要なことができてない、って感じたの。逆に誤解を恐れず言えば、文章なんて、上から、下にさらっと読めれば、わかったような気になれるのにねえ。

そして、目=視覚も、しょうじきあまり良くなかったのよ。現物を示して言えないので、ざっくり言うと、すなわち、熱さでね。熱気が感じられないの。全部、四角の中に収まってるのよ。ごりっと枠にはめられちゃってね。熱さが元気を出しゃあ、いいと思うのに。押さえつけられてるのよ。だから、目でも楽しめないんだよ。そういう順番が必要ないところでは、はっきりと、枠が指定されちゃってて、つまんないのよ。レイアウトこそが感覚、感情なのにね。そこが四角張ってて、文章という、四角張らないといけないところが四角張っていないのよ。

まちゃみん、広報を離れて、そして、1年ぶりに営業、という部署の観点から読んで、社内報って、やっぱり、なきゃダメだ、と思った。もう、色んな情報を拾えるじゃん、と。いや、まちゃみんが社内報をやってた時は、こんなん、どう、会社、の数字の部分で貢献してんだ、と、こういうものを作るカネがあったら、給料に回せ、と、そう、言われてたのよ、心ない人から。でも、実際自分が、それを作ってる立場だしね、望んでなってないし、自信がないから、そうかもしれないな、と思いながら、やっていたのよ。でも、自分が離れて読むと、これは絶対必要。逆に、こういうものを作る余裕がなくなったら、どの道、ダメだろうね、会社って。なんかそんな感じがする。会社が、もっと言えば、世の中がこういう余裕をなくしたら、おしまいだと思う。

あと、余談でひとつ。社会問題について、弊社の社員がどう考えるか、という企画がある。今回のは、大学の入学時期を9月にして、その間、社会福祉活動をさせよう、という政府案がある、ということについて、意見を聞く、というもの。で、なんでもかんでも、欧米に合わせるのはどうか、って言ってる意見があったのよね。かわいらしかった。

ペヤングカップ焼きそばを食いながら、8チャンネルで、やってる、テレビで泣いてしまった。ほんとに、オエオエいって泣いてるからね、アホか、まちゃみん。しかも、ペヤングカップ焼きそばを若干むせてもどしながら。アホか。

実は、先週も、この番組で泣いてる。まちゃみん、的には、家族が、最近のキーワードみたい。昨日、この日記でも書いたけど、家族。この番組、全然、見ようと思ってない。だから、2週連続、たまたまなんとなく見てたら、泣くまで見てた、って感じ。

先週のは、難病に侵された我が子をもった先生、の話。子供が難病に侵された。保険入ってたのに、勤務地を移って保険を変えてしまった関係で、空白の日が生じてしまい、高額の手術料が払えない。手術さえ受ければ、直せることがわかってるのに・・・。手術料が払えなくて、死に向かっていく我が息子を手をこまねいて、見ているだけの先生。そんな時、クラス一のイジメられっ子が、これで、どうか助けてください、と、自分がそれまで溜めてきたなけなしの小遣いを先生に渡したのだ。もちろん、その子の小遣いではとても足りない。でも、その普段いじめられていた子の、その行動をきっかけに、他の生徒も立ち上がった。まずは、募金から始まった。その運動はテレビに取りあげられたり、色んな人を巻き込んで、とても、集まらないと思われた高額の手術料は、なんとか、集められた。先生の子はなんとか、手術を受けて、一命をとりとめた。きっかけは、みんなからいじめられていた子の純粋な気持ちだったのだ。でも、しかし、その先生の息子を助けるために、一番はじめに立ち上がったいじめられっ子は、自分が、別の難病にかかってしまった。そして、死んでしまった。今では、先生の息子は、そのイジメられっ子の年齢を越えて、立派に成人になろうとしている・・・。という話。

今日のは、危険物を積んで暴走した電車を止めた鉄道マンの話。危険物を積んだ電車が、制御不能になった。あと、何時間か後には、街に突っ込んで、その危険物のせいで、街は、おそろしい被害を受けることは明らかだ。はじめは、なんとか、安全な方法で止めようとする。でも、考えうる、暴走電車を安全に止める方法が、成功せず、どんどん、危険は具体的になってくる。同じ組織かもしれないが、その電車が暴走した原因自体とは、関わりがなかった鉄道マンが、最後は、命を賭けて、止めることを決意する。失敗したら、死んでしまうかもしれない。そして、同じ会社とは言え、電車が暴走している直接の原因は自分にはない。でも、このまま電車が走り続ければ、その被害が及ぶ範囲は想像のつかない大きな範囲に及ぶことになる。決意した瞬間、家族に電話した。たった一言、普段、あえて口に出して言うことはなかったけど、愛してるよ、と。結果はなんとか、奇跡的に、成功、ハッピーエンドだったわけだけど。

いや、イジメられっ子の話は、良くできた話だなあ。今、自分で思い出して書いてて、また、泣きそうになってたもの。ちなみに、最近、やらせ、とか、色々あるわけじゃん。でも、別に、これがまちゃみん、作り話でも、イイ。あくまで、そこで描かれてるのは、人間、っていうイキモノのマインドの話でね。そういう極限の状態にある時に、人は、どういう行動をとるのか、別に、ホントでなくても、イイ。いや、番組は、実際にあった話、ってことみたいだけど。共通してるのは、与えてる、ってことかと思う。

要するに、与える、ってこと。最近の日記が特に共感することが多くて、敬愛してやまない、この新潟の飲み屋のマスターの日記でも、同じことが書かれていた。全く、すごいシンクロだ。まちゃみん勝手に解釈するけど、マインドは全く同じだと思う。要するに、自分は、人から与えられて成り立っている、と。まちゃみんの言い方では、まちゃみん与えよう、ということだけど、真逆に全く同じことを言ってると思う。まちゃみんの場合、元ネタはウチダ先生だけど。ウチダ先生の「自分の荷物は、自分にとっては、重い。でも、他人にとっては、軽い場合がある。」という言葉。そして、昨日のまちゃみんの日記。人は、与えられることでしか、自分の意味を確認できない、と思う。

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