カテゴリー「映画・テレビ」の27件の記事

2007年7月 9日 (月)

プレステージ(THE PRESTIGE) 観た 感想です ~オチは言わないでください、って、言われてもなあ

いやあ、確かに言いたくなるね、あのオチは、釘を刺されないと。冒頭に監督からのメッセージです、っつって、オチは言わないでね、って流れるの。ツマンナイ、ってことがダダ漏れになるからだろうね。

ごめん、ごめん、オチ、って部分に付き合っちゃったけど、そもそもどっかにオチがなんてあったっけ? という感じ。オチなんて何にもなかったよねえ。何の感動もサプライズもないじゃん。

最後、物語として、成立さすことができませんでした、すみません、って言ってるわけじゃん、あれは。これが、オチ、ってことなの?

・・・!!

いや、マジで今、気付いた。そういうことだったの!?

うわあ、やべえ、まちゃみんオチを言っちゃったよ。すみません。

そうかあ、それが、オチかあ。「物語として、成立さすことができませんでした」がオチなのかあ。まちゃみん気付かなかったなあ。ごめんなさい。言っちゃった。謝ります。いや、なるほど、マジでそういうことがオチなのかあ。気付かなかったなあ。そうだよね、2時間近く観てきて、成立しませんでした、なんてことをみんなに言われたら、誰も見に行かないもんなあ。そりゃあ、言われたら困るよね。

新しいなあ。だって、普通、オチを言わないで、って言ったら、あくまで、物語としてのスジのことを言ってるわけでしょう。ところが、これは、一段上から、ツジツマ合いません、って言ってるわけだ。なんか脱力なので、物語の中身は詳しく言いません。つまらない、ってことだけは確かだなあ。人によっては、バカにすんな、と怒るだろうと思うよ。

でも、それをあえてやっていて、それ自体をオチと捉えるならば、なるほど、すごく面白い映画だったと思う。で、たぶん、そういう意図はないと思う。だからこそ面白い。新しすぎる。これは、たぶん、ほとんどの人が気付いてないぞ。まちゃみんだけは気付くことができたみたい。良かった、良かった。でも、これは言わないと、あまりにも難しくて、ほとんどの人は気付かないぞ。

真面目な感想としては、何ごとも中途半端だった。なんだろ、2時間、という時間ありきで作ってるみたいな感じ。時制をいじって、水増ししようというのがごまかせてなかったように思います。あと、手品バカ、ってとこをもっと極端にやれば面白かったのにねえ。手品バカ一代。原作、梶原一騎みたいな。30分位でまとめたらすごくおもしろかったんじゃない? どっちみち、最後成立しないんだからさ。これってネタバレしてることになるのかなあ?

というわけで、今日はまんまとケータイの電話帳を書き換えることができた。ケータイ叩き折ったので諦めてたけど、今日、気付いたのよね。そうだ、前の前のケータイはまだ持ってたじゃん、と。

あと、横浜で、予算1.5万~2万位で、美味しい肉を食える店を歩いて探そうと思ったけど、部屋を掃除してたら、ちょっとホンキになっちゃって、夕方になっちゃった。そんで、諦めた。で、ちょうど時間があった映画が冒頭のヤツで英語も聴きたくて、たいして期待せずに観たわけだ。お店探しは、ネットを活用しながら明日以降にしようと思う。ほんと楽しみだ。

それにしても、久々に清々しい気持ちだ。明日からまたがんばれる気がする。なんかねえ、何度か言ってるけど、音楽があって良かった。まちゃみんフェイバリットをようやくデータを入れられるようになったアイポッドで聴いていてそう思った。やっぱり期待はイイ意味で裏切り続けないといけない。それが成長する、ってことかと思う。だって、成長というのは、自分でも、その時の自分では想像できないところに行くことだと思うもの。てへ。

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2007年7月 1日 (日)

ダイ・ハード4.0 観た 感想です ~寸分違わず、イメージ通り。たいして面白くないとこまで

いやあ、すごい。ダイハード、っていう過去に一度は見たはずで、全然覚えてない、ってほどでもないにしても、やっぱり覚えてねえよなあ、というような映画、の、ああこんな感じだったよな、という、そういうイメージを、寸分違わず、そして、たぶん多くの人に、喚起してる、という点で。すごい。決して、面白すぎず、かといって、全くつまらない、というほどのこともないところまで。ここまで、たぶん大多数の観客の期待に応えてるであろう技術があるのなら、なぜ、それをもっと面白くしよう、という方向で発揮しようとしなかったか。

というのが感想の全て。そういう意味では、すごく感心した。イヤミではなく。

そう、確か、主人公は、いつも、自分の意志に反して、事件に巻き込まれるんだけど、現場の力を発揮して、解決しちゃう、というのが基本のプロットだったなあ、って。今回は、サイバーテロでね。ブルースウィリスはアナログ人間、ってとこ、とどう混ぜるのかな、と思ったら、相棒が、ハッカーです、と。ふーん。なんか、全くノーサプライズのひねりのなさからして、それがすごくど真ん中でね。ほんとに感心してしまった。

だから、あの、この前観たホリディに比べたら2.5倍位は確実に面白い。こっちの方は、とても正しくダイハードのイメージを喚起してて、ダイハードの1自体は、ホリディの50倍位は、きちんとしてたと思うので。

あ、あとひとつ、アメリカ人、ってどうして、こう、あいまい、ってものをあいまい、にしておく、っていう発想ができないんだろう、って。そう思った。直線、は、ほんとに直線だし、直線同士が交わるところは、かならず90度か45度です、みたいな。理屈だけなのよね。すごく息苦しかった。

ということで、まちゃみんは、たぶん残り30分位のところで、やっぱり携帯見に行こう、と、映画館をあとにしたのであった。みんなで観るにはイイ映画だと思う。

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めちゃイケ 矢部さん ひとみちゃん企画

残骸を見てる感じだなあ。今、昨日録ったビデオを見たわけだけど。

わしゃあ、てっきり、こっちの番組自体では、最後は逆転、ということになると思ってたんだけど。というか、これまでのこの番組の流れだとそうだったと思う。特に前半部分のマジです、みたいなフリをしていて、全然マジに見えないところでね。先週の放送は、矢部さんのつっこみ、ってことに焦点を当てて、今週は、メンバーのリアクションだった、と思うんだけど。あまりに、前半、ウソっぽくてグダグダで成立してない、ってなってたのは、最後に、大逆転で、カタルシスが訪れる、って構造にしておかないと単にほんとにグダグダなだけだと思うんだよね。

この番組見てるのは、惰性だなあ。大学生ぐらいん時は、ほんとに面白かったのねえ。天才の松本さんなんかより全然。だから、今でもなんかあるかなあ、って、見てるだけみたいだなあ。

やっぱり、たいへんだね、自分でハードルあげちゃったんだもんね。まちゃみんもこの番組こういう風に見てきたから、期待より、下回った、つまんない、って言ってるわけだからね。最低限のハードルが、最後、番組では、ハッピーエンド、ってことを期待してたわけだもんね。そうじゃないと、この前の記者会見が、それこそ単にスベってるだけだもんね。なんか、すべってたらしい、リアルの記者会見も、最後のハッピーエンドです、ってフリだからこそ、なんか、グダグダだったらしい、と。そういうことにしておいてくれなきゃなあ。

それにしても、矢部さんの別れた、って理由が、結婚したら、面白くなくなるから、って。結婚して面白くなくなるようなポテンシャルしかない、って自分でアピールしちゃった、っていう。まあ付き合うのは、バカバカしいけど、言葉通りに受け取れば、矢部さんのナオンが言ってることは矛盾してるよね。矢部さんは、結婚したら、面白くなくなるようなそんなポテンシャルしかない芸人です、って。それは、つまんない芸人です、って言ってる、ってことだよね。番組自体で、リアルに、自分たちは、つまんないです、ってアピールしてる、ってことにめちゃイケ作ってる人たちは、もう気付かんようになってるんだろうね。

夜郎自大が許されるのは、この番組、実績があるからだろうね。まちゃみんが付き合ってるのも、そういうこと。まちゃみんも終わるまでそこそこ付き合いたいと思う。

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2007年6月12日 (火)

ボラット 観た 感想です ~そーとーツボ

いやあ、そーとー笑った。まちゃみん、劇場で大声で笑ってしまった。一人でゲラゲラ笑ってた、恥ずかしいんだけど、笑わずにはいられなかったね。先週、松っちゃんのやつ観たわけだけど、松っちゃんのとは比べもんにならんスよ。いや、気持ちとしては、100倍笑ったんだけどね、そう言っちゃうとしんぴょーせーないかなあ、と思って。まあ、松っちゃんのと比べちゃいけないんだろうけど。ジャンルも違うだろう、と思うし。でも、純粋にどっちが笑ったか、どっちが面白かったか、どっちが印象に残ったか、っていえば間違えようがなく、こっちで。

ほんとにくだらないんだもの。下世話。ほんとに、うんこ、ちんこ、まんこ、だもん。あと、ケツの穴。ちんこ、なんか一瞬出してたぜ。いわゆる棒とボールを。ほんとに。あれ、イイんかなあ。そこまでやるか、って。けど、直接的な表現がありながら、ずっとこっちの方が、松っちゃん言うところのもの悲しさがあった。と思う。こっちの方がよっぽどわかる人にはわかる、って感じがした。

それは、こんなバカバカしいなかに、きっちり差別とかすげえ扱いづらそうなものを直球で盛り込んでたからだ。徹底的に、差別は、差別する側にこそあるんだ、って言ってたと思う。というか、徹底的に、それを前提にした話の展開だった。要するに、いたわる、ってことも、さける、ってことも、ベクトルの方向自体が違うだけで、ベクトル自体があることには変わらない、ギャップを前提にしてることには変わらない、って。まちゃみんは、その辺が、だからこそもの悲しい、と感じたわけだけどね。だって、じゃあ、気付かないことがイイことなんだろうか、あるいは、あえて気付かないフリ、っていうのがね。そんなことないよね。じゃあ、逆に、簡単にいたわればイイか、っていうと、それは、偽善だからね。そういう安易な感じも一方で徹底的に嫌ってたように見えた。安易、は嫌ってると思う、これを作ってる人は。うーん、嫌ってるじゃないかな、嫌ってる、というか、常識だから、ってそれ以上考えなかったらダメよ、ってことかと思う。常識、とされてる、安易、も徹底的に、おちょくってたよね。いやあ、そういうことだよね。安易はよくねえ、ってことかと思う。こういうところから始めたいよ、まちゃみんも。みんなもこういうとこから始めればイイのに。単に、ちんこ、まんこ、うんこ、ケツの穴だけじゃないよね。

けどねえ、よっぽど気の置けない人とじゃないといっしょに観にいっちゃいけないね。間違いなく、家族とは観にいけない、と思う。こういうので、笑うヤツは、下世話だ、レベルが低い、って言われそう。でも、まちゃみんのようなキモい、ブサイクにはこういう下世話な、ちんこ、まんこ、うんこ、ケツの穴、が合う、ってもんだ。

佇まい、としては、朝までナマたけし? お笑いウルトラクイズは家族で見られるレベルだけど、ナマたけしは、ちょっと見れないでしょう。で、その見れない、のレベルを遥かに上まわって下世話な感じなのよね。

ということで面白かった。松っちゃんも天才なら、これくらい笑わして欲しいよな。放課後電磁波クラブとかやってた、というか、やらしてたわけじゃんか、今田さんと東野さんに。松っちゃんもできるぞ。

いやあ、まちゃみんこういう下世話なやつが好きなんだなあ。

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2007年6月 5日 (火)

あー、びっくり ~再び大日本人

大日本人スゴイね。すごいアクセスで、びっくりした。ありがたいお言葉も頂戴した。やっぱり、スゴイ注目されてるんだなあ、この映画。いつもは基本的に書き散らかしてそのままなんだけど、あわててまちゃみん間違ったこと言ってなかったかなあ、って色々見てたんだけどね。だいぶネガティブに見えること書いてたからね。

書いたあとに思ったのは、ガイコクの映画祭であんまり評判よろしくなかった、っていうのはどっかで聞いてたから、その路線だったかもしれんなあ、って。ようするに、そういうとこに心理的に若干阿ってたかもしれねえ、って。あと、ちょっと愛がなかったかなあ、って。モノを作る、っていう行為に対してね。そこそこ面白かったからね。猫も杓子も、イイ、イイ、って言わなきゃいけない、みたいな雰囲気がヤなだけでね。いや、でも、それをパブリシティとして、松本さんってやってきてたような気がするからね。そこがこの人に対して、なんちゅうの、感情移入できないとこなのよね。まあまあ、だから、ってまちゃみんは、全くつまんねえ、観にいかん方がイイとは言ってないわけだけどね。

最後のところは色々解釈があるみたいだね。まちゃみんがちゃんと読めてなかったのは確かにあった。あの最後で、こっからは、実写で、ってとこね。あそこは、あえて、対比させてる、というのが、素直な解釈みたいだね。まあ、そうだなあ。アレくらいだったら、読みとらないと、イカンなあ、と思った。ちょっと自分でそれは恥ずかしかったね。で、そんで、まあ、今さらだけど、あそこをちゃんと解釈できてたら、感想変わったかなあ、って考えてたんだけど、同時に、あの最後の身内でグダグダしゃべってる場面も思い出されてきたんだよねえ。

そんで、結論としては、そんなに変わらんかなあ、って。あの場面もさあ、子供みたいに押し合いへしあいしててさあ、あの赤いヤツをやたらいたぶってたでしょう。そんで、最後で、イタブリ方がどうの、とかって言っててさあ、それって、いっつもテレビでやってるやり方だなあ、って。別に、テレビでやってたからダメ、っちゅうんじゃなくて、なんちゅうの、このパターンは、オモロイ、でしょ、ってオモロイ、記号になってるじゃん、松本さんの世界で。映画であっても、これはオモロイからやります、って。これがわからんヤツはレベルが低いです、って。これがまちゃみん言ってたパブリシティ、なんだけど。

わしゃあ、そうかなあ?、って思ってんのよね。そこまで、言うほどのことでもないよなあ、って。そこがイヤよ、ってことなんだけどね。前に書いたとおりで、映画としては細かく丁寧に作ってきてた、と見えたけど、最後で、結局、内輪でごちょごちょやってるよ、ってなったじゃん。そこが全体として、ダメだっつってるとこでね。あんまり必然性、というか、そこに意志が感じられなかったから、あれをやることに。だから、逃げ、に見えたのよねえ。正面切ってできなかっただけなんじゃないの? って。ほんとにアレがやりたくてやってるようには見えない、ってことなの。

っていうことなんだけどね。要するに結論としては、過剰評価されてる、というか、松本さんのやること、っていうのが批判なく基準として採用されてるような雰囲気で、まちゃみんも判断されたくない、ってことなんだけどね。この言い方なら、今後も、松本さんの作ったものを一応楽しみつつ、イヤなとこはイヤ、って言ってるのは心ある人には伝わるだろ。てへ。

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2007年6月 4日 (月)

監督・ばんざい! 観た 感想です ~たけし、って、O型だなあ、って

称賛以外認めないよ、ってことをグダグダ言ってるだけの映画。

オレってサイコーでしょ、すんなり評価できないようになってるだろ、こういう回りくどいことをわざわざ映画、っちゅう媒体でできるのは、オレくらいなもんでしょ、悔しかったらこういう無駄なことお前もやってみろ、できねーだろ、だって。それをわしゃあ、やっちゃってるんだよ、だから、スゴイ、ってことだぜ、いくらお前ら吠えたって、これできねーだろ、どーだ、コノヤロー。・・・ということだろうと思う、この映画の言いたいことって。すんません、まちゃみん間違ってるかもしれないけど。たぶん間違ってない。すごいメッセージだなあ。

わかったわかった、ごめんごめん、それはわかるけど、それそのものは、どうして言わなきゃいけないんだっけ?って。それは、そうか、たけし、ってO型だもんね、って。ちゃんちゃん、って。わかった、わかった、皆まで言うな。そうだよね、それがO型だもんねえ、っていうのがまちゃみんの理解。とにかく最初から最後まで自分のことしか言ってないの。ギャグのフォーマットはオレが作った、とか、たけし自身のナオンとの関係とか。どーだ、全部、オレのことだよ、って。

という映画です。このまちゃみんの解釈を観たら、別にこの映画は観なくてイイんじゃない? こういう手法って、新しいの? 映画史的には。まちゃみんよくわからんけど。松本さんのはツマラナイにしても、観ててもイイ、と思うけど。そんな感じ。

ところで。すべらない話、なんだけど。なんだろう。結構、信頼できるスジから、結構評判良かったんで、まちゃみん今、ビデオに録ってたヤツを30分位見たところなんだけど。小堺さんの「いただきます」の単なるパクリじゃん。なんちゅうか、佇まいがイヤ。このタイトルがいけない、だろう、と思う。要するに、松本さんが、すべってない、って言ったら、どんな話でもすべってないことになる、っていう、それだけのことでしょう。こういう佇まいでさえなければ、そこそこの暇つぶしにはなるのにねえ。松本さんは、ちょっと過剰評価されてると思う、というのが、ここ最近、まちゃみんが言いたいことみたい。

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2007年6月 3日 (日)

大日本人 観た 感想です ~誰かがツマラナイってきっちり言わないとダメだろう

いや、思ったよりは全然面白かったです。ある程度の水準になってはいた、と思う。そこは正直に。けどさあ、絶対ツマラナイだろ、って姿勢で観にいってるし、クソミソにここで言おう、というつもりで観に行ってるからね。要するにハードルは相当低かったから。だけど、こんなん観にいかんでもイイよ、とも言えない、とは思う。そこは正直に。観ないとわからん、っていうのも事実かなあ、と思う。すごく丁寧に作ってあるとこは作ってあったから。

だけど、どうしようもなくテンポが悪いのと、映画っぽいテーマを混ぜようとしたけど、結局消化できず、最後、おフザケにして、誤魔化しました、みたいな。でも、まちゃみんはどこまで言っても、成立していない、って思ってるけど、最後は茶化したんじゃなくて、単に実力でできなかったんでしょ、と。うーん、ひとことで言うと、全体としてはダメだけど、ダメなりに丁寧に作ってました、っていう感じかなあ。初めから立ち居振る舞いが、変化球、としてなら、許せる範囲だけど、直球じゃないでしょ、って。だから、そんな騒がなきゃイイのになあ、って。押しつけたらこの人と同じレベルになってしまうんで、押しつけないけど、まちゃみんはその位、と思う。

なんかイヤだったのが、まず、隣りのヤツが臭かった。そして、鼻くそ掘って、食ってるんだぜ。信じられん。いや、別に掘っても、食ってもイイけどさあ、まちゃみんが気付かないようにやってよ。まちゃみん思わず、席を変えた。あと結構混んでたんだけど、笑うとこがさあ、オレはお笑いわかってます、みたいな、笑い方をするヤツが競い合っちゃうみたいな雰囲気になってて、イライラした。まちゃみん居心地悪かった。まちゃみんも笑いたいとこあるんだけど、まちゃみんが笑いたいとこでは、結構沈黙してたりしてるからね。で、要するにその辺が、この松本さんの嫌いなとこなのよ、まちゃみんは。

何か、っていうと、そういう内輪みたいなものをグリグリ押すことで、だいぶ水増ししてるでしょ、この人って。そもそも実態がほとんどないものを越えて、ナニモノかが、あるような雰囲気になってるのがヤなとこでさあ。いや、認めるとこはあるんだけど、たぶんお前が思ってるほどじゃないだろ、って、この人の作ったものを、観てるといつも思う。はっきり言うよ、まちゃみん、相当初期のころからガキの使いも欠かさず観てるし、ごっつええ感じ、とかもすごい好きだったし、この人が売れ出した頃の一連のエッセーもほとんど読んでると思う。

けど、そのたんびに思うのが、特に、ガキの使い、とかなんだけどさ、これ見てるのって消去法だなあ、って思ってるのよね。大関なのよ、オオアマ裁定で。間違っても横綱じゃないのよね。なんで、こういう内輪受けみたいのに、わしゃあ付き合ってるのかなあ、ってむなしさも感じてるのよね。いや、欠かさず見てるし、楽しみにしてることはしてるんだけど。なんちゅうかねえ、ニッチであるならば、そこそこ評価できるとは思うんだけど、なんちゅうか、明るいとこで、大手を振って肯定できるような性質のものじゃない、と思うのよね。ようするに、そういう姿勢で、見られてない、というものをまちゃみんも見る、っていうのがイヤなのよ。最近は、っていうか、いつ頃からかわからないけど、最近は、ガキの使いなんかは実はテンポが良くて、それで救われてるとこがあると思うけどね。いや、この映画の方、テンポがないとこもダメなとこだった。

初め出てきた時、この人って自分のこと天才、天才、って言ってたでしょう。あと、お笑いの手法はすべて自分は持っていて、それではつまんないから新しいことをしてる、と。だから、自分の笑いについてこれないやつがダメなやつなんだ、って言ってたでしょう。わしゃあ、そういうのに、相当反感あったんだけど、結局、なんかオレ慣らされちゃってるなあ、って思うとこがこの人のことを素直に見れないところでね。要するに普遍性がない、というか。中身そのもので、もちろん認めるとこはある。けど、この人って、自分が言ってる、その中身、っていうより、パブリシティの部分が大きいだろ、ってことがなおざりになったまま、なんか周囲が付き合ってるみたいだからイヤなの。わかるかなあ。要するに巨大な内輪、っていうのを作った、というか、作れた、というか、そういうところがスゴイんであって、お笑い、そのものは言うほどのもんじゃないでしょ、って思うのよね。劇場が満員になっており、笑うツボはここだ、オレだけはわかるみたいなバカが多くて、まちゃみんはテレビの力ってつくづくすごいなあ、と思っていたのであった。

今回のこの映画ね、映画という媒体にすると、映画としての細かいところは実に丁寧に作ってあったんだけど、大動脈、というか、大事なとこで、デキの悪さ、っていうか、背伸びできないホントウの身長、というか、やっぱり、隠せてないと思ったのよね。この人の得意分野のとこはすごく光ってた。そして、実に細かいところに気が配られてたから、そこは、認める。でも、結局、手塚センセイが言ってるような三題噺の手法、というか、3つまでは、いけてないのよ。光ってるのは、実は、ヒーローモノに、普通の人の苦悩、というかね、そういうのを重ねた、ってとこだけなのよね。アメリカ批判とか、生きること、とかさ、映画だから、そういうのも混ぜてみようかな、と思ったけど、やっぱり消化できませんでした、って、そういうことでしょう、あの最後の、おフザケです、みたいなアピールは。逃げ、とまちゃみんは思った。というより、逃げ、というか、単に消化できてねえんだろ、って思った。よっぽどあのジジイを自分で殺さないといけないシチュエーションにした方がどーせなら良かったんじゃないの。まちゃみんは、てっきりそういうフリだと思って観てた。だもんでね、やっぱり、この人はオオグチ叩くまでの資格はないなあ、と思うのよね。井筒カントクは違ったわけだけど。そんな感じ。でもねえ、もし、次やるんならやっぱり見にいくかなあ。

要するに、この人、ってここまで売れてなければ、まちゃみんもっと好きなのになあ。ここまで売れるほどの実態はない、ってとこからみんなで始めてくれないと、イヤだ、ってことみたい。

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2007年5月29日 (火)

秘密結社鷹の爪 The Movie 総統は二度死ぬ 観た 感想です ~こういう企画自体に対してどういう姿勢なのですか

テンポがイイとこがイイとこだね。そして、別に面白くないことはなかったけどねえ。ゲラゲラ笑ったところもあった。

この映画、中身自体が刺身のツマなの。映画、という媒体自体のパロディーを、映画そのものでやりました、っていう。今、出てきてるデジタルの技術で。まちゃみんもMTRをやっていて、こういうデジタル化の恩恵に浴してるわけだけど。だもんで、ストーリーの展開とかも、最低限の敷居、というところに、それ以上でもそれ以下でもなく合わせた、というか。いや、単に、そうなっちゃってるだけかもしれないけど。別にどっちでも良くて。要するに、なにか、って、中身云々じゃないよ、ってことよね。こういう企画があること自体が語られるべきところじゃないか、と思うのよね。

そういう意味で新しい、という企画であって、中身自体で、どーの、こーの言うやつはわかってないやつ、という烙印をおされるだろうと思う。そこじゃないのよ、焦点をあてるとこは、っていう。

まちゃみん実体験があるんだけど、DTPとか普及しはじめたとき、シロートごときが簡単に手を出しやがるのがムカつく、っておっさん世代が言っていた。要するに、ここで、あぶりだされちゃうのは、デジタル化に伴う大きな流れ、っちゅうものを前提として踏まえてるかどうか、ってことだと思う。姿勢、っていうかね。

その言い方で透けてくるのよね、姿勢が。まちゃみんは、単なるそういう自分が慣れた方法が脅かされてることと、こんなんどこまでいっても、道具でしょ、と、使い方次第でしょ、ってとこの区別がつかないことがばれちゃう、ひとりよがりにはなりたくない、と思っていたのであった。やってみないとわからんだろうよ。この程度のことだったら、ダメだったら、次、でイイじゃん、ということであって。ダメにしても、やってみれば、これが主流になるのは、どれくらいかなあ、てわかるだろ、って。そんなとこでネバんなよ、あー、めんどくさ、って。なんちゅうか、まちゃみんには、そういうのがわからんのよね、ポリシーとか、って手前味噌で、全部片付けられる感覚が。あるいは、そういう感じを押す、感覚が。はあ。

ということで、決して中身がどうこう、という映画じゃないんだなあ、まちゃみんの意見では。

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2007年5月27日 (日)

パイレーツ・オブ・カリビアン3(PIRATES OF THE CARIBBEAN3)観た 感想です ~これ、3を期待してた人が結構いた、ってことなんですか

1、2も、観てないで観にいったけど。3も観る必要なかったねえ。でも、1、2を観てたら、すごく面白いの? この映画。これ、おもしろがってる人っているのかなあ、マジで。そういう人がいたら、どこが面白いのか教えてほしい。ほんとに、純粋に興味がある。まあ、でも、まちゃみんもたとえば、恋人たちの予感の面白さを説明して、って言われても説明できないけどね。けどなんていうのかなあ、まちゃみんは、面白い、とは思えなかったけど、おもしろがってること自体はなんとなくわかる、っていう映画もあるからね。この映画は、おもしろがる人がいるとして、その人がなんでおもしろがってるのかも想像できない感じなの。そういう意味では指輪物語と張り合えるかもしれない。けど、こっちは、全然、おもしろがってる人を責める気にはなれない。まちゃみんとしては、間違いなくつまんないけど。

ということで、間違いなくつまんないし、つまんなさで指輪物語と同じくらいだけど、指輪物語よりは、憎たらしくはない。そんな感じ。フィルムとかセットとか、地球の貴重な資源が無駄にされてる感じがした。ほんとの意味でなんにも言うことなし。

っていうか、新しくできたらしい小新の映画館で観たんだけどさあ。いいか。あんなとこに、ああいうスーパー作んなよ。そら恐ろしいわ。なんちゅうか、人心荒廃するぜ、あんなとこにあんなもんおっ建てたら。誰一人として、望んでない気がするんだけど、アレを建てたやつも含めて。どういう手続きがあって、あそこにアレが建つのか。わしゃあ、そっちの方がよっぽど印象に残ったのであった。

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2007年5月21日 (月)

パッチギ! LOVE&PEACE 観た 感想です ~1より薄め?

いや、正直に告白するけど、ボロボロ泣いた。最近のまちゃみんは「生まれながらにして」ってキーワードで迫られたら、泣いちゃうみたい。いや、今回のは、東京タワーと違って、というか、唐突に、だからこそ、かも知れないけど、始まって15分位だったと思うけど、筋ジストロフィーです、ってとこで、泣いちゃった。

でも、この「2」そのものには、なんだろうね、全く、というか、あんまり感想はない、というか。ボロボロ泣いてるんだけど、「1」って実は良かったんだなあ、とか、そういう思いの方が強いの。「2」は全部、登場人物が説明するから。そういう部分のくどさは「1」同様相変わらずだった、と思うけど。別に、命を先祖がつないできた、とか、さ、説明しなくてもわかるだろ、って思ってた。だいたい、筋ジストロフィーの時点ですでに泣いちゃってるもの。だから設定なのかなあ。ということで、映画そのものとしては、あんまり感想ない感じがしてる。

というか、まあ、泣いておいて、アレだけど、「2」を観たら、「1」ってイイ映画だったんだなあ、って。いや、この前「1」の感想書いた(ココです)あとにちょっと色々みてたらさ、「1」って、玄人スジからそーとー評価高いらしくてね。でも、高いから、「2」より「1」と言うわけじゃなくて、この「2」を観るとね、「1」の良かったところ、ってのがなんちゅうか、浮き上がってきたよね、ほんとに。「1」では別に泣きゃあしなかったけど、そう思う。まあ、泣く、が必ずしも、イイ、の条件でもないし。この「2」は、今、じゃんじゃん宣伝してるから、ある程度は売れるんじゃないだろうか、とは思うけど「1」のイイところはここだった、って言いたくなった、という。

「1」って、すごく役者が良かったんだと思った。ワカモノは、元気いっぱいだったし、年輩には味があったよ。まちゃみんが、不勉強なだけだろうけど、知らん役者が次から次からはじけてた。そして、出てる役者の数も、「1」ってすごく多かったんじゃないだろうか。それだけで、楽しかったんだな、と。

あと、言葉ね。これ、「1」はすごいテンポになってたよね。今回の「2」は、それがちょっと楽しみ半減なところがある、正直言って。東京、という設定だけに。藤井くんの東北ナマリも中途半端だしさ、正直いって。ガンス、って言うかなあ、まちゃみん聞いたことないなあ。ちゃあ、とか、ちゃ、は良く聞くけどね。ということで、言葉のテンポが、薄め、と感じた要因のひとつであることは間違いないと思う。東京の言葉ってテンポ出ないね。間はあるような気がするんだけど。ところで、まちゃみんも新潟のナマリがしゃべれないのが、惜しい、と思う、最近。子供のころはしゃべれてたんだけど。まちゃみん、上越、下越、そして、下越のなかでも、海に近いガサツな言葉と、街の言葉、と新潟のなかでも、言葉って全然違くて、どんどん住む場所が変わったから、もう色々なもんが入っちゃってね。そんで、最後には、ほとんどテレビ、ラジオで話されてる標準語になっちゃったんだよね、高校にあがった時には。話が脱線だけど。とにかく、「1」は関西弁と、朝鮮の言葉のチャンポンがすごいテンポを出してたんだね、きっと。

そして、あと、なんだろうね、「1」は監督のわしゃ、これが見せたい、っていうのがグリグリ押されてたのが良かったんだと思った。そういう言い方ないだろ、ってのも含めて。今回のはちょっと、狙いすぎ、って感じがした。くどさ、とも、なんか微妙に違うんだけど。若干阿ってる感、というかなあ。優等生にちょっとなってませんか、って感じがした。「1」は、ある程度、わしゃ、これが好きやねん、でグリグリ押してた塩梅がどちらかというと強かったような気がするけど、今回は、好き、より、受け、でやっちゃってる感じがする。まあ、確かに座りのイイメッセージかもしれんけどさあ。別にそれがダメ、ではないけど。薄め、と感じたり、尖った感じがなくなってるような気がするのは、それが原因のような気がする。

けどねえ、あの、キョンジャとノムケンがいたした後、ノムケンが豹変するとことか、藤井くんのおかあさんが、面会に来るとこ、とかの、あの呼吸の、押し、と、引き、はまちゃみん好き。

あとねえ、キョンジャはかわいらしかった。あの娘なんていう娘なんだろう。エンドロールで、あの「1」から出てたおかあちゃんはなんていう人なんだろう、って気をとられてて、チェックできなかったんだけど。ほんとに綺麗、というかかわいらしい、というか。いや、まちゃみん、毛唐なんかより、我々の人種の方がよっぽど愛おしいよ、ほんとに。まちゃみんトキめきいたね。恥ずかしながら。そういう意味では藤井くんがんばれ、だよね。プライベートで乙葉といたしちゃってるわけだけど。いいなあ。あと、ニシキコージローは、すごくイイ味を出してたと思う。あとさあ、あのベンガルって、ベンガル呼ばわりしちゃうけど、「シルミド」に出てた人だよね、きっと。まちゃみん、あのスポ根戦争映画を、なんでか、観てた、ということを思い出したよ。

ないない、と言いながら「2」も結構あったなあ。

ということで、別に、全体的にはイイと思います。そんな感じ。

というかまちゃみん、その前に、ジョアンジルベルトの弾き語りで泣いてるの。チネチッタの下のタワレコで。最近、日本の歌ばっかり聞いてたから、洋モノ行きたいな、と。そんで、ブラジルコーナーに行ったら、ジョアンジルベルトのライブの弾き語りが視聴できてさ。

ジョアンジルベルト、ってまちゃみん実はこれがジョアンジルベルト、って聴くのは初めてだったんだけど、すげえ。前、セルメンのコンスタントレインをやろうと思って、スコア探してた時に、やたら、出てきてた名前だったから、目に留まったのよね。そんで視聴してみた、と。弾き語り、ってまちゃみんの好きな分野じゃん、と。

いやあ、世界、ってやっぱりまだまだまちゃみんが知らないだけの才能が一杯あるんだと思った。イパネマの娘で、うるっと来て、もう、オ・パトで、じわっと泣いてた。今からさっそく聴いてみたいと思う。

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2007年5月20日 (日)

バベル(BABEL)観た 感想です ~生まれた、ということ自体、実はアナタ選んでないでしょうよ

いや、素晴らしい。なんだかねえ、素晴らしいなあ。何より映画そのものが雄弁ということであって。だもんで、あんまり言うことありません、という感じ。決してエンターテイメントではない、というか、一般の人が観たあと、ああ良かった、っていうような映画ではないと思うけど。なんちゅうかねえ、だいぶ、ここ2週間のまちゃみんの趣味に偏ってるけど、この映画は我が国でいうところの手塚治虫の、火の鳥だ、と思った、洋モノの。洋モノ、っていうか、舞台は、地球全体に及んでるか。要するに、人間の営み、そのものだと思う。よくも2時間でこれだけまとまってると思う。

最初の10分位で、これは、カルマの話なのかな、と思ったの。まあ、そうだったんだけど、それだけじゃないよね。もう、色んな切り口があって、何回か観て、きっちり整理したら、相当、破綻ないきっちりしたテーマが何個か出てくると思う。

いやあ、イイ映画だなあ。この映画誰一人として、物理的には幸せになってない。いや、ブラピ一家は家族の絆は深まったかもしれんなあ。役所広司のとこも、ちょっとそうかなあ。いやあ、もう、こういう言い方そのものがもう陳腐だなあ。いや、やっぱり、こういう映画こそ、養老さんじゃないけど、口だけで一言で説明できるくらいなら2時間の音と映像を使った映画、という媒体にしない、ってもんだ。

この物語の発端、っていうのは、元の元は、役所広司の親切というかもしれない。無理して、発端を挙げるとすれば。銃をあげたわけだよね、あの砂漠の人に。だけども、まあ、はっきり言って、ほとんどの人は不幸になってるよね。

でも、それって、なんちゅうか、人間の営みそのものだ。まちゃみん、ひとつだけ、言うとすれば、だからこそ、まちゃみんは他人の荷物を持ってあげたい、と思う。そうでもしないと、やっぱりまちゃみんは、この世ってやり切れないと思う。まちゃみんは、この映画は、そう読みとりたい。やっぱり感謝、善意を忘れちゃいけないと思うのだ。ちょっと前の日記で、すげえ、狂ったように言ってたけど、人間なんて、実は、そもそも、生まれた時に、能動的に何ひとつ選んでいないはずだ。だのに、自我っつうものができると、自分がひとりで、初めからそこにいたかのように考える。それがイキモノのプログラムだとしても、よ。おとうちゃんとおかあちゃんがいないとアナタ生まれてこれないだろうによう。だから、そもそも生まれた以上幸せになろう、と考えること自体が、実は傲慢な態度かもしれない、とまちゃみんは思ったりするのだ、すごく極端な話ね。一方では、生まれながらにして、意識が成立する前からハンデがある人もいるわけでしょう。決して、生まれながらのハンデとかを肯定するわけじゃなくね。ほとんどまちゃみんの中では同じ例だけど、初めから殺すために、生命を生じさせたりしてるわけでしょう、家畜、とか。実は、イキモノ、として考えた時に、そこに人間と牛とか豚とか、とどんな違いがある? まあ、ちょっと脱線してるけど。

特に、まちゃみん、自分でも一昨日まさに、そういう経験してるから、一層、そう思ってたから。人間は実はほんとは、はかないものだと思う。でも、そればっかりだったらやりきれないよ、やっぱり。だから、そこまで、グリグリ考えて自分を傷付けるのも良くないし、そもそもできないし、だから、何か、って、どっかで、隅っこでイイから、もし、自分自身にやはり理屈で割り切れない不幸というか何かが関わってきたとき、それを受け止める覚悟、っていうのをどこかで持ってないといけない、ということだと思う。覚悟。まちゃみん、最近、覚悟、って重要だと思うのだ。

ということで、イイ映画だなあ。まちゃみんはこの映画、イイ映画、としか言えない。

最後にこまいところ、ひとつ。まちゃみん、途中でおしっこで席立ったりしてたので、もしかすると、その間に説明されてたのかもしれないけど、結局、役所広司のカミさんはなんで死んでたのかなあ。まあ、些末なことなのでどうでもイイや。そこは、もっときちんとした人がきっちり考えてるんだろうと思うので、機会があったら調べるかもしれない。菊地凛子の、そんな書いてたっけ?、っていう位びっしり書き込んであったメモとかと関係あるのかなあ。

そんな感じ。

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2007年5月18日 (金)

パッチギ(2じゃないよ)観た 感想です ~黄色人種でガンバロやないか、毛唐は嫌いなんじゃー、がテーマみたい

ふーん。すごくマトモなんだね。マトモ、っていうか、丁寧、っていうか。

完全に井筒監督、が作った、って見方なわけでしょう。まちゃみん、井筒監督の作ったの観たの初めてだったんだけど、すごくマトモ、なのね。あー、そうなの、こういう感じなの、っていう。いつも、大口叩いてるから、どんな感じなのか、わからなかったけど、すごくマトモなんだね。

まちゃみんは、あまりにもくどくて、ちょっとスイングできないけどね。正直言って。いや、ある一定の水準は軽く越えてる、とは思うんだけど。そして、同時に、おとぎ話の一線も踏み越えちゃってる、というか。あー、関西のくどさ、って感じだなあ、っていう。でも、全く、大口叩いてるだけはある、と思ったよ。

売れる映画、には思えなかったけど、きっちり作られてるので、今公開されてる2もたぶん観に行きます。

ということで、1時間経ったところでの感想。たぶん、ずっと、最後までこの調子なんだと思うから。最後まで観なくてもわかる。たぶん。

それにしても、なんで、この人は、どうしてここまで毛唐が嫌いなんだろう? というか、この映画で描こうとしてることがホントウだとすれば、この人は、むしろ、まさにこういう問題の渦中の人なんだろうね。まちゃみん、こういう解決の仕方、って全く良くない、と思うよ。要するに、毎度のまちゃみんの屁理屈のこね方で申し訳ないけど、要するに、朝鮮人を憎むくらいだったら毛唐を憎もうぜ、って言ってるような気がするのよね。で、それって結局、朝鮮人は毛唐に置き換わるし、毛唐は朝鮮人にも置き換わるわけよね、すごく簡単に。それって、永遠に問題解決しないでしょう、って思うんだけどね。要するに、遠くのヤツを敵に見立てておいて、近くのヤツとは仲良くしようや、という。それって結局、誰かを憎んでることには変わらないわけでしょ? 朝鮮人の代わりに、新潟県人でもイイし、血液型A型のやつでもイイし、一重まぶた、のヤツでもイイわけでしょう。 誰かババ引くやつはおとなしく虐げられてれや、って。そう言ってる気がするんだけど。違う?

まあ、イイや。

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2007年5月 5日 (土)

スパイダーマン3(SPIDER-MAN 3) 観た 感想です~最後の30分でアメリカ様の深層心理が流出

もう、まちゃみん、2は大絶賛だったのよね、スパイダーマンって。当時の日記を読むと、おばちゃんの演技がイイ、ってことと、演出がイイ、ってことと、無理に最後にアクションで終わらないとこがイイ、って言ってんのよね。

3もね、すごくイイ。すごくイイです。なんかねえ、イイですYO! まちゃみん、ほんとに楽しめた。なんかねえ、最近は、映画観てても、このブログをやってるがために、映画をネタになんか屁理屈こねよう、みたいな、若干ヨコシマな気持ちで観てたりすんのよね、ツッコミ目線で観てる、っちゅうか。だけど、この映画は屁理屈こねるの忘れて夢中で観てた。

ただ、最後の30分。ちょっと説明しすぎで、せっかく盛り上げてきてるのが、若干、まちゃみんとしては、興ざめになっちゃったね。いや、ぶち壊し、ってわけじゃないんだけどさ。

あの執事のジイさんに、説明させたり、とかさ、あの砂男もほんとは、叔父殺しじゃなかった、とかさ。いや、あの黒い物体もあんまり説明してないんだったら、それも、別に、理屈つけなくてイイじゃん、と思った。というか理屈をつけるのはダメだと思った。

結局、皆、望んでいない、生まれながら、のカルマを背負ってるわけだよね。そこに本人に罪はない、という。善い人なんだけど、不可抗力でそうなってる、と。そして、それが連鎖してる、と。前半はそれを延々と描いてるわけだよね。要するに、そのカルマというババを、耐えきれずに、他人に廻してしまってるんだよね、皆。人間は弱い、と。でも、それを責められますか、と。だけど、それは、生産的なことじゃないんだ、と。どっかでその負の連鎖を止めようよ、と。あのバアさんがそう言ってたよね。

だからこそ、さ、あの執事の爺さんに説明させて、それなら、ってことで、スパイダーマンを助ける、っていう、そういう理屈をまちゃみんはつけて欲しくなかったのよ。スパイダーマンを助けるのに理屈はいらない、と。善い心がそうさせたんですよ、って、そうして欲しかった。個々の人間の良い心に希望を見いだしてる、ってことにして欲しかったなあ、と思う、まちゃみんとしては。

いやこれは完全にまちゃみんの好みでね。

って、今、屁理屈が思い浮かんだんだけどさ。だけど、だけど、さ、この映画、って、やっぱりちょっとテーマは微妙かもしれないよ。

だってさあ、スパイダーマンってさあ、途中で、国旗をバックに飛んでたりしてたけど、明らかに、アメリカという国のメタファーだよね。いや、まちゃみんは、あの国旗をバックに飛ぶちょっと前に、そうなんじゃないか、と思ったの。スパイダーマンの色で。あの衣装って、赤と青、って、あれ完全に国旗の色だもんね。スーパーマンとかもそうじゃん、って。

ということはだよ、あのスパイダーマンの同級生自体は、自発的なカタチでスパイダーマンを助ける、というカタチにしなかったのは、やっぱり、あえて、なのかもしれないよ。要するに、愚かな人類のカルマを精算できるのは、スパイダーマン、だけです、と。なんか皆の罪を一身に背負って、代わりに愚かな人間を救った、って、どっかで良く聞く説話だよね。

それは、アメリカだけです、っていう。

はあ。

けどね、それをやっちゃうと、あの途中でイイ味出してたフランス人も、下宿のあれ、イタリア人だよね、とかも皆、台無しになる、とまちゃみんは思うんだけど。最後の30分の解釈で全体も解釈しちゃうとあそこで描かれてた人々は、共生、の象徴ではなくて、アメリカ様が救ってあげる一方的な対象の象徴になってしまう、という。

だってさあ、よく考えてごらんよ。あの砂男に、許す、って言ってたけどさ、叔父さんを殺したのが砂男じゃない、とすれば、確かに強盗、という行為そのものは悪い、としても、スパイダーマンが、許す、も何も、上から目線で断じれる問題じゃない、ってことがわかるだろうに。許す、じゃないよな。そもそもお前には関係ないだろ、って。だから、砂男に言うとすれば、それはやっぱり悪いことだよ、と。いくら最愛の娘を救うため、とはいえ、強盗はやっぱりいけないよ、って、そう言うことだろ、って。理屈で言えば、関わりはないんだから、さも当事者であるかのように、許す、って言える話じゃない。

そこにアメリカ、という国の独善性がはっきり表れてるだろ、って。やっぱり、アメリカそのものだよね、見聞きするところの。当事者じゃないのに、大きなお世話で、首をつっこんでくる、っていう。いるよね、そういう腹立たしいお歴々が、身近なところでも。

そして、そういう描き方って、あえて、それで問題提議してるんじゃない。結果、そうなっている。やっぱり、そうなっちゃっている、というか。ようするに、自覚がない。で、そういう、善意みたいなものは、最もたちの悪いことだ、って言ってたのはこういうことだよね。要するに、同じ無邪気で、もっと不愉快なことをする、ということで。

ということで、ここで、文章を書いてる、となんか、微妙なとこが出てきちゃった。最後の30分のひっかかりは、そういうことだったみたい。

前半部分の、恋、というものの、すれ違い、の演出、とか、あと、役者の演技は、だけど、素晴らしい、と、ナマイキながら思いました。もちろん、SFXも。

ということで、映画館出た直後、大絶賛だったものが、最後の30分があったために、今文章を書いてると、余計な詮索をさせて、純粋な面白さも損ねちゃった、というのが、最終的にはまちゃみんの感想かもしれない。

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2007年4月24日 (火)

ブラッドダイヤモンド 観た 感想です~船頭多くして船山に登る

まちゃみんは、ジャイモンフンスーが、この前観た映画ですごく印象的だったので、それがひとつ観た要因。あとは、全く、どういう映画かわからん、ってことも要因のひとつかな。どんな話なん? っていうのが。でも全くダメだ、っていうのを確認した、という。

ちょっと、映画の内容について言うと、まず最もダメなのは、第三世界を毛唐社会が食い物にしてる、ってのが悪い、っていうホントの社会派的なこと、と、エンターテインメント、ってのをきちんと扱えてないのよね。扱いきれないなら、初めからどっちかにしろ、ってことでね。詰め込みすぎなの、中身、ってことで言えば。でも、それ以上に、言いたい感想は、ただ一つ。作ってるヤツのマインドがしょーもない、ってことに尽きるような気がする。

いまだに土人だもんね、黒人の描き方が。隅々からそれが出てきて、黒人というものに対してトラウマでもあるんじゃないか、と思った。あまりにバカバカしいから、ひとつひとつあげつらったりしないけど。これじゃイカンと思うよ。

すごい、と思うよ。そういうマインドを除けば、なんちゅうか、映画自体のテンション、というか、は。なんちゅうか、力、というか、カネ、というか。要するに、何かが余っている、ということは間違いない。でも、そういうものがあるんだったら、それは、正しい、というか、良い方向で使わないといけない、と思うのだ。何ごとも、人間という種類の動物である限り、過去の人間の蓄積というものの上に成り立っているし、逃げられない、と思うのだ。でも、なんか、そういう、人間の過去の蓄積の高さ、を感じさせるのに、その蓄積を正しく使ってないなあ、と思う。でも、それもある意味、人間の文化の結果なのだと思う。多様性?

要するに、過去の人が試行錯誤で作ってきたフォーマットを気安く借りて、使いこなせてない、ってふう、なの。一瞬、ああ、過去に別の映画で、イイ雰囲気を感じさせてもらったなあ、っていうのを思い出すんだけど、見事に、フラットしてる、というか、シャープしてるというか、要するにチューニングがあってないので、気持ち悪い、みたいな感じになるの。わかるかなあ。

でも、そんなんはまだイイの。技術の話だと思うので。最もダメなのは、透けて見えてくる、作ってるヤツのマインドのダメさ加減なの。これを作った人は、人の良さそうな顔をして、何一つ人の話を聞かないし、どんなに言葉を砕いて何かを伝えようとしても一切理解することができない人だと思う。頭のなかに、そういうものを理解する、って回路そのものが作られてない人だと思う。

みんなでちょっとづつ幸せになろうぜ、っていうマインドが感じられない。っていうかね、そういう発想そのものがないんだろうね。っていうか、わからんと思う。要するに、たぶん、本当に意識することなく、都合の悪いことのひとつひとつを見て見ぬふりにできる人だと思う。逆にいうと器用に都合のイイことしか見ないことができる人だと思う。ようするにまちゃみんはまったくネガティブな意味で一種のキチガイだと思う。まったくカワイゲのかけらもない種類のキチガイだと思う。

何がしたいのか、わからん。いや、テーマを詰め込みすぎた、ってもちろんあると思うけど、そういう問題じゃないと思う。世の中は、こういうのを狂ってる、とは言わないだろう、と思うけど。善意のつもりの第三者っていうのが、世の中では、もっともタチの悪いもののひとつだと思うよ。自覚のないやつほどタチの悪いものはない。

こういうやつ、っていうのは、自分が全くイイコトをしている、という同じ無邪気で、どうしようもなく不愉快なこともするはずだよ。まちゃみんの周りにもだいぶいます、そういうお歴々が。はあ。死ねばイイのに、と、ほんのちょっと思う。たぶんまったくね、映画のなかのせりふそのままなの。人間に性善も性悪もない、行動が規定する、ってね。本人はどういう意図でそれを入れたのかしらないけど、それはお前そのものだよ。お前こそ、ポリシーのない、いつ人殺しになるかわからないヤツだよ。最も悪いのはそういう自覚がないことだ。

まちゃみんは、こういう気持ちの悪いヤツに苦笑いするばかりだ。こういうのこそ、しょーもない、っていう思いが多数派になればイイのに、と思う。

そんな感じ。

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2007年4月23日 (月)

ロッキー(ROCKY BALBOA)観た 感想です ~逃げ切りです

いやあ、なんとも。いやはや。はあ。

いちおうネタバレしてます。もう、今回のこういう映画こそ、一切、事前になんの情報も入れないで、たぶん知らない人はいないであろう、ロッキー、として見にいった方がイイと思う。

いや、まちゃみんは、この映画非常に好意的にとらえてます。いや、非常に、ではないけど。単に、ネガティブにはとらえてない、って位かなあ。でも、なんちゅうか、アトアジは全然悪くない。このアトアジが悪くない感、っていうが、つまり、イイ、ってことじゃないか、と思うのだ。

この映画ね、やっぱりね、これは、大前提として、イマサラ、ってことでしょう。これは、誰しも思うことだと思うんだよね、この映画を見るとき。だって、ただでさえ、その前に4つもやってるわけでしょ。そして、オッサン、お前、何歳なんだよ、っていうのがあるわけでしょ。もう、この2つの前提から導き出される揺るぎのない、イマサラ感。これに対して、どういう姿勢なのか。

そういう意味ではうまかった、と思う。新手のビジネスかと思ったよ。だって、姿勢として、もうわしゃあ、トシだってわかってるでしょ、って姿勢なんだもん。要するにね、ロッキーっていうおとぎ話、っていうより、現実として、もうオッサンだよ、ってとこをどっちかって言うと、強めに踏まえてるの。でも、これって、ロッキーというのをイマサラやる企画としては、正しい、迫り方だったと思う。いや、一瞬、衰えてはいるが、まだ余力をどこかに残してる、みたいな設定にされたらどうしよう、って恐怖感もあったわけじゃん。やめてよ、それだけは、みたいな。

でね、物語としての、説明の付け方は、じゃあ、なんだ、ってことに対しては、答えは冒頭の、逃げ切り、だったわけだけど。つまり、もうね、一切説明しないの。だけど、逃げ切ったと思う。全体的に全く説明しないの。モロモロ。すごく、うまいとこ、というか、微妙なとこ、というか、には落とした、と思う。再び、ボクシングをやる理由もあってないようなもんだしね。あの、オバさんを助けてやる理由もあってないようなもんだしね。

けど、わしゃあね、逆に理屈をつけなかったところに、若干の共感をしてるの。っていうか、それだけで、なんちゅうかすべて許す、というか、肯定的にとらえたい、という気持ちになってるのよね。なんちゅうかね、結局、理屈をつける、ってことは、見返り、ってことかとまちゃみんには思えた。見返り、っていうのは、貸し借り、というかね。そういえばあのオバハンも言ってたけど、なんで便宜をはかってくれるのか、と。見返りですか、と。要するに、理由はなくてイイんだよ、ってことでね。

はあ、ちょっと、なんでああいう雰囲気だったか、わかってきた気もするけど、要するに、理屈をつける、っていうのは、貸し借りの話にしよう、ってことだよね。あなたのこの行為は、100円の価値があります、と。私は、100円払うので、100円分のサービスを提供しなさい、と。でも、結局、貸し借りだけの関係にしちゃうということは、それ以上もそれ以下も関わりたくない、というアピールなわけだもんね。100円だけの関係にしよう、と。

結構、ロッキーの周りには、しょうもない人もいるわけだよね。だけど、受け入れてるわけだよね、きっと。そこにはあんまり理由はない。要するに、非常に微妙なね、この映画自体を、イマサラ、っていうことも含めて、説明しない、ってことを、そういう雰囲気に転化させることができてる、と思う。すごく難しいように思えることをできてる、と思う。まあ、ひとことで言うと、無償の愛、というかね。大げさだけど、まちゃみんは、ちょっとそう感じた。

まちゃみん、ちょっと前に言っていた、与える、ってこと、それが、この映画にはあったような気がしたの。結局、何か手に入る、ってことが、自分が能動的に動いた結果、っていうのは、あんまり、安易にそう思っちゃいけないような気がしてる。傲慢な態度なの。まちゃみんは、まずは、与える、ってことから始めたいの。この映画にはそれがあったような気がするの。与える、ってことに意味だとか理屈をつけるのはやめようよ、と。単に、与える、でイイじゃないか、と。うがちすぎのような気もしたけど、だから、その点だけで、なんとなく許せちゃうような気がしてる。まあ、単に、このオッサン、自分ズキなんだなあ、と思わないこともなかったけど。

映画というか、ドラマとしては、モロモロ、めちゃめちゃ説教くさい。オッサンの演説ばっかり。そして、モロモロ、めちゃめちゃクドイ。2度見みたいなアプローチばっか。一回思い直して、やっぱり次、行動、みたいな。けど、イイよ、別に。なんちゅうか、許そう、と思う。いや、オッサンのセリフだけ取り出してたら、ちょっと興ざめかもしれないけど、それを、受け入れさせてくれる、雰囲気は、そういうことであった、とまちゃみんは感じてるわけです。

いや、この映画、イイ映画かもしれないよ。

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2007年4月20日 (金)

東京タワー観た 感想です~死人に口なし

人生みたいなものを描いた映画としては、フォレストガンプの10分の1位は面白い。いや、悪気はないけど。こういうのをブームみたいな感じにしないでくれ。っていうか、賑やかそうな感じなのは、実態がないことを祈りたい。なんか、まちゃみん、申し訳ない気持ちもある。映画館では結構泣いてる人もいたので。水を差すようで。なんか、まちゃみん、ダメなところしか、最終的には見えなかった。

要するに死ぬことを安易にネタにしてるとこにどうにも嫌悪感があってね。いや、もうちょっとバックグランドというか、本を読んでたりすると泣けるのかなあ。そういえば、テレビもやってたんだっけ? いや、やっぱり、バックグランドを知らん方がイイと思う。知ったら、たぶん、もっと、クソミソに言いたくなるだろうし、だいたいそれ以前に、知りたいなんて、一切思わないし。

いや、正直、前半は好感を持てそうだなあ、って見てた。樹木希林の若い時代がすげえ似てるとことか、昭和の佇まい、とか、細かいトコはきっちりしてて、好感は持てたんだけどなあ。って最後のとこで、内田なんとか、って出てたから、きっと、あれ、実の娘なんだね。ということは、内田裕也と樹木希林のかけあわせかあ。この言い方怒られそうだけど。

後半から、現在に近づくに従って、すごく興ざめ、になっていたのよね。それは、要するに、死ぬことをネタにしてる、ってことに敬意が感じられなかったからなの。いや、まちゃみん、この物語、ってほんとに知らないから、邪推なんだけど、これって、きっと、自伝的な物語だよねえ。要するに、ある程度実話じゃないの、って。いや、実話じゃなかったら、もっとダメだけどね。だって、あまりにもバカバカしい設定で、そもそもおとぎ話にもならないじゃん。だとしたらもっと問題外なわけだ。要するに、あえて、ああいう設定にしてるってことは、実話、ってことじゃないと逆に成立しない、と思うんだよね。

そんで、まちゃみんは、実話だと思って見てたわけだけど。そうするとね、この話ってダメなの。だって、テメーの母親の死に方を商売にしてるわけだよね。物語では、悲しい悲しい、ってやってるわけだけど、実際は、死んだけど、儲かったウハハ、みたいなわけでしょう。死、というものの描き方として、ほんとに、自分の母親が死んで悲しかったらああいう描き方になるんだろうか、ってことでね。死ぬ、ってことに対して、それは、まちゃみん敬意がない、と思うわけです。だから、もう、その一点で、物語にスイングできないの。この前のホリデイで、老人虐待、って言ったのと同じことなんだけど、結局、まだ死にそうもない、この世に未練たっぷりのやつの側からの一方的な視点だけなのよね。図々しいんだよね、モノイイが。まちゃみん、は、そういうのはダメなのでーす。ああいう死に方を描くんならまず自分で一回死んで、実体験を積んでから、描いて欲しい、ってもんだ。ほんとに死んだ人はあれでイイと思うんだろうか。

松たか子とかの細かい設定がわかんねえ、とか、もうどうでもイイの。死ぬことを安易にネタにしてる時点でまちゃみんは、もうまったく評価できないから。それ以前なの。

でも、樹木希林、小林薫ってやっぱりうまいなあ、とか、オダギリジョーってイケメンなんだなあ、とかは、思いました。

そして、こういう作り話を見せられて、オレの人生の方がよっぽどぎっこんばっこんで面白いじゃん、と思って。ちょっと立ち直ったのでした。ヨカッタ、ヨカッタ。

以上です。

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2007年4月16日 (月)

ホリデイ(The Holiday) 観た 感想です

いや、つまらない、という予感を確認するために行く映画って、あるわけじゃないですか。ここでも何度か書いてると思いますけど。まちゃみんもそこそこゼンがあるようになってきたから、そういう理由で映画を観たりできるわけですよ、今や。でも今回のこれって、まちゃみんとしては、もう確認、ということすら全然なく、間違いなくつまらんだろう、と。だもんで全く観るつもりなかったんですけど、なんか、開始時間がちょうど合っちゃったのと、ケイトウィンスレットの、まちゃみんとしてのイメージとして、もの悲しさ? これが一瞬脳裏によぎっちゃったんだよね。一瞬、ケイトウィンスレットとともに泣く場面があったらなあ、って。で、ふらふらっと言っちゃったんだよね、窓口のところで。3文字だし言いやすいし。

いや、だから別にイイです。内容は。なんか、久しぶりに英語が聞けたからイイです。一回、おしっこもしたくなったし席をたったのでそのまま帰るつもりだったけど、早く帰るには中途半端な時間だったのと、思ったより、たまに英語が聞き取れるような気がしたので、もう1回席に戻る気になりました。勉強だぞ、ってことで。

ということで、映画の中身そのものの感想はあんまりないんですけど、感想を箇条書きで手短に。

・キャメロンディアスはもうトウが立っちゃって痛々しかった。騒がしいだけ。松野明美みたい。うるさい
・いや、キャメロンディアスには、キャリーフィッシャーのような思い入れがあるわけではないんで、冷静にお前自身もつらくね? みたいな感じ
・ケイトウィンスレットは無理矢理コメディタッチの演技をしてたけど。ぎこちないよう
・二の腕!
・役者は集まったんだけど、別の役者を集めちゃった感じ? ケイトウィンスレットもそうだけど、ジャックブラックはなんでああいう位置づけなのか。あの顔だったらストーカーとかやって欲しかった。役者の顔だって記号なんだからさあ。あんな、むしろカッコいいみたいなことやられると逆にすごい戸惑う
・作り手が何をしたいのかが全くわからない。なんでそうなってるか、すらわからない
・このメンバーだとすると、恋人達の予感のリバイバルの方がよっぽど面白かったかもしれないよ? ちょうど4人なわけじゃん。もう、これ系のアメリカの話って、簡単にあのフォーマットから逃れられないんだと思った
・老人虐待。っていうか、老人自体はああいう風に思ってないと思う。要するに一方的な思いこみ、っていうかね。押しつけがましい、図々しい、がよく表現されてた、と思う
・海外の文化はそうなのかもしれないけど、ほとんどの役柄で性別が倒錯してるような気がした
・っていうか変に中性っていうかね
・クリスマス、から、年末、という設定の映画なのになんでこの時期に公開するのか。全くやる気が感じられない

いや、まちゃみん思ったよ。最近まちゃみんが観たい映画って葛藤してる映画だと。葛藤。これだなあ。いや、話の中身そのものももちろんそうなんだけど、結局作り手なのよね。映画観る、ってそれを作った人の葛藤の様を観る、っていうのがあると思う。っていうか人間があまねく作るものってね。何かのメッセージなのよね。いや、最近、人間、っていうものに対しても思う。どっかで、ぎっこんばっこんしたんだなあ、って感じるものがない人には魅力を感じられない。

要するに今回のやつってさ、観る前からつまんない、ってなんとなく感じてたのは、すげえ流れ作業の匂いがしたからだ。観る前から。

なんかみんなで役割分担して流れ作業をしたので製造ラインの最後で2時間を埋める音と映像、というものはできあがってはきたけれど、という。誰ひとりとして、能動的な思い入れを持って参加してる人はいない感じ、というか。

そんな感じ。

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2007年4月 9日 (月)

ステップアップ(step up) 観た 感想です

大味。いくらなんでもおおざっぱすぎだろ、っていう内容。その大雑把は間違いなく、わざとじゃない。でもだからこそ、というか、そういう部分も含めて、なんちゅうか、アメリカのB級の正しい青春映画になってる、という。いやあ、嫌いじゃないけど。特に、今日みたいな、あえて、っていう時、というか、まちゃみん自体が珍しく大きな心を持っている時は。

ちなみにとなりに座ってた女の子は号泣してた。えぇ、泣けるかあ、とは思ったけど、微笑ましかった。セカ中の時は、こういうバカバカしい映画で泣くやつは、一人ひとりとっつかまえて説教させろ、って気持ちになってたけど。今回のは、まちゃみんは泣けないけど、気持ちはわかる。

すべてが大づくり。そしてそれだけで、まちゃみんは面白がれた。なんか、やっぱり海外の人はお肉の付き方が違うなあ、とか、あと、画面から伝わってくる町並みとか。どう考えても、アンマッチな組み合わせとか、ええ、その服昼間汗だくになって着てた服じゃん、とか、明らかに本筋と関係ないのに、画面の隅っこで存在をアピールするかのように画面に映り込んでいる人とか、女校長の意味のないボインぶりとか。

話の内容は、要するに青春映画でね。どうしようもないチンピラが、ふとしたきっかけで打ち込めるものを見つけて、成し遂げた、みたいになる、という。今日のは、ダンスだったわけだけど、対象はなんでもイイわけであって。日本だったら、将棋クラブか科学部になるとこだよ。それにしても、いかにもだよね、向こうの人は、ダンス、というマッチョなところが。

いやあ、常に、世代って交代してるんだと思ったよ。こういうのをやってたのは、まちゃみんの時代で言えばマットディロンだったなあ、と思った。そういえば、妙にマットディロンが観たくなったよ。

ということで、まちゃみん、とにかく曲をきっちりと完成させたくなった。なんちゅうのかね、創るヨロコビ、っていうのを感じたい。

おしまい

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2007年4月 1日 (日)

善き人のためのソナタ 見た  う~ん、、、。2、3言いたいことあります。ネタばれはしてます

最後の、おっさんの一言にはちょっと泣きそうにはなった。掛け言葉、っていうかね。でも、うーん、なんというか、、、。中オチ部分の、ババア萌えだった、というインパクトが強すぎて、なんかいろんなものを見失ったような気がする。

いや、決してダメじゃない。なんちゅうか、まちゃみんの既存の文法にない映画だった。そんで、なんちゅうあ、イイ、とか、悪い、とか、すぐに言えない。成立は全然してると思う。とりあえず、一発目の感想は、ただ単になんの予備知識もなく、そして、あとから、何か調べたり、ってことなく、一発目で思ったままを書こう、と思う。パンフレットも買ってきたので、気が向いたら、それを読んでどう変わったか書くかもしれない。

なんちゅうかねえ、上司に付き合わされて見に行った、高倉健が広末涼子に萌えまくる、というぽっぽ屋と、マイケルウィンターボトム監督で、ケイトウィンスレットが出てた日陰の二人、が思い出されたね。ぽっぽ屋の方は、イイ年したおっさんが、なんで、っていう、よくわからん、というか、必然性が感じられないナオンに不器用に、萌えまくる、というところが同じ、で、日陰の二人は、なんちゅうのヨーロッパというもののもの悲しさ、っていうの、そういうとこが同じだった。

そういえば、日陰の二人、ってもう一回観たいよ。あれ、なんちゅうか、相当、イイ、って思ったんだよね、当時。大学生だったと思う。なんで、あの映画観たのか、いきさつは忘れたけど、ほんとに、感激した。まちゃみんにとっては、タイタニック観たとき、ああ、あのケイトウィンスレットかあ、って思ったもの。

この映画ね、当時の政治体制に批判的なんだろうけどさあ、ようするにそっち系の若干、堅い佇まいの映画なのか、とも思って見始めるわけよね。だって、やっぱり、つかみの尋問のとこってそこそこインパクトあるからね。要するに、まちゃみん厚木時代に観た、スピルバーグの、題名忘れたけど、争いの負の連鎖が延々と続く、アレなんだっけ、名前忘れたけど、アレ。PLOと、イスラエルのスパイの映画。ようするに、アレみたいな映画なのかな、と思ったのよね。そしたらなんかエンターテイメントみたいな感じもちょっと入ってきてて、なんちゅうのかね、どういう姿勢で観ればイイのか、迷い、っちゅうものが生じてくるわけですよ。で、おっさんのババア萌えでしょう。混乱したね。

なんちゅうのかね、丁寧に、主人公のおっさんを、国家のために、機械のように、身を捧げる人間だ、って描いてきてるのにさあ、人間味見せる、って意図はすごくわかるんだけどさあ、そこかあ、って感じがすんのよね。いや、たぶん、違う意味で見せようとしてるんだろうと思うけど、あの、娼婦と、いたす描写も、なんちゅうか、良くない意味、というか、突飛すぎる、みたいなところで、生々しすぎるんだよねえ。だって、あの娼婦だってババアだしさあ。

そういえば、あのおっさん、女優と、対面する場面あったけど、女優は、あれは、結局、気づかなかった、ということなのかなあ。パンフレットにその辺のこと書かれてたら嬉しいなあ。まあ、たぶん気づかなかった、ってことなんだろうけど。

いや、この映画、やっぱり、改めてイイ、と思うところは、視点自体は、すごくあったかいとこだと思う。人間が究極の選択を迫られたときに、される判断、ってのを尊重しよう、と。ナオンは、結局、自分の利害を、どうしても、最終的には、取ってしまい、おっさんの方は、理念に従ったわけだよね。たぶんここで重要なのはね、だから、おっさんはイイ、ナオンがダメ、っていうわけではないんだよね。単に一生懸命だった、ってことしか言ってないと思う、ああいう体制のなかで。あったかくもないけど、責めてはいないとこが、冷たくはない、という暖かさだと思う。

まちゃみんの解釈では。ようするに、おっさんだって、尽くすものの対象が、初め国家、最後、自分が一方的に、萌え狂ってる他人のナオンたるババア、ってだけで、どっちにしても、普遍的なものに対して、身を捧げてるわけじゃない。このおっさんは、もしかしたら、それこそ、路傍の石に身を捧げたかもしれない人なんだよね。そうだとするとこのおっさんって決して理念に従ったからイイ、って、好意的に解釈されてない。そうだ、そうなんだ。

だから、この映画、ってまちゃみんなんか判断できなかったのは、そういうテーマが並行してるとこかもしれない。政治体制、みたいなことと、萌え、の対象、ってなんだ、とか、ナオンとおっさんの違い、とか。だけど、それこそが現実だ、とも言える。いや、この映画を作った人のほんとうに言いたいこと、って、うがった見方をすると、このおっさんのように、実は、自分以外の外部のイデオロギーに、身を捧げちゃうやつは、ダメだ、ってメッセージかもしれないよ? ようするに、あのババア萌え、っていうのは、真面目に、不真面目なババア萌え、というのを、そんなんダメだ、っていうためだ、っていう。・・・うーん、自分で面白いけど、それはうがちすぎだな。

っていうか、あらためて、まちゃみんの前提っつーやつなんだけど、ここんとこ、ずっと、1週間位、ほんとに恋人達の予感しか観てなくて、他の映画を観たかったの、英語の。で、まちゃみん、今回、別に観たいのなかったから、時間合うやつを観よう、と。で、映画館行ったら、19:00だったんだけど、ちょうど始まるやつがなくてさ、確か、字幕のやつで、唯一、といって良かったのが、これだったんだよね。けど、ポスターすら貼ってないんだぜ、チネチッタ。ちょっとはやる気を見せろ。まちゃみんちょっと香港映画とかだったら、どうしようかと思ったもの。

でも、まあ、初めの物語を説明する字幕が英語だったのでちょっと安心したわけよ。ところがぎっちょん、ドイツの物語でずっとドイツ語で話が続くんだな。あ~、と思ったけど、職場にドイツ人もいるし、まあ、イイか、と観念した。チネチッタもさあ、ほんとにポスターくらい貼っとけよ。そしたら、それぐらいの準備はできるだろ、まちゃみんだって。いや、いくら、まちゃみん、事前情報は一切に近いくらいほとんど入れたくない、っつったって、どこの国の映画か、くらいは、知りたいって、さすがに。

ということなんだけど、この映画は良かった。好意的にとらえらえると思う。パンフレットで是非とも確認したいのは、完全なフィクションなのか、どうか、というところ。俳優も良かった。ドイツ人の一面を垣間見る機会だったと思う。

それにしても、今日腹たったわ、あいつらからの電話。野良犬に噛まれた、ってこういう状態を言うんだろうね。いや、わしゃあ、相当、心が狭い、と思うけど、なんちゅうかさあ。いや、世間的にもこんなことで怒るまちゃみんの方がどうかしてるやつだってことはそうだろうと思うけど、結構、こういう日曜、という、まちゃみん、誰とも関わりたくない時に、ああいう電話よこされるとね、怒り倍増だわ。先輩づらすんな。ああいう、なんちゅうか、後輩の骨を拾う覚悟が当時も今もないやつにかぎって、先輩ヅラしやがるのよね。お前は無邪気にやってるかもしらんけど、わしゃあ、相当怒ってるよ。頼むから、オレに関わってくるな。オレの方から、お前等に関わっていったことあるか。わしゃあ、お前らのこと嫌いなんだよ。オレ、相手にしてないんだよ、あんたらのことを。わからんと思うけど。今日で、ある程度、伝わってることを祈る。わしゃあ、そうとも言いたくないからね、それくらい、汲み取ってくれよ。頼むよ。

って、単に、花見してるから、いっしょに飲もうよ、っていう電話なだけだけどね。

なんで腹を立ててるか、と言えば、そういうとこを直面させられたからだ。わしゃあ、こういう嫌ってるヤツと表面に出てる結果としては、何も変わってないことを、こいつらは存在を思いさせるだけで、オレに否応なく考えさせるからだ。わしゃあ、あいつらとは違うつもりだけど、世の中はそうは思わないはずだ。そういうことです。

明日からの1週間は修羅場だ。まちゃみんがんばる。

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2007年1月 8日 (月)

紅白歌合戦 DJ OZMA

また、こんなモノ言いですみませんけど、ちょっと言っときたい。

まちゃみん、が見聞きしてる範囲では、なんか、裸っぽい衣装だったので、不愉快だ、と。NHK自体も抗議してる、と。

っていうか、選んだこと自体、選んだNHK自体が、まず責められる話だろう、というのが、まちゃみんの最も言いたいところ。リハとかやるんだろ、そこでチェックせえよ、NHK、とか、そういう舞台裏の話も、もちろんあると思うけど、そういう話にすら行く以前の問題。これ、ってそういうことしちゃうような出演者を、まずは選んだNHK、と、そのプロセスこそが最も話の中心にされなきゃいけない。そういう話になってないから、オレなんて部外者の最たるものだし、こういう誰も見ないようなところであっても、言わずにいれない。

だって、紅白って、そもそも全く興味がなくて、きちんと見たことがないし、問題の場面も、実際に見てないのでなんとも言えないし、DJ オズマって、好きか嫌いか、とかじゃなくて、興味がないし、裸っぽい衣装位で目くじらたてるな、とか、もし、まちゃみんが見てたら思う、と思うけど、それも全く別だし、あと、NHKが不祥事続きだとか、そういうの一切、全部、全く、ほんとのほんとに全部抜きで、もう、ほんとにこれだけ取り出して、そういうのを選んでること自体が一番責められないといけないと思う。

で、そういう話になっていないのが、ほんとに腹が立つ。何かが、まちゃみんの中でいっしょになってるんだろうな、なんちゅうか、ほっとけない。頼むから、そういう筋道にすんなよ、って。わしゃあ、裸見たってかまわないけど、なんちゅうか、そういう不毛な、ばかばかしい茶番を、見せられた、っちゅうのがそれこそ不愉快なうっすらとした理由かもしれない。ツボだったみたい。こういうバカバカしいなかに、巡り巡って、オレもいる、っていうのが、どうにも許せないみたい。

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2006年12月30日 (土)

パプリカ 見た 感想です

直撃はしてませんが、ネタバレはしてます。ってゆーか、もう、今日で公開終わりみたいだけどね、川崎のチネチッタでは。

まあまあ、まちゃみん的には、楽しむことができた。決してネガティブな意味ではないんだけど、おもしろかった、ではなく、楽しめた、ということ。この感じは伝わりづらいと思うけど。なんだろう、一般受けするような作りにはなってない、ということかなあ。というか、作ってる方も全然、売ろう、という文法でハナから作ろうとしてない感じ。もちろん、商業映画でそれはあり得ないんだろうけど、感じとして、そんな感じ。そしてそれがすごく、好意を持って受け止められる。それが全体の印象。なんちゅうか、巨大なブログという感じ。映画の世界観ではなくて、映画の全体の姿勢、というか、たたずまいが。わしゃあ、こういうのがスキなんや、文句あるんか、っていうような。

ブログって基本は、営利目的ではなくて、わしゃあ、こういうのがスキですねん、良かったら読んでちょうだいよ、と。読まれなくても、わしが思ってること、書いてんねん、ってことだと思う。ちょっと、読まれて、反応があったら、それは、もうけもの、みたいなもので。少なくともまちゃみんは、そういうスタンスで、ブログをやるようになった。だって、別にさらさなくたって、今までも勝手に、日記は書いてたし、さすがに、固有名詞は出さないようになったけど、公開したって、おかしいことはおかしい、って言ってるしね。それに、これは、すごく、ポリシー持ってやってるけど、なんとなれば、本人に言っても構わないことしか、書いてない。だいたい、おかしい、と理屈より、先に、思ったり、感じたりしたことまでは否定できないんだもんね。それは、どこまでも、自分に対しての問題であって。ブログって、イヤだったら読まなきゃいいじゃん、ってことでね。だから、オチも必要ないし、細かい表現とか、大きなお世話だし、わしゃあ、こう考えてる、一本でイイと思うんだよね。で、この映画そんな感じだったの。細かいとこで言えば、主人公のおねーちゃんの乳首出しちゃったり、とか、パンツ丸見えだったり。これ、絶対わざとやってるよな。というか、こういうことをやりたくてやってるよね、っていう。

なんか、脱線気味だけど。映画の話なんだけど、いわゆる導入のところ、つかみが、とても良かった。期待をもたせて、すんなりと映画が描きたい世界に入っていけた。って、でも、結局、その導入の手法が、結局、延々と繰り返されるんだけどね。しかも最後まで。いや、決して、それが、ダメだったわけじゃなくて。

話の内容としては、夢のなかの話でね。夢オチ、って言葉があります、と。そして、基本的には創作の世界では、それは、あまりよろしくない手法とされてる、と思う。というか、見る側としてね、いろいろ、風呂敷を広げられて、どう畳むのかなあ、ってわくわくしてたら、ごめーん、結局夢だったのよ、と、テメーぶっこすろぞ、と、夢オチかよ、っていう。そう、夢オチはよくない、って中学生位のころ、伊集院さんがオールナイトの2部で言っていて、それ以来、まちゃみんには、夢オチは、良くない、ってインプットされてるからね。

もう、見てる途中でね、もう、完全に、夢オチ、に対しては、どういうスタンスなのかなあ、ってのが、軸になると思うんだけど、それに関しては、ちょっと新しい、というか、作ってる方もどうでもイイや、って感じなんだけど、もう、早々に、オチの部分はたいして盛り上げもせず、ばらしてね、で、結局、冒頭の手法を延々と繰り返していた。要するに、誰が犯人なんだ、とか、パプリカ、って誰やねん、とか、その辺がオチでね、それは、早々にばらしたんだよね。でも、延々と夢の上書き、ってことをやり続けて。つまり、ちょっとづつ、変だな、ってことが起こっていって、ある瞬間にこれは、やっぱり夢だと、それに気付いて、ようやく夢から現実に戻った、と思ったら、また、ちょっとづつ、あり得ないことが起こっていって、ああ、夢から覚めたのも、夢だったんだ、っていう繰り返し。もう、この映画、ほんとに、延々とこれを繰り返してるの。

あとは、男の世界観。っていうか、おたく、っちゅうのが正しいのかなあ。主人公、というかね、パプリカ、っていうか、あの、ナオンを取り合う、というかね、そういう構造だもんね。すごい極端でね、延々とやってるけど、徹底して、ナオンの登場人物って、主人公だけなのよ、で、あとは、オトコばっかり。しかもおっさんとか、デブとか、おたく、とか、身体的に障害を持ったジジイ、とか。いや、すごいなあ、この登場人物。世の中的に、まとも、と言われる記号を持つものを出さないようにしてる。いや、刑事のおっさんはまともかあ。唯一。

あと、主人公は、どう見ても、オトコ視点で見たナオンでね。昼は貞淑、夜は娼婦、っつってさあ、オトコが描く、理想のナオン像じゃん。あ、あと、主人公のナオンは、結局、あれは、二重人格の象徴だね。で、結局、そのナオンは、常識はないけど、純真なデブと結婚する、という。どこまで言っても、オトコ視点の映画だったね。だって、あり得ないし、共感もできないんだよね、なんちゅうか、物語上。でも、作ってる側は、こういうのが望みなんだね、ってのは、伝わってくるのよ。

画も日本、ってのものの細かい記号だとかさあ、なんか、日本人として、心地よかった。背景とかすんごく丁寧だし、細かいし。あと、セリフとかもやたら、七五調だったりとかして、短歌俳句を思い出しちゃったよ。そうだ、人間の創作物って変わらないな、と。結局、繰り返すとこなんて、韻、とかって言われてる手法じゃねえの、とか、あと、かけことば、とかね。あれ、具体的な場面は忘れちゃったけど。なんか、やたら、短歌俳句の手法ってのとかぶってじゃないの、って思ってた。

ようするに、作り手が、わしゃあ、こういうことを考えてんのよ、って、そういう映画だった。だもんでね、冒頭の話とつながっちゃって、まちゃみんとしても、なるほど、なんだけど、その作り手側の考えてることって、まちゃみん、共感できる、っちゅうか、ふざけんな、って考えでもなかったので、そういうのが感じられて、良かったのよね。それで、楽しめた、と。だけど、なんだろう、要するに物語りとして、面白かったか、というと、そういう性質のもんではないね、と。そういうことだね。要するに夢オチをぐりぐり押し続けて、寄り切っちゃえ、という展開だもの。そもそも物語として、どうか、っていうことは、あっさり犯人ばらした時点であんまり興味をもたないでね、ってメッセージに思えた。あのジジイが、負けちゃうわけだけど、現実の世界でどうなかったか、とか描かれてないしね。それは、どうでもいいじゃん、ってことで。

いや、ほんとにそういうこと。

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2006年11月22日 (水)

SAW3評価について(ネタバレしてます)

レインボウブリッジ封鎖できません、
どーも、まちゃみんです。

相当早く帰ってきたので、SAW3、ネタバレ、の単語で検索してサイトを見てた。意外に、今後の展開についての解説、ってないなあ。というか、ネタバレ、とか、解説、以前に、結構、評価自体割れてるような印象。

今回、まちゃみんはある意味、幸福なことだったのかもしれないし、3に関してもそうだったんだけど、っちゅうか、たいがいの映画をそういう姿勢で見るようにしてるけど、ほとんど一切あらすじですら知らないようにして、映画を見に行く。前にもここで言ったかどうかわからんけど、タイトルとか、いやでも目に入るCMとかポスター位で十分やる気は伝わってくると思ってるから。それに、最初から最後まで見て、映画のなかで完結してくれよ、って思ってるから。(だから、SAW3に関しては、1、2から続いてますよ、って宣伝した方がイイ、と思ってる) SAW3に関して言えば、ポスターに血を混ぜた、とか、あまりにも残酷すぎて公開があやぶまれてる、というような、昭和のプロレスか、ってアオリ自体があったことも知らなかった。ちゅうかSAWは2でもそこそこ楽しませてもらった印象なので、もちろん付き合いますよ、ってことでね。

あんまり全体の雰囲気っつうやつをまちゃみんが勝手に作って、それについてあれこれ言う、っていうのは意味がないと思ってる。マッチポンプ。だけど、ちょっと、期待はずれ、って言ってるサイトが多いような気がして、どこまで貪欲やねん、って感じがしないでもない。っていうか、それを折り込まないで、期待外れ、て言っちゃうのは、ちょっと過去に続きものの映画でがっかりした経験少なすぎじゃね、っちゅう感じがする。なんだろう、つまんないことを確認するのに、カネ払って見に行くくらいの感覚がちょうどイイと思う、続き物は。じゃなかったらはじめから見に行かなければイイと思う。続きを見ようかどうか、ってやっぱり本人次第だと思うんだよね。続きものとして、見に行って、カネを払った時点で、すごく小さい範囲の賭け、だと思う、映画も興行、要するに見せ物小屋だから、平たく言えば。その前提が感じられない人から、つまんない、って言われてもなあ、って感じがする。だから、まちゃみんとしては、続きものにしては、結構、テンションを維持してた、って見方をしてて、それなりに良かったじゃん、ってなってる。指輪物語で相当イタイ思いをした。あれは、続きものじゃなく、1で、噴飯ものだと思ったんだけどね。

指輪物語に関して、あんまりまちゃみんに同意してくれる人がいない。さびしい。話は脱線するけど、映画そのもの自体で解決してないってのが、そもそもなってないし、かといって、そのバックグランドを知りたくなるように面白くもないし、映像自体が暗くてヤダし、3時間もダラダラやって、つづく、ってどういうことじゃ、ヴォケっていう。もちろん、指輪物語は、2、3には付き合ってない。

SAW3の各感想サイトでは、結構、これで終わりよね、っていう意見が多いような気もした。わからん、どう見たら、あれで終わろうとしてる、と受け取るのか。もちろん、まちゃみんも、4では、広げすぎた風呂敷をたためない予感は十分してるけど。畳めるかどうかは別で、あれは、つづく終わり方だよね。っていうか、一部では、もう、5まで作ることが決定してる、とかも言ってた。で、次の展開の予想、みたいなものについてのサイトをまちゃみん期待してたんだけど、ないんだよね。まあ、ほんとに皆期待はずれ、と思ってるのかもしれん。まちゃみんは、それなりに面白かったけどなあ。もちろん、ほんとに、畳めんのかよ、という、意地悪な見方込みで。

ひとつあるとすれば、ジグソウのゲームの鉄則が崩れてるじゃん、ってことでね。まちゃみんは、そういうところはもう忘れてて、あんまり気にならなかった。逆にちょっと、そういうところをもうちょっと、掘り下げてるサイトを期待してた。だから、ダメだ、っていう。いや、他人まかせ、で申し訳ないんだけど。あんまりなかったなあ。

っていうか、まちゃみん、いつまでたっても、指輪物語はおかしい、ってことが言いたいらしい。

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2006年11月18日 (土)

SAW3見た ~まさか○○○とは

ということで「SAW3」見てきた。いや、まあまあ面白かった。それにしても、○○○とはね(←この伏せ字は、後半のネタバレゾーンで)。いや、せめて、「SAW2」ぐらいは見直しておいた方が、より楽しめると思う。これは、ネタバレにならんと思うけど、明らかに「2」から続いてます。というか、「1」からね。「SAW3」から見るやつっていんのかな。だいたい、「2」も「1」から続いてたからね。これは、ほんとに、断っておいたほうがイイと思うなあ。続いてますよ、って。「1」から見てないともう何がなんだかわかんないんじゃないだろうか。単なるゲテモノシーンの連続にしか見えないだろうと思うよ。まちゃみんも正直言って、途中、そう思った。後半、盛り返してくれて良かった。

ということで、まだ見てない人は、絶対、最低でも、「2」は見ておいた方がイイと思います。まちゃみん、ちょっと、気になって楽しめなかったもの、あれ、この人とこの人ってどういう関係だろうか、とか、っていうか、まちゃみん、まだ、あれ、生きてたの、ってのもあったから。というのは、はっきり覚えてないんだよね、「2」のことを。それなりに面白かった、という印象は残ってるんだけど。

でも、正直やっぱりちょっとづつ薄まってる感はあるよね、「1」より「2」、「2」より「3」、という感じで。でも、羊たちの沈黙とかより、薄まり度は、平坦ではないだろうか。って、そもそも羊たちの沈黙っておもしれえ、ってあんまり思った印象ないけど、2だか、3だかで、もう、煮詰まって、無理しすぎ、って感じのとこがあったもん。なんか、脳味噌取ったやつがフラフラ歩いてたシーンだけすごく覚えてるけど。はあ、って、色んな意味で。

ここんとこ、映画をずっと見たかったけど、どれもこれも、あまりにもつまらなそうで、見てなかったんだよね。いや、CMとかでちょっと見0たいかも、って思って行ってみたら、公開がずっと先で、もう、そんときは、どーでもよくなってた、という。今回は、はっきり、見たかったもの。だけど、「SAW3」もう、やってるとは思わなかった。ということで、良かった。そういう意味でも。やたらもったいぶってなくて。

さて、以下ネタバレ含みます。

ということで、まさか、というか、もういい加減、「○○○=つづく」とは思わなかった。伏線が何も解決してないもんね。あのアマンダが読んだ封筒の中にはなんて書いてあったのか、とか、結局、あの「SAW2」の時の刑事もはっきり死んだ、ってことになってなかったような気がするし、あと、あのジグソウの走馬燈で出てきたシャロンストーン? あのナオン、どう考えても、重要だよね。でも、封筒に関して言えば、アマンダはもう死んだから意味ないのかな、アマンダが何を読んでたとしても。あと、さすがに今回でジグソウは死んだよね。

あと、ジェフとリンが夫婦だっちゅうことには、もうちょっと早く気付きたかったぜ。まちゃみん、ほんとに最後まで気付かなかった。あんなに、やたら指輪見せまくってたのにね、思わせぶりな映像で。もう、まちゃみんなってないね。なんか、あの冒頭の、リンが病院に行くシーンで、出てきたオトコが夫だとずっと思ってたもの。

・・・って、でもさ、なんで、夫婦かって思わなかったか、って今考えてたらさ、子供は明らかに、毛唐の子供じゃん、人種的に。白人、っていうか。でも、リン、ってさあ、ラテン系じゃん。だから、ジェフとの子供には見えないよね。そうだよなあ、だからだ、あんなに思わせぶりな指輪の映像があったのに、まちゃみんの中でつながらなかったのは。

もしかしたら、重要なとこに気付いちゃった? あと、写真も完成してなかった気もするし。っていうかさあ、これで「SAW4」でさあ、人種問題のところクリアしてなかったらほんとに、それこそ、もう破綻の極みだろうね。なんだろう、そこは越えちゃいけないとこだと思うね。リンとジェフの子供はあのふたりなんです、という強弁は。リンと、ジェフの子供が、一人は、交通事故で死んじゃった男の子で、一人は、4で助けられるかどうか、のネタになる女の子です、ってなったら。それに、というか、つまり、女の子の方は、4では、絶対出てくるはずで、そこの部分の説明については、バックれられないよね。

毛唐といえば、シャロンストーン似の女。ということは、ジェフとシャロンストーンとジグソウになんらかの関係がある、とか? だもんで、ジェフは許す、って言って、一瞬大団円か、って思わせて、喉笛をかっ切っちゃった、という。つまり、とてもじゃないけど、ジグソウを許せない過去の事情があった、と。

そうするとあの腹を割かれて殺されたナオンも、なんか関係あるのかもね。単なる映画の前半の、残酷シーンでの、引き込み、っちゅうかつかみ、のシーンという、ある意味、無意味なシーンではなくてね、4で、繋がってくる、という。どうかな。

まあまあ、ちょっと楽しみができたような気もする。4で、大破綻って可能性もあるけどね。また、色々、解説サイトができてるだろうから、探して廻ってみようかなあ。

っていうか、今、フジテレビに出てるのブライアンセッツァーじゃね?

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2006年11月15日 (水)

あーっ、働くおっさん だ・・・

なんか、寝れねえ、と思ってテレビつけてみたら・・・。とりあえず、オカマの青柳さんが出てるね、今。今回は、なんか、もう完全にお白粉、って感じだね。この人は、ちょっと、なんちゅうの、ほんとにあっちの人、って感じなんだよね。なんだろう、ある程度、変、って見られるのはわかってて、あえて、まあ、あえて、ってほどでも、もういまや、本人のなかではなさそうだ、っていうのもあるんだけど、ある程度、そう見られてるをわかっててやってるよね。

今回の話はもう、ほんとに、説明しないとわからんと思う。だいぶ前の「QUICK JAPAN」(だったっけか?)を見てもらうところから始めてもらわんとわからんもん。その上で、「働くおっさん人形」っていうDVDを見てもらわんことには。まちゃみん、たぶん、まちゃみんの年代の人間、普通のサラリーマンとしては、すごく、いろんなものが重なって、この「働くおっさん」についていけてると思う。

とか言いながら、ひとことで説明すると、オレも、色々説明してあった「QUICK JAPAN」捨てちゃったし、当のDVDは、この引越しドタバタでどっかに行ってるし、資料はまったく手許にないけど、たぶん2~3年前、朝の時間帯の10分とか、それくらいで、放送してた、ダウンタウンの松本の番組なんだよね。内容としては、一言で言えば、いろんな意味で「イタい」シロートのおっさんを笑いモノにしよう、という番組でね。5人。

それぞれ、色んな意味で「イタい」。さっき出てた青柳さんは、オカマなんだよね。で、大学の講師とか言ってる。ほんとか、って感じがするところが、まずイタいところでね。で、番組のなかで、おだてて着替えさせたりしてさあ。バカでしょう、って。

番組自体は、直接的にそうは言わないんだけど、そういう本人たちのズレっぷりを淡々と流して、視聴者に、イタいなあ、って笑いモノにしてもらおう、っていう番組でね。まちゃみんも、ほんとに、朝放送してた時に見てたわけじゃないので、わからんけど、そういう時間帯にひっそりやってた、ってことで、これは、本人たち、そういうバカなことを演じてるんではなくて、マジでやってるんだろうな、って感じはすんのよね。

まちゃみんは、野見さんがダントツで好きだね。この人は、もう、間違いなくいじめられっ子だったんだろうなあ、って感じがすんのよね。それが、松本さんにいじられて、嬉々としてバカバカしいことやってるんだよね。

野見さん、ちょっと髪が伸びてる、、、そして、ちょっと影があるようになってね? 

ほかのおっさんは、まあまあ、普通にダメ、というか、まあ、色々あって、そうなってんだろうなあ、って感じで、逆にまちゃみんも、一歩間違ったらああだったかも、ってことで、ちょっと、イヤな気持ちになるところがある。あ、でも、あのフリーターのおっさんは、やたら明るくて、あり得ない見栄はってるところは、おもしろかったかもなあ。あと、あのエンジニアのおっさんは、ちょっとほんとに優秀かもしれない、と思うところもある。というか、まちゃみん的には、そこから入ってあげたい感じはする。あと、離婚したおっさんは、ほんとに笑えない。あと、オカマのおっさんはそもそも土俵が違う。関わることないよね。

もう寝よう。明日出張なのよ。

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2006年8月22日 (火)

時をかける少女 って、実は(でもないんだろうけど)○○映画だったんだなあ

まちゃみん泣いちゃったのは、なんでだろう、って考えてたんだよね。決して、泣かそう、という映画という印象がなかった、と思うから。きっと、我が身に何かが重なって、スイッチが入っちゃったことは間違いないんだろうけど。

というのも、実はこのブログ始めて以来、はじめてコメントをもらって、これってだいぶ嬉しいもんですね、と。そんで、どういったことを返信しようか、って考えてたら、結構、でもないんだけど、その辺のことが出てきたんだよね。そんで、時かけ、のことをまた、書いちゃおう、と。

今回は、はっきりとネタバレです。なので、映画未見の方は読まないほうがイイです。

この映画って、決して、カタチあるものとして、例えば、恋が成就した、とか、何か具体的なものを手に入れた、とか、はないよね、と。描かれてはないけど、ただただ、ラストでは、普通の日常が戻ってきただけよね。たぶん。でも、ほかのなにものにも代えられない経験、というか、思い出は、しっかり残った、と。その辺に深みがあるのかもしれないなあ、と思ったの。

結局、この映画、って、主人公に何か、目的があるわけではねえ、と。とにかく、はじめの方は、ひたすら普通の日常が描かれてるわけよね。まあ、正直ちょっと、高校生位が恥ずかしがらず、男女3人で友達っぽい関係でいるかなあ、というのはあったけどね。まあまあ、そんで、あくまでその延長で、ちょっとづつ、非現実に入っていく、と。タイムスリップがひょんなことからできるようになって。でも、あいかわらず、主人公は、無邪気にドタバタやってるだけだ、と。タイムスリップできるようになった、ラッキーってなもんで。で、そんななかで、ちょっとづつ、因果応報もあるんじゃないの、っていう、お説教ってほどでなくて、まあ、むしろ、観客への注意喚起を狂言回しの魔女おばさんにされて、主人公がトクした代わりに、損しちゃった人も出てきた、と。この辺がうまかったよね、何か、悲劇を予感させるわけよね、何か、起こるんだろうなあ、って。この辺の呼吸って実に、うまかった、と思うね。オレ、やっぱり、冒頭のあの坂を自転車で降っていくシーン、ってはじめから怖かったもん。やっぱり、あれ、ちゃんとしたフリ、だったわけだよね。

そんで、無邪気にドタバタやって、気付いたら、大マイナスでルーレットが止まりそうになってた、と。だけど、最後の最後、なんとかなんとか、粘って、マイナから、プラマイゼロに持っていった、と、そういう映画よね、きっと。カタチある具体的なモノは、実はなにものも手に入れてない。ただ、ほかのなにものにも代えられない経験、というか、思い出は、しっかり残った、と。その辺にそこはかとない、余韻があるんじゃねえか、と。というか、千昭くんがいない日常ですけど。だから、マイナスかもしれない。

・・・って、わかったような気がしちゃった。この映画って、SF部分ってそれがメインじゃなくて、骨格は実に青春映画なんだ、と。安い表現になっちゃうけど、青春映画、の典型的なパターンなのかもしれねえ、と。物語は、だって、ただただ、ラストでは、普通の日常が戻ってきただけだ、と、主人公が、ちょっとの傷を負って、オトナになった代わりに、っていう。

すいません、まちゃみんがわかってなかっただけかもしれないけどね。まちゃみんがわけもわからず泣いちゃったのは、そういうことかもしれない。あんまりネガティブなことは言わない、書かない、って先週位に言ってたような気がするけど、やっぱり、そこは自分に嘘はつけなくて、まちゃみんもバタバタやってたけど、っていうか今でもバタバタやってるけど、今、何か、残ってるか、と。何も残ってない、と、むしろ、手に入れられそうなところから、するり、と逃げていった、と。やっぱり何もまとまってないけど、この映画が青春映画、ってわかったのが、まちゃみん的には大発見。

なんだろう、色々、何色なのか、わからない事件が起こって、それに対してバタバタして、何か、イイところに着地する可能性、イイ色に染められる、っていう可能性があった、と。それは、確実にありながら、気付いたら、大マイナスになりそうなところで、ジタバタして、で、なんとか、プラマイゼロにまでは、戻した、と。だけど、それは、実は、プラマイゼロじゃなくて、大事な具体的なものは失って、代わりに経験、というものになってた、と。それはとりもなおさずまちゃみん的には、若さ、なんだけど、そういうことなんじゃないかな。まちゃみん含めた人、人の世、って結局そういうことかもしれない。そういえばたけしのキッズリターンもそんな話だったような。もっともっとほの暗かった印象だけど。救いようがない、というか。あれは別に泣きはしなかったけど、そこはかとない良さはあったもんね。そんな感じ。

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2006年8月21日 (月)

時をかける少女観た ・・・大号泣

涙が止まらなかった。って、ほんとに泣いてたの。いや、泣かそう、という映画ではない、と思いますけど。とにかく、なんというか、スゴい。というか、スゴい、って語感がフィットしてなくて、丁寧に作ってある、っていうことかな、緻密に作ってある、ってことかな、いや、やっぱりそれもふさわしくなくて、色々な要素が入ってて、やっぱり一言じゃいえない。とにかくイイんだよね。観てもらわんと。

もう大号泣しちゃったんだけど、この映画を大号泣しちゃう、というのが正しい見方か、というのがある。まあ、偉そうに、かつ、乱暴に言っちゃえば、そういう見方でも成立させてくれちゃうスゴイ映画、ということも言えるのかなあ。なんだろうなあ。どこから話せばいいのか、という感じだ。泣いちゃった、という本筋じゃないところが強調されちゃってる、という、なんちゅうか自覚があるんだけど、そういうところも絡むと思う。

映画館出たあとも、もともと楽器見ようと思って行くつもりだったロックインまで、歩きながら泣いてたもの。わしゃあ、自分で、ただでさえブサイクな顔のつくりをしてんのに、こんな昼間の新宿で、ほんとに泣いてるとは、どこまでブサイクになってんのかな、と思ったよ。

確かに、こういうのが、やっぱりほんとは指折り数えて待って観る映画、という映画って感じがする。ゲド戦記なんかと比べてね。特にすごく因縁があるみたいだから。この時をかける少女の監督は、スタジオジブリから、三行半たたきつけられたんだか、たたきつけたんだ、とか、どっかで聞いた。ゲド戦記観てきて、ゲド戦記の感想をネットで読んでたら、結構、そういう対立軸で語ってるのがあって、で、こっちの時をかける少女の方が大絶賛だ、と。で、そんなに面白いの、と。で、両方見たアトだとそれもすごく良くわかる。時をかける少女の方が、もう、数倍上だと思う。

でもまあ指折り数えて待ってたら泣けなかったかもしれない。あ、返す返すも泣かそう、としている映画ではない、と思うけど。まちゃみんのこれは凝り固まったアレ、かもしれないけど、映画、というのは、もう、ほとんど一切、と言ってイイほど、少なくとも、ストーリーなんかは、封切り前のアオリの段階でも、あらすじとかですらできるだけ知りたくない。まあ、それすらもわからなければ、興味の持ちようもない、って話もあるけど。でも、たとえば、極端な話、タイトルと、サブタイトル位でも十分、どういったジャンルなのか、とか、意気込み、とか、って伝わるだろう、と。これは、だいぶ極端だけど。正直、この時をかける少女は、そう、まちゃみんが子供のころ、原田知代で映画化してたはず、ぐらいの記憶はあったけど、ストーリーとか一切まちゃみんわからなかった。ほんとに、こういう、タイムスリップっていうのかなあ、そういう、SF的なものがストーリーの軸だとも知らなかった。ほんとに。

でも、映画館のなかで解決して欲しいと思ってる。というか、予習必要なんて、もってのほかだよ。映画を見終わったあとに、もっとその映画を知りたい、って思えるかどうか、ってのは、観た人が決める話、というか、それが映画のできだと思う。たびたび指輪物語でスマンけど、ああいう、ある程度の予備知識を求める、もしくは、ある、ことが前提と思われる(結局、あとの2作はまじめに見てないから、なんとも断言はするべきではないと思うので)、映画、というのは、なんか、甘えてる、と思う。指輪物語は、映画、っていうか、興行、ってことだったと思う。要するに、見せ物小屋よ。アオってアオって見たいなあ、と思わせる、という、そういう技術の話で。中身はなんでも良かった、っていう話だと思う。それを詐欺だ、ふざけんな、って言ってるんじゃなくて、あの映画に関しては、そういうもんだった、という話。ふざけんな、っていうのは、当時、言ったもの。結局、たたかれたんだけど。

で、この時をかける少女だけど、良かった、と。それで号泣してしまった、と。いや、どうなんだろう、作り手に、ちょっとはそういうところ、泣かそう、というところはあるのかな。でも、あったとしても、泣く、を起こさせる作り手側が想定してたポイントとまちゃみんが泣いてしまったポイントというのは、やっぱり微妙に違うというか、全く違う、というか。

以下、ネタばれもありながらの感想です。

まちゃみんが泣いた映画、っていうのを思い出してみたんだけど、これ、あれ、って思い出してる時点でなんかツボになってるとこがだいたいわかっちゃったね。この前の甲子園の映像で泣いちゃうやつだからね、わしゃあ。カンフーハッスル観てやっぱり大号泣したとき、あんまり分析したくないなあ、とか日記に書いてたけど、なんかわかっちゃったね。ちょっと寂しいかもね。

なんだろう、汚れを知らない純粋なものとか、無邪気で純粋なものとかが、と、いつの間にか、もうそうじゃない、って状態になってることが認識された時みたいだね。なんか、正確じゃないような気がする。けど、なんとなく、そんなとき。結局、我が身に重なった時だね。この前の連休のこともあったから、相当入っちゃったみたいだね。

主人公ははじめ、無邪気に、色んなことをリセットしてたけど、最後の方で、人の気持ちをもてあそぶようなことはイカン、人の気持ちをリセットするようなことはできん、という主旨のコメントをした、と思う。その前後だよね、まちゃみん、泣き、に入っちゃったのは。やっぱり、とっても、エモーショナルなことで、理屈じゃないような気がするけど、そうじゃん、と、わしゃあ、今、取り返しのつかないことになってないか、と。たぶん、なんか、よくわからん、と思う。この辺のまちゃみんの話。まちゃみんも、とても個人的なことだけど、あのとき、うん、と言ってたらどうだったろう、とか、チャンイーモウの「生きる」、を見てた時の気持ちを思い出してたかもしれない。随分遠回りだけど、「生きる」を見たときも泣いちゃって、映画自体ももちろんすごく良かったけど、今から思えば、あの時は、とくに、それを見たのは、結局、付き合いがあったころに、見よう、って言ってたのに、結局、一人で見てた、と。どこで、間違って、こうなってるんだろう、と。

ということで、泣いちゃったのは、やっぱり、あくまで、個人的なことだった。
だけど、映画として、すごく良かった。

詮無いことだけど、良かったところを思いつくままに。ひとつ、気持ち良いおとぎ話だった、と。あ、でも、これなんか、理由になってないな。なんでイイんだ、って、イイからだ、って。でも、気持ちイイおとぎ話だと思った。あと、映画としての完結してる、と。まちゃみん、ほんとに原作もまったくどんな話か知らずに見に行ってるからね。ひとつ、話の構成として、伏線をはって、しっかり落とす、という構造がしっかりしてた、と思う。様式美、っちゅうの、心地良いんだよね、すっきりする、というか。あと、明確に各パートで、作ってる側はこれを見せよう、とか、これをインプットしたいんだろうな、ってはっきりクリアに伝わってくるところだね。安心して見てられる。生意気な言い方だけど。あと、背景がとても丁寧。そして、くすぐってくる。見たら、わかります。いかにも、学校っちゅう感じ。あー、この辺で、前半くすぐり続けられたかもね、最後の方で号泣しちゃったのは。こういうのって、今後、映画見るときのひとつの基準になってくるかもなあ。

あと、騒がしい主人公が、映画の2時間のなかで、落ち着いて深まっていく感じ、とか。もう、こういうのって王道だと思う。あと、まちゃみんは、決して、恋愛映画には見えなかったけど、恋愛ものの王道のパターンの、すれ違い、とか、もイイ感じでまぶしてあった、と思う。このタイムマシーンもの、って、話の整合性って、絶対にとれない、と思うので、いかに作り手の意図にスイングできるか、ということだと思う。この時をかける少女は、きっちり、転がしてくれた、という感じ。物語のこのタイミングでは、観客に、どこを知らせて、どこを知らせてないか、観客は、今、どう思ってるか、って緻密に計算してあると思うのよね。

いや、とにかく良かった。その日その日を悔いないように、生きるしかない。

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2006年8月16日 (水)

ゲド戦記観た

この夏の映画ってすごく小粒というのが印象。いや、ゲド戦記じゃなくて全体的に。ゲド戦記はそんななかでも、一番興味をそそられてた。まあ、消去法なんだけど。あとから知ったけど相当評判悪いみたいだ、アニメを見る目に肥えた人々の間では。見た感想として、まちゃみん的には面白くもなかったけど怒るほどのものでもない、といったところ。

指輪物語よりは100万倍マシ。そういえば、指輪物語の時は、ファンの人に相当怒られた。yahooの掲示板の、指輪物語の批判、というカテゴリーのなかで、つまんない、って言ったら。別に、面白い、って言いましょう、って掲示板じゃなくてね。まちゃみんとしては、あまりにもつまらなくて怒りがこみ上げてて、そうだよなあ、つまんないよね、って言い合いたかったの、ほんとに。でも、そんなところでまで、叩かれたのよね。まあ、ほんとに好きな人にとっては、文章にアレなこととかもまぶしちゃったのかもしれないけど、まちゃみんも、それほどまでに怒ってたんだよね、あまりのつまらなさに。けど、そのアレなことっつったって、あの弓矢打ってる動作がマヌケ、とか、常識的なことだったと思うけどね。本論から逸れてるところでも。

ほんとの要旨としては、確か、話のスジがわかんねーよ、というのと、3時間もやって突然続く、ってなんだよ、ってとこだったと思う。で、全体的に、やっぱり、つまんない、ってことで。だって、面白かったら、そういうところだって、好意的に解釈してあげると思うもの。巧妙に伏線を張ってるね、とか、突然終わるところだって、意表を突かれた、次を見る楽しみができた、とかね、そういう風に受け取れるはずだもの。わしゃあ、ほんとに面白がりたくて、もう、相当、イイ客として行ってるはずだけどね。だから、逆に裏返っちゃった、ってのもあるかもしれないけどね、落胆しちゃった、というか。

で、掲示板で叩かれてね、もう、あの映画は踏んだり蹴ったりだった。バカバカしくて全くまともにやり返したりしなかった。だって、まちゃみんの発言の本旨の部分にはほとんどからんでこないからね、揚げ足取りだけで。なんかまちゃみんがつまんなかった、っていうことに対して、怒ってるのは、わかるんだけど。だから、相手にする気もおきないの。結局、1回書いただけですごく叩かれて、もう1回、自分の体臭にうっとりしてるヤツには何を言っても無駄、という、まちゃみん的には、非常に辛辣な言葉を吐いて、一切、そこで何も言わなかった。それからというもの、もう、相当、期待する、ということを控えてるし、そういう宣伝の雰囲気も含めて、ほんとに面白いかどうかってだいぶ慎重になったよね、おかげさまで。でも、宮崎駿で言えば、ハウルは相当期待外れだった。ということで、今回のゲド戦記は、印象からいって、ある意味、期待しなくて、済んだのだ。逆説的だけど。

というのは、ゲド戦記の見る前の印象、って、ひとことで言うと拙速、っていう印象。映画自体、突然、やるの?、っていう印象。まちゃみんとしては、NHKのプロの仕事を紹介する、という番組で、ジブリのプロデューサーの人が出ていて、それは、結構、番組自体印象に残っていて、なんだろう、自分が前やってた仕事と結構似通った部分を勝手に見いだして、相当面白くみたんだよね。で、あの時、NHKの番組で素材にしてたの、って、この映画のことだったんだ、っていうことでの興味もあったのよね。そうだ、今、思い出した。あれも、この映画の宣伝だったのかしらん。

番組を面白く見たのは、決して、悪い意味で言っていないけど、だけどテレビ的には、まあまあ、そういう風に都合良く行くよね、と思ったり、このスタジオジブリのおっさんが、まあ、テレビ的には、良く映えるなあ、と思ったけど、ひとことで言うと、目立ちたがり屋なんだな、とか、あと、若手にコピーを書かせる、とかあって、結局、自分の好きなように直してたりね、もう、自分の前の職場と相当重ねて見てね、そういう意味で非常に面白かったの。まあ、そういうテレビ的な部分をきちんと引き算して見れば、結構、面白い番組だった。

で、ゲド戦記なんだけど、まず、良かったところ。田中裕子。ほんとに良かったよ。なんだろう、ほんとに良かった。って、まちゃみんはじめ、黒木瞳だと思って見てたんだけどね、てへ。ますますイイなあ、黒木瞳、けだるい有閑マダムみたいな感じで、とか言って。で、最後の声優のスタッフロールで、全然違うじゃん、と。でも、イイんだよ、と(by志村けん)、ということで。ほんとにイイ。どういう録り方してるのかわからないけど、すごく、押さえ目の声なんだけど、はっきり聞こえるだよね。おっそろしいなあ、まちゃみん、そんな間違いをしてるのに、イイ、イイ、って、言い切っちゃって。

良かったところは、田中裕子なんだけど、全体の感想としては、細かなところが凝ってないから、パワーがないのかな、と。養老孟司先生かウチダ先生か、どっちかが言ってたと思うんだけど、宮崎アニメは細部がすごい、と。背景とかで、何気なく、描かれてる、花瓶とか、器とかが、実は、すんげえ細かく設定してあって、だから、そういうとこから、説得力が出てくる、と。見えないようで、実は見えてる、と。黒澤明もそうだった、とか言ってて、まちゃみんも、千と千尋とか、理屈で考えたらわかんないことが多いなあ、と思ってたけど、なにか引き込まれたのはそういうところだったか、と。千と千尋は、そういうことだった、って今は思うなあ。

ゲド戦記だけど、前半で、結構、伏線張ってるんだけど、張りっぱなしで、だらだらって、進んで行って、なんか、田中裕子をぶっ殺したら、それでまあイイんじゃない、みたいな感じのところ。千と千尋なんかも、あれえ、何にも解決してねえ、とか思いながらだったけど、そういうのを寄り切っちゃうパワーがあったけど、こっちには正直言ってない。ハウルもなかったよね、寄り切りのパワーが。ハウルの方は、背景とかもだいぶ凝ってる印象があったにもかかわらず。今でも、わからん。あのババアになるのと、若いナオンになる境が。まあ、今更どうでもいいけど。このゲド戦記も、正直、背景とかがすごくのっぺりしてる印象があった。だから、なんか、より、拙速、って感じちゃったんだよね。わかんない。これは、前後が逆になってるかもしれない。そもそも拙速って感じはしてたから。

あ、こっからネタばれ、です。

いや、実際は、なんか、伏線に対しての回答はあって、ちょっと言いましたよ、みたいな感じはあるんだけど、なんだか、どっちにしてもダラダラしてて、あんまり、伏線っていうほど、伏線、っていうつもりもなかったのね、そーなの、ごめんね、って感じ。魔法で剣が抜けないよ、とか、竜が共食いしてるモロモロ、とか、菅原文太がウロウロしてる目的とか、岡田準一といっしょに旅しよう、ってなったわけ、とか、菅原文太が田中裕子に反感持たれてる理由、とか、結局、あの娘は、竜だったの? とか、オヤジ殺しちゃったのはなんで、とか、色々、きっちり解決してないことがあるような気がするけど、別にすごく気になるわけじゃない。そこんとこは、善し悪しかもなあ。

まちゃみんが気になったのは、あの金髪のおばさんと、菅原文太の関係。まちゃみんは、いけない関係を想像してしまった。

で、たぶん、この映画、ってまちゃみんは、そんなつもりでは見てなかったけど、宮崎駿ではなくて、その息子が監督だと。で、あんまり話題にはなってないような気がするけど、これはねえ、見る人が見たら喜んじゃうんだと思うだけど、息子監督のオヤジ監督への深層心理が出てる、と。岡田準一がオヤジ殺しちゃうこととか、その代わりとして、出てきた菅原文太が、いまいちパリっとした活躍をしない、とか、これは、完全に、監督が、劇中の菅原文太なり、王様に、実際のオヤジの姿を投影してるんだと。菅原文太ははじめこそ、結構、主人公を助けたり、導いたりするけど、最後の方は、屁たれになってるじゃん、大した理由もなく。その辺の描写に、実績はないけど、つごー良く、ヒーローにだけはなる、お手軽感が出てる、とか、喜んで、深層心理を分析されそうだなあ。違う? 岡田準一が変化するきっかけって何かあったけ? あったらすまん。

ということで、あんまりパッとしないけど、怒りを感じるつまらなさ、ではなかった、というのが印象。まとまってなくて申し訳ないけど。

明日から仕事。まちゃみん明日から、心を入れ替えて、好きなように行きたいと思う。

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