カテゴリー「書籍・雑誌」の4件の記事

2007年6月14日 (木)

街場の中国論 読んでます 感想です ~イキそーです

街場の中国論 Book 街場の中国論

著者:内田 樹
販売元:ミシマ社
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いやあ、すげえ。松っちゃんの映画の101倍位は面白いぞ。とにかくすげえ。最後まで読んでないけど、なんちゅうか、もう充分満足。

今日も仕事、手も足も出なくて、メソメソしてたけど、なんか、がんばろう、という気持ちになってきた。なんだろね、進歩が実感できなくても、グリグリと、とりあえず続けるしかないよね、今は、たぶん。背伸びもちょっとはするにしても、ほんとの身長も伸ばす努力をし続けるしかないな。

今日は、仕事の帰りが新宿になってさ、新宿なんて来ないから、新宿しかできなことってなんだろ、と。そうだ、新星堂で、リッケン見ていこう、と。と思ったら、リッケンめちゃめちゃ少ないんだけど。なんで? 最近、どこの楽器屋行っても、リッケンって露骨にないよね。なんかあったのかな。

まあ、それはイイんだけど、その新星堂で、ジャミロクワイのスコアもないし、雨は降ってくるしで、どうしようかな、歩いてたところ、ジュンク堂が出来ていたので、入ってみた。そしたら思い出したんだよね、ウチダ先生の本のことを。

なんかねえ、ウチダ先生、養老先生との本と、この本を出した、ってのは知ってたんだけど、ずっと読む気が向かなかったのよね。ウチダ先生の方は、前回、教育の本が全然スイングできなかった、ってのもあったのかもしれないけど。

でも、この本は、すげえ。ほんとにイイもの、って読めばイイじゃん、観ればイイじゃん、にしかならないね。今読んでるとこまでは、何一つ切り落とすところがない。とりあえず今ぱっと思い出したのは小泉さんの深層心理の分析とか。元ネタは養老先生、とのことだけど。この前のボラットもそうだけど、当たり前、とか、当然、とか、わかってる、とか簡単に片付けたらダメだね。やっぱり謙虚な姿勢だなあ。結局、成長する、ということは、最近、しみじみわかった気になってるけど、既存の枠組みを越え続けていくことなのよね、きっと。なかなかわかんねえんだよ、何が枠組みか、ってこと自体が、まずは。わかった自分は、わからかなった自分はなんでわからなかったか、わかるけど、その時のわからなかった自分は、なんでわからないのか、もわからないんだからね。すごくわかりづらいけど、勢いで言うとそういうことだよね。だから謙虚にならなきゃいかんよね。わかんないかもしれない、って姿勢じゃなきゃダメだ。だって、その時点ではわからない、ってところに行くことが成長だから。たぶん、これは、ウチダ先生の受け売りだけど。まちゃみんわかんなかったんだよね、こういうことが。ある程度、範囲を決めないとやってられないのも事実だけど。やっぱり、生きてるかぎりはのたうちまわらなければいけない、と思う。それが、産み落とされちゃったものの宿命だなあ。また、我田引水でどんどん別の話になってくわけだけど。

そういえば、養老先生との本も買ってきた。それにしてもさあ、まちゃみんは、全然別のところから入った、こういう先生達が、繋がる、ってなんかカンゲキ。新日対全日、夢の交流戦みたいなもんだよね。今回のは、ウチダ先生と養老先生なわけだけど、あとは、橋本治とウチダ先生、ってのもアリかもしれない。確かウチダ先生は橋本治のことをスゲエ、ってどっかで言ってたと思う。あと、養老先生も橋本治のことをちょっと触れてたような気がする。まあ、イイや、今回、ウチダ先生が、養老先生とどんな佇まいなのか、ってひとつ興味のあるとこだなあ。もし、噛み合ってたら、橋本治とだったらどうだろう、と妄想が膨らんでしまうだろうなあ。

と言いながら、というか、というわけで、というか、そういうことで、実は、もちろん買ってはきたが、あんまり、養老先生とウチダ先生の本は期待してない。なんちゅうかね、実は噛み合わないんじゃないか、って気がしてる。どーなんだろ。読んで気が向いたら感想書くかもしれない。想像では、結局、養老先生がずっとしゃべってるんじゃないか、ってイメージ。っていうか、そういう組み合い方じゃないと面白くないんじゃないか、って思ってるんだけど。要するに、勝手な想像だけど、ウチダ先生はずっと話を聞く、って役割に徹した方が面白そうなんだけどね。勝手な印象で。養老先生を司馬遼太郎みたいな感じにした方がオモロイんじゃないかね。司馬遼太郎、って、対談、と言いながら、結局は一方的にしゃべってるだけだと思うんだけど。それがダメなんじゃなくて。ウチダ先生は、そういう役割に徹する、と。まちゃみんのいい加減な断定では、司馬遼太郎がおとなしく話を聞いてたのは、湯川先生だけ。あと、しゃべんない時は、基本的に、つまんないんだろうなあ、って時? でも、ちょっと、海音寺潮五郎と司馬遼太郎みたいな、噛み合い方してくれてることにも仄かな期待をしよう。

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2007年5月29日 (火)

鏡の法則 読んだ 感想です ~キモッ

会社の先輩から読む? って渡された。そんで、思い出したよ、と、この本、そういえば、カノジョが読んで、っつってた本だった、と。そんで、まちゃみんは、スティーブジョブスのスピーチ、イイよ、なんつって、お互い、送る、とか言っておいて、そのあと、何もない、という。おお、あの時、カノジョが言ってたのこれかあ、と。

さっき読んだ。流し読みで10分位で読める本なので、あんまり何もないんだけど。あえて言えば、キモイっていうだけで。すごくヤな気持ちになりマース。なんちゅうの、一杯のかけそば、と同じスメルがシマスYO!

なんちゅうかねえ、チラチラと、この作者自体が出てくるとこがね、純粋じゃないドス黒い動機が隠せてない感じでね。で、作者の略歴見るとね、やっぱり、って感じでね。

あなた、基本的にない方がイイたぐいの職種でしょう、と。あなた、積極的に、自分の存在アピールできない、って、本来は、構造的にそうなってる、ってわかっててやってんのかバカヤロー、ってなもんですよ。この前の研修で、まちゃみんが怒ってたあの講師といっしょですよ。あなた、メンタルヘルス、って看板かかげてんのに、オレ自体を不愉快にさせてどーすんだ、って。ほほう、オレ自体のメンタルをヘルスしなきゃいけない状況にすると、お前の仕事ができて、お前がハッピー、って、そういう理屈ですか、と。それって、消防士が自分がいかに役に立つかってことをアピールするために放火してるようなもんだ、って思うんですけど。違いますか。

あなた、自分の仕事がない方が、イイ、って自覚ありますか? あなたががんばらなきゃいけない状況って、不幸な人がたくさんいる、って状況だってわかってるかね? まず、そこんところをはっきりするところから始めてください。ほんの10何年か前になかった職種だ、っていうことはどういうことか、って考えろ、ヴォケ。だからメンタルヘルス、とか、なんたら、って横文字なんだろーが。いらねーってことだよ。お前は人の不幸を悲しんでるフリして、それどころか、そういうものを煽り立てて、むしろ人の不幸を作って、それで、自分がオイシイ思いをしよう、っていう、そういうゲス野郎だよ。わかった?

はあ。わしゃ、なんで、こんな必要以上にテンション上がってるのか。というヤな気持ちになる本でした。

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ツチヤ(土屋賢二)先生の本読んだ

ツチヤ教授の哲学講義 Book ツチヤ教授の哲学講義

著者:土屋 賢二
販売元:岩波書店
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ツチヤ先生って、文春で、とぼけた言い回しのエッセイ書いてる人、というイメージだったんだけど、本屋でたまたま手にとったら、本職の大学の授業を活字にした本だ、っちゅうことで。どんな授業なのか、って興味あってね、そんで、買った。ツチヤ先生、授業は別に普通だなあ。

延々と説明して、10章位あるんだけど、結論は最後の2章位にしかない。後で言うけど、それは、全然悪いことだと思ってないけど。

この本、初め、どういうこと言おうとしてるのかなあ、と思ったけど、本としては、というか、センセイとしては、要するに、ヴィトゲンシュタイン、というドイツ人の考えに共感してて、その解釈ではこうで、自分もそう思います、と言ってる、ってそれだけの本。

哲学、っちゅう学問は、問いの立て方自体が、実は、言葉遊びであって、そもそも答えが出ない、ナンセンスなものだ、ということが言いたいみたい。

で、そのヴィトゲンシュタインの考え方はこの本を読んでまちゃみんが理解するところによると、哲学というものが言葉、というものを使って表現されるナニモノか、である限り、言葉、というものの枠内にしか収まらないよ、と。で、言葉を使って、人生に意味があるとか、ない、とか、考えること自体、言葉を使った以上、ナンセンスな性質なものだ、って。言葉というのは、そもそもそういう使われ方を想定してない、と。要するに、哲学として、立てられる問い、自体が実はそもそも解が導かれる性質のものではないんじゃないか、って。意味ねーよ、と。コロンブスの卵状態のことが言いたいらしい。

で、ね、おお、これって、カタチこそ違えど、まちゃみんが中学生位にたどりついた考え方といっしょなんじゃね、って。中学生位のとき、なんで、グダグダ、いろいろ考えてるのか、と、考えてた、主に、生きてる、ってことが色々ツラくて。なんでこんなツラいんかなあ、と。中2のまちゃみんが最終的に至った答えは、「生まれてきたからだ」、と。それ以上でも、それ以下でもない、と。日本海に沈む夕日を見ながら、当時、まちゃみんは、自分のこの答えに妙に納得したのであった。

さらに、最近は、自分で意識的にそうなっていったわけじゃないけど、生まれてきたこと、って「自分で選んだことじゃない」、ってことが加わってるよね。そんで、よりクリアーな理解に至ってるわけだけどね。

ツチヤ先生のこの本は、ここまで、言ったあとに、だから、って、哲学が答えを出すことが期待されてる、生きる意味、っちゅうものがないわけじゃない、って、最後に申し訳程度に言ってておしまい。けど、これは、ある意味すごくイイ終わり方だと思う。要するにこういう分量、というか割合だと思う。何か、って、まさに、こういうプロセスを踏むことが重要だと思うよね。

要するに、意味があるとか、ないとか、考えること自体、ナンセンスな性質なものだ、と。そもそも成り立ちからして、意味がないんだもの。まちゃみんの言葉で言えば、何一つとして能動的に選んだ結果で存在してるものってはないでしょ、って。そこに意味をつけようとしてるのは、意味をつけようとしてる側にしかないの。だけども、考えてごらんよ、と、じゃあ、そもそも、それを考えようとしてるアナタ自体はなんなのさ、と。選んでないよね、気づいたら、そうだったんだよね、と。

で、まちゃみん自体の結論としては、この前の日記に書いたことで、話の展開は急だけど、意味は、与えられるものだ、と。そして、ならば、人に与えることをまずは心掛けよう、と。この前の日記で、散々狂ったように言ってた。

ということで、やっぱり、繋がってるような気がするのだ。実も蓋もなく、問い自体がナンセンスでしょうよ、というところで。そういう問い方自体、実は、意味ねえよ、と。というか、そういうところから出発しないといけねえ、とまちゃみんは思い込んでる。

それはそういうもの、として、理解する、というか、受け止める、というか、丸ごと飲み込むしかない。きっと。そうとう先走ってるけど。そこを前提にしないと、そもそも、こういう案件って考えることのスタートラインにすら立てないんじゃないか、って気がしてる。要するに、最終的な答えは、意味ねえ、なんだけれども、意味はあるかもしれない、と一旦考えて、やっぱり、ねえよ、と。そういういうところにたどり着く、というプロセスは必要だと思う。

答えがないから、って初めから、ない、という答えを覚える、ってことではないのよ。「答えはない」、けど、そういう、ない、という答えに至る、というプロセス自体に「答えはある」のよ。というか、もっと言えば、その「プロセスそのものが答え」です、と。要するに生きるということは、そういうのも含めて体験する、ということだと思うわけよ、まちゃみんとしては。そもそも、なんか知らんうちに、この世に沸いてきて、気づいたら、腹減ったとか、セックスしてえ、とか、いろいろグダグダ考えること事態がそういうことの事象の反映になってる、というか、対になってる、というか。

最後に微妙に今考えてたことと結論は違うような気がするんだけど、手塚センセイの火の鳥ね。最近のまちゃみんの趣味で、飛躍しちゃうけど。火の鳥、って結局はっきりと答え、らしきもの、って出してないよね、って、まちゃみん思ってる。というか、一貫性、というのがない、と思う。結局、太陽編まで読んじゃうとね。生きる、ってことがテーマであることはわかるけど、生きる、ってことを、ポジティブとかネガティブで、一貫したとらえ方、っていうものをしてるわけではない、ということ。逆に、この物語で、一貫してるのは、能動的に選択して死ぬ、ってことが否定されてること位だと思う。そして、それは、手塚先生が特に言いたかったこと、じゃないと思う。生まれた、あるいは、生まれてしまった人々を淡々と描いているだけだと思う。もちろん、各編で、ある程度、はっきりしたテーマってあると思うんだけど、並べるとね。要するに、生きる、ということの積極的な意味っていうのは何も語ってないと思うのだ。あえて言えば、生まれてきて、ぎっこんばっこんして、死ぬ、ということ、そのものが意味だ、って言ってる、っちゅうのがまちゃみんが受け取ったメッセージなの。

結局、全部読むとそういうことかと思った。まちゃみんとしては、意味がある、じゃないところに微妙なニュアンスを込めてるわけだけど。意味のあるなし、じゃないのよ。単に、ただ単に、生まれて、存在してる、ってことだと思うのよ。単に最後の方はネタ切れ? とも思うけど、そういう風に解釈した方がまちゃみん自体が安らかだ。

おお、なんか、それらしきこと言ってるなあ。

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2007年1月 5日 (金)

今年の正月 ~喪男の哲学史(本田透著)を読んだ~

◆喪男の哲学史 本田透著

すごい本。これ、この人の仕事のひとつの頂点じゃないだろうか。これがこの人のほんとのほんとの本職なんだと思う。

喪男の哲学史 Book 喪男の哲学史

著者:本田 透
販売元:講談社
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これも、どこがイイ、あそこがイイ、っていうのは、ヤボ、ってレベルに達してる作品だと思う。モテる、モテない、というか、モテない、という縦軸で、哲学史、哲学者という横軸を、ぶったぎった本。哲学の歴史のなんでやねん、ってとこを、モテない、ってとこから説明した本。これがこの人の原点だったんだと思う。この人の前の本(「電波男」)は、正直ちょっと、無理矢理な感じがしたけど、これは、だいぶ、ホントのとこだと思う。まあ、こっちの本も、無理矢理なとこがないことはない、という感じなんだけど、基準は、面白いかどうか、ってことで、全く成立してる。

この人を知ったのは、まちゃみんインターネットを始めた頃だから、10年近い。この人から受けた影響ははかりしれない。それまで、人間の創作物、への見方で、こんな秀逸な見方をできる人をほかに知らなかった。まちゃみんは、映画評とか書こうとした時に、だいたいこの人のパクリにしようと思ってやってるもの。それが面白いから。初めて本田さんをインターネットで見たときは、確か、プロ野球について、だったと思う。とにかく、創作物、に、とどまってなくて、当時、プロ野球を深層心理っていうところから「翻訳」してた。

別のカテゴリーのものや、一見、別のものを、同じ土俵で語る、って、優秀って、いうもののひとつのカタチだと思うけど、本田さんは、深層心理、っちゅうのがね、だいたい縦軸になってる。コンプレックス、というか。巨人の星を、花形満の側から、批評した文章とか最高だった。

ということで、この本、まちゃみん、哲学、って分野がそんなに嫌いじゃないこともあって、知ってるかっていうと知らんくて、出てくる名前と、その人が何を唱えたか、くらいは、かろうじて、知ってる、もしくは、聞いたことがある、って程度なんだけど、それで充分面白かった。本の直接的な内容以外にもなんか、アツくなったね。本自体は、前のに、くらべて、アツさが、凄く抑えめなんだけど。なんだろう、前の本は、本を出版ってことで、ちょっと、過剰すぎた感じがしたんだよね。そして、本としても、しっかりしてる。誤植もない感じ。丁寧に作られてる印象。って、講談社なんだ。よくわからんけど、大手なんだ。

なんちゅうか、伊集院さんは、モテてえ、モテてえ、ってモテない代表みたいなかんじだったのに、しっかり、結婚したわけだけど、本田さんは、護身完成とか、ナオンを肉壺とか言ってないで、結婚した方がイイと思う。というか結婚してみてほしい。むしろ、今度は、家庭の良さを啓蒙して欲しい、と思う。まちゃみんを結婚したい、と思わせてほしいと思う。伊集院さんは最近どういうスタンスなのかしらないけど、本田さんは、むしろ、裏返って欲しいと思う。なんだろう、善人だと思う、本田さんは。だから、許せると思う。こんなこと言ってると電波と言われるのかもしれないけど。

ということで、面白い本だった。まちゃみん今年を転機にしたいよ。

◆トシと松本さん

今、「酔拳」から、こっちにチャンネル変えたら、トシと松本さんが漫才してる。松本さんってやっぱりうまいんだ。ボケの松本さんが、トシの「欧米か」ってツッこみを、はぐらかす、というボケを延々続ける、っていう漫才。ずっと、ジェッキーチェンの「酔拳」を観ていたので、どうしてそういうことになってるのかわからんけど。酔拳は、とにかく、若かった。なにもかもが。まぶしい。

◆この正月

ほんとに、一切何もしなかった。意図して何もしなかった。本も読まなかった。昨日になって、冒頭の本を読んだだけ。相当太った。ほんとに、食って寝る生活。何もしない、ってことに、焦ったりとか、これじゃいかん、とか、思わない、ってことが確認できたのが収穫。っていうか、身体が変わったことがはっきりわかった。明らかに、消化とか遅いなあ、って思った。太ったし、信じられないくらい身体が動かないし。

テレビは結構見てた。正月だからなのかなあ、思ったより、テレビがヒマつぶしにはなった。ダウンタウンの笑ってはいけない警察署は、この番組の普段が、テンポがイイ、ってことがよくわかった。企画としては、なんか煮詰まっちゃってる感じ。いや、これまでは、ちょっとづつ、新しい企画が入ってたような気がするけど、今回は、なかったと感じた。というか、むしろ、過去に縛られてた印象。なんだろう、ホンキでやってるんじゃなくて、過去であたったポイントをなでてる感じ。いや、前からそういうとこはあったけど、新しいと感じた要素がなかったことと感じたことと相まって、大晦日で、無難路線がすぎたような気がした。あと、テンポが悪かったのが、いまいちだった。たけしのお笑いウルトラクイズは、前にやってた時と、全く何も変わってなかった。けど、そこそこおもしろかった。フォーマットが良いんだろうね。人間性クイズは相変わらず面白かったんだけど、リアリティが感じられなくなったのは、オレ自身の方が変わったせいか。っていうか、やっぱり、あの年で、俳優って言ってる人は、すごく演技がうまいんだなあ、って。すごくふつうの感想。

今年は、転機の年にしたいと思ったし、なるような気がしたのであった。まあ、ダラダラしてる範囲での妄想だけど。それだけの覚悟もないんだけど。あ、あと、梶原一騎の「男の星座」も読んだんだった。何年か前に買ったやつを。ノンフィクション、って言ってるわりには、ほとんどフィクションだと思う、特に後半。でも面白い。名ゼリフ満載。過剰、思いこみが。キン肉マン消しゴムで、どかーん、ばきーん、っていうのをイイトシして仕事として、やってる印象。そういう意味ではまちゃみんも、近いものがある。でも、それがやっぱり面白い。

明日から仕事だ。なんだろう、今年は、変わりたい。ひとまわりでいいじゃん。

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